スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
成沢 大輔(なりさわ だいすけ、1965年9月25日 - 2… 成沢 大輔(なりさわ だいすけ、1965年9月25日 - 2015年3月6日)は、ゲーム評論家、ゲーム攻略本ライター。編集プロダクションCB's PROJECT主宰者。早稲田高等学校卒業(第86回生)。最終学歴は不詳。 1980年代から「ファミコン必勝本」を中心にゲームライターとして活動。塩田信之らと共に、ゲーム攻略本専門の編集プロダクションCB's PROJECTを立ち上げ、主宰していた。 競馬が好きで、高校生時代は競馬研究同好会の主宰を務めていたことから、古くから『ダービースタリオン』などの競馬ゲームの紹介記事や攻略本を多数手がけていた。特に『ダービースタリオン』の攻略本は攻略本というより血統本と言うべき内容で、薗部博之はこれについて「ああいうものが出てくるのは完全に想定外ですよ。
坪内 祐三(つぼうち ゆうぞう、1958年5月8日 - 20… 坪内 祐三(つぼうち ゆうぞう、1958年5月8日 - 2020年1月13日)は、日本の評論家、エッセイスト。東京都出身。 東京都渋谷区本町に生まれる。姉と2人の弟がおり、隣家の住人には蘆原英了がいた。1961年、世田谷区赤堤に引っ越す。1965年、世田谷区立赤堤小学校に入学。1971年、世田谷区立松沢中学校に入学。1972年、従大叔母である柳田冨美子(緑蔭館ギャラリーの主)の成城の邸宅で英語を習い始める。1974年、早稲田高等学校に入学。1977年3月に早稲田高等学校を卒業し、お茶の水の駿台予備校に通い始める。1978年、早稲田大学第一文学部に入学。同級生の藤原昭広(「プレジデント」編集長)と同じサークルに入るため、ミニコミ誌「マイルストーン」に参加。
西上 心太(にしがみ しんた、1957年 - )は、日本の文… 西上 心太(にしがみ しんた、1957年 - )は、日本の文芸評論家、書評家。 東京都荒川区南千住出身。早稲田中学校・高等学校、早稲田大学法学部卒業。同大学在学中はワセダミステリクラブに在籍していた。主にミステリー作品の評論をしている。日本推理作家協会員でもあり、数々の推理小説で巻末解説を寄稿している。マルタの鷹協会日本支部・事務局長。 かつて、マジカル頭脳パワー!!にてクイズの原案担当者の一員だったことがある。当時は「鈴木隆久」名義。 2008年から、将棋ペンクラブ大賞の最終選考委員もつとめる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
萩原 健太(はぎわら けんた、1956年2月10日 - )は… 萩原 健太(はぎわら けんた、1956年2月10日 - )は、日本の音楽評論家・ディスクジョッキー・音楽プロデューサー・作曲家・音楽家。CS-TBS番組審議委員、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。 メジャーなポップ・ミュージック(主にアメリカのヒットチャート系)に精通しており、なかでもザ・ビーチ・ボーイズ、エルヴィス・プレスリー、ザ・ベンチャーズのマニアである。 裁判官の父親の転勤に伴い、北海道や千葉県など転々として育つ。早稲田高等学校を経て早稲田大学法学部に進む。在学中は放送研究会に所属。音楽評論家の宮治淳一は一年後輩で交友関係にある。またサザンオールスターズの桑田佳祐とは、サザンがデビューする以前からの友人であり、アマチュア時代のサザンに加入していたこともある、とラジオ番組で明らかにしている。
戸井田 道三(といだ みちぞう、1909年3月25日 - 1… 戸井田 道三(といだ みちぞう、1909年3月25日 - 1988年3月24日)は、日本の評論家、能・狂言の評論家。 東京生まれ。旧制早稲田中学を経て早稲田大学国文科卒。 1933年、中央公論社に入社するが、その年のうちに退社。1948年、天皇制と能楽の関係を説いた『能芸論』を上梓、民俗学、人類学を援用した能や狂言の考察で知られた。1954年より毎日新聞の能評を担当、のち映画評もおこなった。『戸井田道三の本』4冊がある。「きものの思想」で第17回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
坪内 士行(つぼうち しこう、1887年〈明治20年〉8月1… 坪内 士行(つぼうち しこう、1887年〈明治20年〉8月16日 - 1986年〈昭和61年〉3月19日)は、日本の演劇評論家、早稲田大学教授、戯曲家、振付師。女優・坪内ミキ子の父。 現在の愛知県名古屋市に生まれる。坪内逍遥の兄・義衛の三男で、逍遥に子がなかったため7歳のときに養子となった。旧制早稲田中学校を経て、1909年(明治42年)早稲田大学文学部英文科卒業。その後、ハーバード大学に留学して演劇を学び、1915年(大正4年)に帰国。翌年、留学中深い関係となったアメリカ人女性マッグラルド・ホームズが後を追って日本に来た。しかし逍遥は士行に娶合わせるつもりで鹿嶋清兵衛の娘のくにを養女にしており、この関係を許さなかった。