スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
稲葉 大樹(いなば ひろき、1984年8月22日 - )は、… 稲葉 大樹(いなば ひろき、1984年8月22日 - )は、東京都江戸川区出身のオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに所属する日本の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。ベースボール・チャレンジ・リーグの創設初年度以来17年にわたって同リーグでプレーを続け、「ミスターBCリーグ」(ミスター独立リーグ)「鉄人」とも称された。 江戸川区立南小岩第二小学校時代は「江戸川リトル」、船橋市立大穴中学校時代は「江戸川ボーイズ」でプレー。 安田学園高等学校から城西大学に進む。大学野球部では、4年生の時に首都大学リーグのベストナインに遊撃手のポジションで選出された。社会人野球チームを持つ九州の企業から内定を得ていたが、卒業を控えて父親が急逝したことから、母親を一人で残せないという理由で辞退し、東京のホテルに就職して横浜市のクラブチーム・横浜ベイブルースでプレーを続けることになった。
鈴木 章太(すずき しょうた、1980年6月20日 - )は… 鈴木 章太(すずき しょうた、1980年6月20日 - )は、元プロ野球審判員。 安田学園高校→中央学院大学を経て、2004年にパリーグ審判部に入局。同期は山路哲生。 2009年終了時点での試合出場数は68試合。2009年度は塁審として後述のミスがあるまで順調に一軍出場を伸ばしていた。 2010年9月27日に、翌2011年シーズンの契約を結ばないことを通告され退職。 その後、一般企業を経て、整骨院などの事業を経営。 2009年6月16日の巨人対西武3回戦(宇都宮清原球場)で三塁塁審を務めた鈴木は、1回表2死1塁2塁の場面で、西武G.G.佐藤が放った3塁線のライナーを、ファウルボールと判定した。しかしこの打球は、巨人の三塁手古城茂幸がフェアゾーン(と思われる地点)でグラブに当てて弾いてファウルゾーンに落ちたものであり、即座に西武側からフェアではないかと抗議があったものの、判定は覆らなかった。
阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )… 阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、千葉県浦安市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手、右投左打)、プロ野球監督。現在は読売ジャイアンツの監督を務める。 読売ジャイアンツ(巨人)一筋で19年間プレーし、正捕手や一塁手として8度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献。2007年から2014年までは第18代主将も務めた。国際大会でも2009年にWBC優勝を経験。2013年のWBCでは日本代表の正捕手も務めていた。引退翌年の2020年からは巨人の二軍監督やヘッド兼バッテリーコーチ等を歴任し、2024年からは第20代一軍監督を務める。 愛称は「慎ちゃん」「慎之助」 3人きょうだいの第2子(1歳上の姉と3歳下の妹がいる)として誕生。
幸田 正広(こうだ まさひろ、1970年7月1日 - )は、… 幸田 正広(こうだ まさひろ、1970年7月1日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(内野手)、指導者。右投右打。 安田学園高では1年からレギュラーになる、3年夏の東東京大会は4回戦敗退で高校通算30本塁打。1988年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから4位指名を受け入団。 プロ1年目の1989年はマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。プロ4年目の1992年に一軍初出場を果たすが、一軍に定着できないまま1997年限りで現役を引退。 引退後はビルの総合管理会社に入社した。 2020年に結成された女子硬式野球のクラブチームである埼玉西武ライオンズ・レディースのコーチに就任。
岸川 登俊(きしかわ たかとし、1970年1月30日 - )… 岸川 登俊(きしかわ たかとし、1970年1月30日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(投手)。 読売ジャイアンツ(巨人軍)の打撃投手を2017年まで務めていた。 安田学園高等学校では2年春からエースになるも同年の夏のベスト8が最高で甲子園には出場できなかった。卒業後、地元・大森に拠点がある東京ガスへ進み、都市対抗野球では補強選手として先発も経験。同じ左腕の富岡久貴が台頭するなどやや目立たない存在であった。 1994年のドラフト6位で千葉ロッテマリーンズに入団。即戦力として新人の年から中継ぎで起用されていたが活躍できなかった。 1998年に小島弘務、樋口一紀との2対1トレードで中日ドラゴンズへ移籍。
橋上 秀樹(はしがみ ひでき、1965年11月4日 - )は… 橋上 秀樹(はしがみ ひでき、1965年11月4日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手、右投右打)、プロ野球コーチ、YouTuber。現在は読売ジャイアンツでオフェンスチーフコーチを務める。 安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手へ転向し、主に守備固めや代打のほか、左投手の時にはスタメンや代打で登場することが多かった。 1992年には自己最多の107試合に出場し、西武との日本シリーズでも8打数5安打1本塁打とジョニー・パリデスと共にラッキーボーイ的存在になり活躍した。 1993年以降も主に控えではあったが、右の代打として活躍。