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辻 大雅(つじ たいが、2004年8月29日 - )は、神奈… 辻 大雅(つじ たいが、2004年8月29日 - )は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 小学校時代は軟式野球の村岡フェニックス、藤沢市立藤ヶ岡中学校時代は硬式野球(ボーイズリーグ)の湘南ボーイズに所属。 高校は東京都の二松學舍大学附属高等学校に進学。1年の3月に左肘を疲労骨折し、2年の1月に投球練習を再開。2月にはチーム内の紅白戦に登板し、3月の第94回選抜高等学校野球大会には背番号11でベンチ入りを果たした。初戦の聖光学院戦でリリーフで登板したが、チームは初戦敗退した。初夏には球速を10km/h以上アップさせ、夏の東東京大会では背番号1を勝ち取り、4試合に先発して第104回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献した。
秋山 正雲(あきやま せいうん、2003年4月29日 - )… 秋山 正雲(あきやま せいうん、2003年4月29日 - )は、千葉県流山市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 流山市立西深井小学校1年の時にカージナルスで軟式野球を始め、6年時にはヤクルトスワローズJr.に選出されてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場している。流山市立東深井中学校時代は硬式野球(リトルシニア)の荒川シニアに所属。 二松學舍大学附属高等学校では1年夏からベンチ入りし、1年秋からエースとなった。3年夏には第103回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦(2回戦)の西日本短大附属戦は4安打9奪三振の完封勝利。3回戦の京都国際戦は延長10回まで1人で投げ抜いたが、6失点で敗戦した。
秋広 優人(あきひろ ゆうと、2002年9月17日 - )は… 秋広 優人(あきひろ ゆうと、2002年9月17日 - )は、千葉県船橋市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 身長200cmは日本人選手としては馬場正平(ジャイアント馬場)、同期入団の阿部剣友、広島の菊地ハルンと並んで歴代最長身。 幼稚園の年中から「夏見台アタックス」で軟式野球を始める。船橋市立宮本中学校では「江戸川ボーイズ」に所属し、陸上部にも所属していた。二松學舍大学附属高校では2年秋から投手も兼ねる。高校通算23本塁打。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから5巡目で指名され、11月22日に契約金3500万円、年俸540万円で仮契約した(金額は推定)。
永井 敦士(ながい あつし、2000年1月10日 - )は、… 永井 敦士(ながい あつし、2000年1月10日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校2年時にあおぞらベースボールクラブで野球を始める。草加市立花栗中学校時代は草加ボーイズに所属し、3年時には世界大会に日本代表として出場。 二松學舍大学附属高校へ進学してからは1年時から主砲を任され、3年夏には第99回全国高等学校野球選手権大会に「4番・左翼」で出場。初戦(2回戦)の明桜戦で5打数5安打1打点の活躍。3回戦の三本松戦は本人も1安打に終わり、チームも敗れた。高校通算47本塁打。 2017年のNPBドラフト会議にて広島から4巡目で指名され、11月9日に契約金3500万円、年俸500万円(いずれも推定)で仮契約を結ぶ。
大江 竜聖(おおえ りゅうせい、1999年1月15日 - )… 大江 竜聖(おおえ りゅうせい、1999年1月15日 - )は、神奈川県座間市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 座間市立東原小学校時代に軟式野球を始める。座間市立南中学校在学中は、ヤングリーグの横浜ヤング侍に所属していた。 二松學舍大学附属高等学校に進学後、1年時から控えとしてベンチ入りし、主にリリーフとして登板。同校の全国高等学校野球選手権大会初出場に貢献した。翌年の選抜高等学校野球大会にも出場し、愛媛県立松山東高等学校相手に16奪三振の力投を見せるも試合には敗れた。 2016年10月20日に行われたドラフト会議では、読売ジャイアンツから6位指名を受け、11月16日に契約金3000万円、年俸480万円で入団に合意した。
竹安 大知(たけやす だいち、1994年9月27日 - )は… 竹安 大知(たけやす だいち、1994年9月27日 - )は、静岡県伊東市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 埼玉県蓮田市で出生後に、静岡県伊東市へ転居。伊東市立富戸小学校の1年時に地元の少年野球チーム・富戸ジュニアで野球を始めると、中学生時代には伊東リトルシニアに所属した。 中学卒業後に二松學舍大学附属高等学校へ進学。鈴木誠也と同級生となり竹安も1年生ながらベンチ入りをしていたが、1年生の夏に地元にある静岡県立伊東商業高校に転校した。転校後は、3年生夏の選手権静岡大会で、NPBの複数球団のスカウトが視察するほどにまで成長したが、在学中は春夏ともに甲子園球場で開催の全国大会に出場できなかった。
鈴木 誠也(すずき せいや、1994年8月18日 - )は、… 鈴木 誠也(すずき せいや、1994年8月18日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手(外野手、指名打者)。右投右打。MLBのシカゴ・カブス所属。 妻は元新体操選手でスポーツキャスターの畠山愛理。 小学2年生の時に荒川リトルで野球を始める。中学校時代には荒川シニアに所属していた。 二松学舍大学附属高校へ進学してからは、投手として1年時の秋からエースの座を確保。2年時には、4月下旬に右太ももの肉離れを発症。同年夏の東東京大会では、本調子から程遠い状態でありながら、チームの準決勝進出に貢献。関東一高との準決勝では、5回に満塁本塁打を打たれるなど不調でチームも0-7で8回コールド負けを喫した。3年夏の東東京大会では準々決勝で谷岡竜平擁する成立学園高校と対戦したが2回途中3失点で降板。
小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、… 小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、実業家。株式会社l'unique代表取締役。 東京都江東区出身(父は秋田県出身)。小学6年生まではバスケットボールをやっていたが、東陽フェニックスのキャプテンに誘われて野球を始める。深川第四中学校在籍は江東ライオンズに所属。二松学舎大附属高校に進学後は1年からベンチ入りし、2002年春の第74回選抜高等学校野球大会に出場するが当時は背番号11の控え投手で登板はなかった。 高校卒業後は亜細亜大学に入学し、硬式野球部に所属して1年春にリーグ戦デビューを果たすが部員の不祥事による活動停止、2部降格などもあり、3年生の進級直前に大学を退学した。
初芝 清(はつしば きよし、1967年2月26日 - )は、… 初芝 清(はつしば きよし、1967年2月26日 - )は、東京都豊島区生まれ、埼玉県坂戸市育ちの元プロ野球選手(内野手)、野球解説者、社会人野球監督。株式会社オフィス・オーパ所属。 埼玉に移り住んだ小学4年より野球を始める。二松學舍大附属高校では、2学年時からエース、3番打者として活躍。1984年夏の甲子園予選東東京大会で決勝に進むが、日大一高に敗退。高校通算30本塁打。高校卒業後はプロ入り志望だったが、ドラフト会議では指名をもらえず、同校卒業後は社会人野球の東芝府中に入社。内野手に転向し、プリンスホテル、NTT東京の補強選手として都市対抗野球大会に3回出場した。 1987年、ドラフト指名解禁となったこの年は成績が良くなく残留。
市原 勝人(いちはら かつひと、1965年3月4日 - )は… 市原 勝人(いちはら かつひと、1965年3月4日 - )は、東京都出身の日本の野球指導者。二松學舍大学附属高等学校硬式野球部監督。保健体育科教諭。 二松学舎大附属高校では1年春よりベンチ入りをする。夏は東東京大会決勝で早稲田実の荒木大輔と対戦して代打出場も敗退。秋は都大会ベスト8。2年秋は決勝で早稲田実の荒木と投げ合うが敗退。3年時にはエースとして第54回選抜高等学校野球大会に出場し、同校初の準優勝の成績を修めた。 高校卒業後は日本大学、社会人野球のNTT信越でプレー。社会人時代には3年連続都市対抗野球大会へ出場した。 選手引退後は母校の二松学舎大附属高校の臨時コーチに就任し、1996年春に31歳で監督に就任した。
上地 和彦(うえち かずひこ、1964年4月4日 - )は、… 上地 和彦(うえち かずひこ、1964年4月4日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(内野手)。 二松學舍大附高では、3年次春に第54回選抜高等学校野球大会に出場。4番打者として出場し、PL学園高との決勝戦では本塁打を放つも、チームは2-15で大敗し準優勝に終わる。 1982年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから5位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1985年限りで現役を引退。
白幡 隆宗(しらはた たかひろ、本名:白幡 勝弘(しらはた … 白幡 隆宗(しらはた たかひろ、本名:白幡 勝弘(しらはた かつひろ)、1962年5月27日 - 没年不詳)は、東京都出身のプロ野球選手(外野手、内野手、捕手)。 二松學舍大附高では、エース西尾利春(阪急)を擁し、三番打者、左翼手として1979年秋季東京大会決勝に進出。伊東昭光のいた帝京高を9回裏逆転サヨナラ勝ちで降し、1980年の春の選抜への出場を決める。しかし、1回戦で柳川高の中島輝士投手に抑えられ敗退。同年夏の甲子園東東京大会でも決勝に進出するが、荒木大輔を擁する早実高に敗れる。 1981年、ドラフト外で西武ライオンズに入団。当時の青木久雄監督が日大三の先輩である根本陸夫監督に頼み込んだという。
坂巻 明(さかまき あきら、1955年5月12日 - )は、… 坂巻 明(さかまき あきら、1955年5月12日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 二松學舍大附高では1年夏から4番・一塁手としてチームを東京都大会決勝戦まで導くが、日大一高の保坂英二の前に敗戦。青山学院大学へ進学するが父の病により2年次に中退。実家の食料品店を手伝いながら、親戚の病院で臨床検査技師としても勤務した。1976年オフに周囲の人の勧めで、入団テストを受け合格。西井敏次とともにドラフト外で日本ハムファイターズに入団した。 入団直後は打撃投手としての役割が多かったが、1980年には2軍で8勝を挙げ、チームのイースタン・リーグ優勝に貢献。 その後もなかなか一軍出場の機会を得られず、1981年のオフには退団を申し出るが、球団に慰留され残留。
問矢 福雄(といや ふくお、1950年9月3日 - )は、東… 問矢 福雄(といや ふくお、1950年9月3日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手、外野手。 早実を中退後に入った二松學舍大附高校では、1968年秋季東京大会準々決勝に進むが、但田裕介のいた堀越高に敗退。1969年ドラフト会議でロッテオリオンズから4位指名を受け入団。1971年にはジュニアオールスターに出場、イースタンリーグで本塁打王、打率2位の成績を残す。1972年4月16日には南海ホークスとの対戦で二番打者、右翼手として初先発出場(偵察要員としての起用を除く)。しかしその後は一軍での出場機会に恵まれず、同年限りで退団。1974年に広島東洋カープで復帰するが、活躍の場はなく同年限りで引退。