スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
横澤 丈二(よこざわ じょうじ、1964年11月5日 - )… 横澤 丈二(よこざわ じょうじ、1964年11月5日 - )は、東京都出身の演出家・脚本家・映画監督・俳優・歌手。株式会社ヨコザワ・プロダクション代表取締役。劇団四重奏主宰。日本芸能マネージメント事業者協会会員・日本音楽著作権協会会員。大嶽部屋東京大竜会理事。 日本大学第三中学校・日本大学第三高等学校卒業。高校1年よりクラリネットを北爪利世に師事。日本大学芸術学部を経て、1986年に無名塾に入塾。数々のテレビ・映画・舞台に出演。 1990年、株式会社ヨコザワ・プロダクション設立、ヨコザワ・アクターズ・スタジオ(俳優・声優養成所)を開設。1992年に現在の劇団四重奏を旗揚げ。 映画『エクソシスト』を舞台化するにあたり、原作者である、ウィリアム・ピーター・ブラッティと対談を実現している。
ショー・コスギ(Sho Kosugi、1948年6月17日 … ショー・コスギ(Sho Kosugi、1948年6月17日 - )は、東京都港区出身のアクション映画俳優。 本名は小杉 正一(こすぎ しょういち)。英語・演技・武道を通して国際的な俳優・人格の育成をするショー・コスギ塾(Sho Kosugi Institute、略称:SKI)の塾長でもある(2012年閉校)。 長男のケイン・コスギ、次男のシェイン・コスギも俳優。次男のシェインはショー・コスギ塾日本校のスーパーバイザーも務める。 日本大学第三高等学校在学中、六大学野球に憧れていた。本人曰く「姉に早慶戦を観戦しに初めて連れて行ってもらった時、自分の後ろで慶應義塾大学を応援しているのを聞いていたら、自分の大学じゃないかと勘違いしてしまった」ことで、慶應義塾大学に入学することを強く望んだこともあり慶大を受験するが失敗。
佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年… 佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年〈平成24年〉12月6日)は、日本の俳優。身長173 cm、体重71 kg。 佐賀県神埼郡神埼町(現:神埼市)出身。日本大学第三高等学校卒業。息子は映画監督の佐藤闘介。 4歳の頃に父が戦死し、教員の母の手一つで育てられた。なお佐藤の父親は生前、陸軍の久留米連隊に所属しており、後年に役者として軍人を演じる際は幼少期に見た父親の立ち居振る舞いが大いに影響されているとのこと。 高校卒業後、1953年に俳優座養成所に第4期生として入団。同期には宇津井健・佐藤慶・仲代達矢・中谷一郎らがいる。なお、佐藤、仲代、中谷の3人は、後年に岡本喜八の「喜八一家(ファミリー)」の一員と見なされた。
戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 198… 戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 1981年9月1日)は、日本の俳優、声優。神奈川県鎌倉市出身。東京演劇アンサンブルに所属していた。 1951年に日本大学第三高校を卒業し、俳優座養成所三期生となる。同期には、小山田宗徳や穂積隆信、楠侑子などがいる。 翌1954年、卒業と同時に同期生の本郷淳らと劇団三期会を結成。演劇活動に乗り出す一方、劇団ユニットで『スーパーマン』など多くの吹き替えに出演し声優としても活動。その後はテレビドラマにも出演するようになる。 1967年、劇団三期会を東京演劇アンサンブルと改称し舞台公演を行う一方で声優、俳優としての活動も続け、主に味のある脇役、悪役として助演した。
村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2… 村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2023年11月29日)は、日本の俳優・タレントである。本名は深浦 不二夫。 旧芸名は三村 恭二、三村 俊夫。 東京都出身。旧制日大三中・明治大学商学部卒。新東宝に入社後、1954年に映画『月の光』で俳優デビュー。『遊星王子』(1958年、NTV) の遊星王子 / ワクさん役で有名。 大映を経て、テレビ朝日『アフタヌーンショー』などワイドショー・情報番組のレポーターとして活躍。 1992年7月から9月までテレビ朝日『お昼の独占!女の60分』のメイン司会を担当した。 その後も情報番組のコメンテーター、講演や執筆活動などで活躍している。 2020年2月21日放送のテレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』日本の景気を考えるのコーナーで当時84歳の干しイモ製造の男性が出演。
榊田 敬二(、1900年〈明治33年〉1月15日 - 没年不… 榊田 敬二(、1900年〈明治33年〉1月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優。本名・旧芸名は榊田 敬治(読み同じ)。おもに現代劇に出演し、戦後は東宝特撮に多く出演。 1900年(明治33年)1月15日、秋田県仙北郡大曲町に生まれる。 東京に移り、旧制・赤坂中学校(現在の日本大学第三高等学校)を卒業後、1921年(大正10年)10月、高田馬場に撮影所を持つ小松商会に入社し、『熱火の狼』に出演し、満21歳で映画界にデビューした。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の後、京都に移り、日活大将軍撮影所に入社、1924年(大正13年)7月4日に公開された三枝源次郎監督の『民族の黎明』に出演している。
若山 富三郎()は、日本の俳優・歌手。別芸名は城 健三朗()… 若山 富三郎()は、日本の俳優・歌手。別芸名は城 健三朗()。映画・テレビ映画・演劇で幅広い役柄を演じ、特に殺陣は当代随一の名手と評された。 本名:奥村 勝()。東京府東京市深川区出身。父は長唄三味線の杵屋勝東治、弟は勝新太郎、息子は若山騎一郎、元妻は藤原礼子、甥は俳優の鴈龍。 幼少の頃より弟の勝新太郎とともに長唄の修行を始める。旧制日大三中在学中は1年生を3回落第するほど素行に問題があった。長唄の修行よりも柔道に熱中して師範(伍段)を目指していたといい、「あたしは柔道教師になろうと思ったんです...ええ、講道館の四段で、間もなく五段になるところでした」と語っている。1949年、20歳のときに長唄の和歌山富十郎に弟子入りし、芸名を若山 富三郎とした。