スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
喜多 恒仁(きた つねひと、1991年3月16日 - )は、… 喜多 恒仁(きた つねひと、1991年3月16日 - )は、埼玉県出身のサッカー選手。 東京都の城北高校から東北大学工学部に進学し、総理大臣杯東北地区予選では2011年から2年連続で得点王となった。東北社会人リーグ・塩釜NTFCヴィーゼの練習に参加し、Jリーグクラブに自身のプレー映像を送るが契約には至らず、卒業後の2013年、FC大阪に加入した。 2014年1月、ドイツ6部・VerbandsLigaのMSV Pampowへ移籍加入。 2015年9月、スロベニア・3.SNLのNKドブロブチェ(NK Dobrovce)に加入した。 2016年8月、モンテネグロ2部・FK Igalo 1929へ加入。
佐野 智之(さの ともゆき、1977年12月14日 - )は… 佐野 智之(さの ともゆき、1977年12月14日 - )は、東京都北区出身の元サッカー選手、サッカー指導者で現役時代のポジションはGK。 城北高等学校から日本文理大学を経て、2000年に関東サッカーリーグに昇格した佐川急便東京SCに加入。翌2001年よりJFL昇格したチームにおいて、至近距離への反応の良さを生かしてレギュラーGKとして活躍し、12月9日の天皇杯3回戦ではJ1の名古屋グランパスエイトを相手に、4-0と圧勝した試合にも出場した。 2002年にプロ経験の豊富な加藤竜二が加入して以降はリザーブとして過ごす時期も長くなったものの、2005年には再度レギュラーGKとしてリーグ戦全試合出場を果たした。
塩澤 敏彦(しおざわ としひこ、1947年3月8日)は、山梨… 塩澤 敏彦(しおざわ としひこ、1947年3月8日)は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手(DF)・サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)、サッカー解説者。 強豪校・城北高校でサッカーを始める。テクニックに難のある塩澤にはポジション獲得は至難の業であったが、俊足と身体能力を買われて左FBのポジションを獲得し、以来現役生活を通じてDFとしてプレー。 明治大学卒業後の1970年にJSLの名古屋相互銀行へ入部するが、名相銀のメンバーは昼は窓口業務や営業をこなす普通の銀行マンで、練習時間は少なく毎年のように入替戦を戦っていた。2年目の1971年にはリーグ最下位となり、12月30日の入替戦で藤和不動産に敗れた結果、会社が休部を発表した。
小畑 穣(こばた みのる、1946年11月24日 - )は、… 小畑 穣(こばた みのる、1946年11月24日 - )は、埼玉県浦和市(現、さいたま市)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 日立製作所などに所属し、日本代表としても1970年のアジア競技大会など、国際Aマッチ13試合に出場した。また、現在はJリーグマッチコミッショナーも務めている。 塩澤敏彦(名古屋相互銀行や永大産業に所属。後に指導者として全日空クラブ等を指揮)とは高校、大学の同級生であった。
大野 毅(おおの たけし、1944年11月22日 - )は、… 大野 毅(おおの たけし、1944年11月22日 - )は、日本出身の元サッカー日本代表選手・指導者。 城北高等学校、早稲田大学第二商学部出身。大学同期に、釜本邦茂や森孝慈がいる。早稲田大学ア式蹴球部時代、DFとして第46回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝に貢献した。 1967年、大学卒業後は東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、サンフレッチェ広島)に所属した。今西和男、丹羽洋介、桑原弘之、川野淳次、国枝強らとフルバック(ディフェンダー)として、あるいはミッドフィールダーとして相手キーマンをマンマークした。また日本代表としても、国際Aマッチ3試合に出場した。 一線を退いたあとはマツダオート広島でリベロとしてプレーした。