スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
細川 和彦(ほそかわ かずひこ、1970年12月28日 - … 細川 和彦(ほそかわ かずひこ、1970年12月28日 - )は、茨城県常総市出身のプロゴルファーである。日体荏原高校、日本体育大学卒業。 少年時代は野球やサッカーなどをこなすスポーツ万能選手で、プロ野球選手を夢見ていた。しかし父親からゴルファーになるように言われ、ゴルフの名門日体荏原高校に通学。その後日体大に進学したが、アマチュア時代の実績はほとんどなかった。 1993年プロゴルファーテスト合格。尾崎直道選手に師事。1995年、久光製薬KBCオーガスタゴルフトーナメントで初優勝を飾る。1999年にはゴルフ日本シリーズで公式戦初優勝、ツアー賞金ランキング2位に入るなど、実力派若手選手として脚光を浴びた。
丸山 茂樹(まるやま しげき、1969年9月12日 - )は… 丸山 茂樹(まるやま しげき、1969年9月12日 - )は、千葉県市川市出身のプロゴルファーである。現在はセガサミーホールディングス所属。 父の丸山護はゴルフ愛好家で、息子の素質を見抜き、小さい時から腕を磨かせた。茂樹はその後、高校ゴルフ界の名門・日本体育大学の付属校である日体荏原高に進学し、日本大学経済学部を卒業。日大在学中の1990年、1991年に、日本学生ゴルフ選手権競技で優勝する。1992年にプロ入り。日本ツアー通算10勝は歴代24位タイである。 2015年には、過去の豊富な海外ツアー経験を買われ、翌年に行われる2016年リオデジャネイロオリンピックのゴルフ競技のヘッドコーチに選ばれた。
立山 光広 (たてやま みつひろ 1968年9月7日 - )… 立山 光広 (たてやま みつひろ 1968年9月7日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。 2006年9月21日のアコムインターナショナルの8番パー3で19打を叩く大記録が生まれた。これまでの大叩き記録は15だったので記録を更新した。珍しい記録であり、ギャラリーの注目を集めた。ちなみに1987年に鈴木規夫がつくった42があるがそれは実際に叩いたのではなく9番の欄にアウトの合計を記入したことが原因である。
西川 哲(にしかわ てつ、1968年5月2日 - )は日本の… 西川 哲(にしかわ てつ、1968年5月2日 - )は日本のプロゴルファー。東京都出身。血液型A型。師匠は青木功。 12歳からゴルフを始める。日本体育大学荏原高等学校卒業。同級生に佐藤弘道がいる。 高校卒業後、ゴルフ場で研修生をしながら1年でプロテストに合格。 1991年のマルマンオープンで尾崎健夫とのプレーオフを制し初優勝を飾ると、同年の日本オープンでは首位と1打差の3位タイに食い込む活躍を見せる。 1992年にはブリヂストンオープンで倉本昌弘とのプレーオフに敗れるが、1993年にはデサントクラシックで2勝目を挙げる。1995年の日経カップ 中村寅吉メモリアルで自己ベストの72H最少スコア269(19アンダー)を記録し3勝目を挙げる。
伊澤 利光(いざわ としみつ、1968年3月2日 - )は、… 伊澤 利光(いざわ としみつ、1968年3月2日 - )は、神奈川県鎌倉市出身のプロゴルファー。日本体育大学荏原高等学校、日本体育大学体育学部体育学科3年次中退。 身長169cm。2005年までの登録名は「伊沢利光」だったが、翌年から「伊澤利光」に変更。現在は妻の実家がある福岡県内に在住している。 ゴルフインストラクターである父親の手ほどきを受けて、8歳からゴルフを始める。日体荏原高校卒業後は日本体育大学に進学するが、日本学生ゴルフ選手権競技大会優勝を機に3年で中退し、1989年にプロテストに合格。直後にアメリカへ渡り、PGAツアーの下位ツアーである「ナイキ・ツアー」(当時)に4年間挑戦後1993年に日本へ帰国、尾崎将司に師事し始める。
小林 富士夫(こばやし ふじお、1944年7月15日 - )… 小林 富士夫(こばやし ふじお、1944年7月15日 - )は、神奈川県出身のプロゴルファー。 医療法人光洋会所属 。 日体荏原高校では丸山茂樹・伊沢利光の先輩となるが、小林は野球部の外野手で甲子園を目指し、東京都予選の決勝進出が最高の成績であった。 卒業後は横浜市中央卸売市場本場の仲買人、サラリーマン、トラック運転手などの職を経て、21歳で神奈川県のゴルフ場の管理課職員になったのが、プロを目指すきっかけになった。22歳からゴルフの練習を始め、1970年に26歳でプロテストに合格。 プロ入り当初から手首の腱鞘炎が持病のようになっていたが、地味だがステディなゴルフを身上に活躍。 1975年の関東オープンでは最終日に青木功が6番で10mもの大フックラインを放り込み、これでエンジンがかかったのか、そこから数えて4連続バーディを獲って快進撃をすると、小林も7番でバーディを獲った後の、左へ直角に曲がる8番ロングホールで2オン1パットのイーグル。