スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
熊谷 裕人(くまがい ひろと、1962年3月23日 - )は… 熊谷 裕人(くまがい ひろと、1962年3月23日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(2期)、参議院文教科学委員長。さいたま市議会議員(3期)を務めた。 埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)生まれ。中央大学附属高等学校、中央大学商学部卒業。ロッテリアで1年間勤務した後、民社党の和田一仁・石田美栄などの衆参国会議員の秘書を長らく務め、その間、1992年の第16回参議院議員通常選挙では民社党の比例名簿下位から立候補したほか(結果は落選)、新進党や民主党の結党に参画した。 2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で岡山4区(石田美栄の衆議院議員時代の地盤)より立候補するも落選。その後池口修次参議院議員の政策担当秘書を務めたのち地元に戻り、2007年、さいたま市議会議員選挙において大宮区選挙区から立候補して初当選。
井澤 邦夫(いざわ くにお、1950年(昭和25年)9月15… 井澤 邦夫(いざわ くにお、1950年(昭和25年)9月15日 - )は、日本の政治家。元東京都国分寺市長(3期)、元国分寺市議会議員(3期)。 東京都国分寺市東恋ヶ窪生まれ。国分寺市立第三小学校、国分寺市立第一中学校、中央大学附属高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、中央大学法学部法律学科卒業。同年4月、東邦生命保険相互会社に就職。1998年(平成10年)からエジソン生命保険相互会社に勤める。2002年(平成14年)、鹿島建設の子会社に転職。2004年(平成16年)12月、同社を退社。 2005年(平成17年)7月3日に行われた国分寺市議会議員補欠選挙に出馬し初当選。市議を3期務める。 2013年(平成25年)5月31日に辞職。
鈴木 陽悦(すずき ようえつ、1949年1月10日 - )は… 鈴木 陽悦(すずき ようえつ、1949年1月10日 - )は、日本の政治家。民主党の元参議院議員(1期)。 秋田県秋田市出身。中央大学付属高等学校[要出典]、中央大学経済学部[要出典]卒業。なお、同郷の小倉智昭は高清水小学校、中央大付属高校の1年先輩である。学生時代からSFファンとして、SF同人誌を主催するなど活発に活動。現在も「秋田SF研究所」特別顧問をつとめる他、SF大会などにゲストとして参加。高千穂遥、永井豪らと交友がある[要出典]。 1971年4月に秋田テレビのアナウンサーとして入社、記者やニュースデスクを経験した他、鹿角市の黒又山の学術調査に携わり、これについての本を出版する。2004年1月に退社して、同年7月、第20回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から民主党と社会民主党の推薦を受け、無所属で立候補して初当選する。
小島 敏男(こじま としお、1939年〈昭和14年〉11月1… 小島 敏男(こじま としお、1939年〈昭和14年〉11月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。立正大学名誉教授。 文部科学副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、防衛庁長官政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院環境委員長、同北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、埼玉県議会議長、埼玉県議会議員(4期)、熊谷市議会議長、熊谷市議会議員(3期)などを歴任。 熊谷市議会議員3期・同議長、埼玉県議会議員4期・同議長を経て、1996年の第41回衆議院議員総選挙に立候補するものの落選。1999年1月、中島洋次郎の議員辞職に伴い、同月21日付で繰上当選。
松平 勇雄(まつだいら いさお、1907年〈明治40年〉6月… 松平 勇雄(まつだいら いさお、1907年〈明治40年〉6月14日 - 2006年〈平成18年〉4月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。参議院議員、福島県知事を務めた。初代参議院議長などを務めた松平恒雄は叔父。東京都文京区の区議の松平雄一郎は孫。 1907年(明治40年)6月14日、伊佐須美神社宮司・松平健雄(松平容保の次男)の次男として福島県大沼郡高田町(会津高田町を経て現・同郡会津美里町)に生まれた。旧制目白中学校(現在の中央大学附属高等学校)を卒業し、1933年(昭和8年)に早稲田大学商学部を卒業した。 三菱商事社員、鉄鋼会社社長を経て、1951年(昭和26年)2月12日の参議院補欠選挙に福島地方区から立候補し初当選。
堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 19… 堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 1974年4月13日)は、日本の鉄道官僚、政治家。参議院議員(2期)、厚生大臣。 三重県松阪市出身。堀木利右衛門の三男として生まれる。目白中学、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年4月に鉄道省に入り、鉄道局書記となり東京鉄道局庶務課文書掛に勤務。鉄道局副参事・新橋運輸事務所営業主任、東京鉄道局運輸課旅客掛長などを歴任。1929年(昭和4年)7月に在外研究員に発令され、1931年(昭和6年)8月まで欧州に出張した。 帰国後、新橋運輸事務所長、大阪鉄道局運輸課長、運輸局旅客課長などを経て、1938年(昭和13年)4月、鉄道大臣秘書官兼大臣官房文書課長に就任し、中島知久平に仕えた。