スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田中 善則(たなか よしのり、1967年10月1日 - )は… 田中 善則(たなか よしのり、1967年10月1日 - )は、東京都出身の元社会人野球選手(内野手)・監督。右投右打。 1990年代から2000年代にかけて、たくぎん、シダックスで活躍し、昭和第一学園の監督を務めた。 東京都中央区出身。法政一高では2年春の選抜、夏も甲子園に出場、3年夏は西東京大会準決勝で先発登板したが6回コールド負け。その後法政大学に進んだ。野球部の同級生に大島公一、葛西稔がいる。法大時代はリーグ4連覇を経験、自身もベストナインに3度選ばれている。 その後北海道拓殖銀行に入行して野球部で6年間プレーした後、1995年限りで自らの意思で退部したが、当時結成間もなかったシダックスに請われ転籍。
田淵 幸一(たぶち こういち、1946年9月24日 - )は… 田淵 幸一(たぶち こういち、1946年9月24日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)・指導者(監督、コーチ)、野球解説者、野球評論家、タレント。阪神タイガースOB会会長(第6代)。 株式会社タブチエンタープライズ所属(FIRST AGENTにも業務提携で在籍)。ニックネームは「ブチ」「ブッちゃん」「タブタ」「オッサン(東尾修が使用)」。3代目ミスタータイガースとも称される。 現役時代は阪神タイガースの主砲として活躍し、1979年に移籍した西武ライオンズではチームの2年連続リーグ優勝・日本一に貢献した。引退後は福岡ダイエーホークス監督、阪神・楽天のコーチを歴任。また、北京オリンピック野球日本代表ヘッド兼打撃コーチも務めた。
矢島 勝彦(やじま かつひこ、1943年9月12日 - )は… 矢島 勝彦(やじま かつひこ、1943年9月12日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。 法政大一高では、2年生の時に三塁手として1960年春の選抜に出場。2回戦(初戦)でエース木原義隆を擁する海南高を延長11回裏サヨナラで降すが、続く準々決勝では北海高の佐藤進に完封負けを喫する。翌1961年は遊撃手に回り、夏の甲子園にも出場するが、1回戦で関根知雄のいた銚子商に延長12回裏サヨナラ負け。 高校卒業後は、社会人野球の日産自動車に入団。1965年の都市対抗に出場、1966年の産別大会でもダイハツに補強され、本塁打を放つなど活躍。 1966年のドラフト外で近鉄バファローズへ入団。小柄ながら好打攻守、ベース1周を13秒8で走る俊足もあって即戦力として期待された。
山崎 正之(やまざき まさゆき、1938年6月18日 - 1… 山崎 正之(やまざき まさゆき、1938年6月18日 - 1991年11月20日)は、埼玉県出身のプロ野球選手(投手、外野手)。 法政第一高校では、1956年夏の甲子園都予選で準々決勝に進むが、エース並木輝男を擁する日大三高に敗退。卒業後は法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、4年生時の1960年春季リーグにおいて、1年下の新山彰忠と投の二本柱を組んで優勝を飾り、自身もベストナインに選ばれた。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で同志社大のエース山尾孝雄に投げ勝ち、法大の初優勝に貢献。リーグ通算36試合12勝8敗、防御率2.50、87奪三振。同期に捕手の鈴木孝雄、一塁手の田中和男、外野手の山本一義がいる。
中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 - )は… 中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 - )は、毎日オリオンズ に在籍したプロ野球選手(内野手)。 法政一高では1951年春季東京大会で準決勝に進むが、沖山光利のいた明治高に敗退。同年夏の甲子園都予選では3回戦で成城高に惜敗。卒業後は法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、遊撃手として活躍。1955年秋季リーグでは打率.383で首位打者を獲得、ベストナインにも選出された。大学同期に長谷川繁雄がいる。 卒業後は 日本石油に入社。1956年の都市対抗では一番打者としてエース藤田元司を擁し決勝に進出。熊谷組を降しチームを優勝に導く。この時のチームメートに花井悠らがいる。