スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
廣瀨 隆太(ひろせ りゅうた、2001年4月7日 - )は、… 廣瀨 隆太(ひろせ りゅうた、2001年4月7日 - )は、東京都東久留米市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 慶應義塾幼稚舎1年生の時から野球を始める。慶應義塾普通部在学時は硬式野球のクラブチームである世田谷西リトルシニアに所属していた。 慶應義塾高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年春の第90回記念選抜高等学校野球大会では、彦根東との初戦で9回に代打で出場するも凡退し、チームはそのまま敗れた。同年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会では4番を務めたが、2試合で1安打に留まった。3年夏は神奈川大会4回戦で東海大相模にコールド負けを喫した。高校通算41本塁打。
根岸 辰昇(ねぎし たつのり、2000年9月20日 - )は… 根岸 辰昇(ねぎし たつのり、2000年9月20日 - )は、東京都杉並区出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。ナイスガイ・パートナーズとマネジメント契約。 浜田山小学校1年生で杉並イーグルスで野球を始め、小5から硬式の東京小平ボーイズでプレー。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校卒業。中等部在籍時には軟式野球部に所属していた。高校2年時にダリル・ストロベリーへのあこがれからMLB挑戦を目標に筋道を立てはじめた。チームは第90回選抜高等学校野球大会及び第100回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場を果たす。春はベンチ入りを逃すも、夏はレギュラーの座を掴み「5番・中堅」で出場し北神奈川予選で打率.368、甲子園では2戦連続で適時打を放つなど活躍を見せるも2回戦で高知商業高校に敗退。
正木 智也(まさき ともや、1999年11月5日 - )は、… 正木 智也(まさき ともや、1999年11月5日 - )は、東京都大田区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 大田区立池雪小学校2年生のときから軟式野球を始め、小学5年時に日本代表として台湾遠征を経験した。大田区立雪谷中学校在学時は硬式野球のクラブチームである世田谷西リトルシニアに所属。3年春の全国大会でベスト16に進出した。 慶應義塾高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年春から4番打者を務めた。高校時代は2年夏の神奈川大会準優勝が最高成績で、3年夏は準々決勝で世田谷西リトル時代にともにプレーした渡部遼人擁する桐光学園に敗れた。高校通算50本塁打。
木澤 尚文(きざわ なおふみ、1998年4月25日 - )は… 木澤 尚文(きざわ なおふみ、1998年4月25日 - )は、千葉県船橋市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学校2年生の時に友達から誘われて野球を始める。小学校6年生の時に、千葉ロッテジュニアに選ばれ藤平尚真とチームメイトだった。小学校卒業時には身長は176cmだった。 慶應義塾高校では甲子園出場経験はなく、3年春の県大会で右肘靱帯を損傷し、同年の夏の神奈川県大会決勝では痛み止めを打ち登板していた。 慶應義塾大学時代は2年春に公式戦初登板を果たし、通算成績は23試合登板、7勝2敗、防御率2.98。3年秋には明治神宮野球大会に出場している。投球技術の勉強のため積極的にオンラインサロンに出席したり、全体練習が終わった後は都内のトレーニングジムにも通っていた。
植田 将太(うえだ しょうた、1997年12月18日 - )… 植田 将太(うえだ しょうた、1997年12月18日 - )は、大阪府大東市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校1年生の頃に野球を始め、オール松原ボーイズに所属。当時の監督である光山英和から指導を受けた。 四條畷学園中学校在学中は生駒ボーイズに所属。3年時にはNOMOジャパンに選出された。 高校は慶應義塾高等学校に進学。同期に津留﨑大成、柳町達、1学年後輩に木澤尚文がいる。 大学は津留﨑、柳町とともに慶應義塾大学に進学。同学年に1年時からレギュラーを掴んでいた郡司裕也がいたこともあり、なかなか出場のチャンスは巡ってこなかったが、3年秋のリーグ戦で代打出場し大学初安打を放った。
津留﨑 大成(つるさき たいせい、1997年10月10日 -… 津留﨑 大成(つるさき たいせい、1997年10月10日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 鎌ケ谷市立中部小学校の1年時から中部ユニオンズで野球を始め、6年時には千葉ロッテマリーンズのジュニアチームに選出される。鎌ケ谷市立第二中学校時代は佐倉リトルシニアでプレーし、投手のほかに捕手や内野手も務めた。 慶應義塾高等学校では1年春から公式戦に登板し、2年秋からはエースを担ったが、3年時に右肘の内側側副靱帯を損傷。夏の神奈川県大会準々決勝では強行出場するもチームは敗退し、秋にトミー・ジョン手術を受けた。同期に柳町達、植田将太、1学年下に木澤尚文がいた。
柳町 達(やなぎまち たつる、1997年4月20日 - )は… 柳町 達(やなぎまち たつる、1997年4月20日 - )は、茨城県稲敷市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校1年から新利根エンゼルスで野球を始め、中学校では取手シニアに所属する。中学校では2年時に三塁手として全国大会優勝を経験する。 中学校卒業後は慶應義塾高等学校に進学し、1年春より三塁手のレギュラーを獲得する。甲子園出場経験はない。同期に津留﨑大成、植田将太がいる。 2016年の高校卒業後、津留﨑や植田ともに慶應義塾大学に進学。1年春の東京六大学リーグ開幕戦に出場し、2ランを放つなど活躍し、ベストナインを獲得する。2年の時にJR東日本との練習試合でソフトバンクが板東湧梧(2018年秋のドラフト4位で指名)を視察するために訪れていたスカウトの福山龍太郎の目の前で板東から右翼席へ本塁打を放った。
拓也(たくや、本名・旧登録名:加藤 拓也〈かとう たくや〉、… 拓也(たくや、本名・旧登録名:加藤 拓也〈かとう たくや〉、旧姓:矢崎〈やさき〉、1994年12月31日 - )は、東京都中野区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 プロ入り当初の登録名は「加藤 拓也」だったが、2018年の結婚・改姓を経て、2019年シーズンから登録名を「矢崎 拓也」に変更。2026年シーズンからは名前のみの「拓也」としている(詳細後述)。 中野区立鷺宮小学校の2年時に、白鷺ヘロンズで軟式野球を始める、小学4年時から6年時まではリトルリーグの東京中野リトル、中野区立第八中学校在学中はシニアリーグの杉並シニアに所属していた。杉並シニアまでのポジションは捕手で、堀井翼(格闘家)とバッテリーを組んでいたほか、杉並シニア時代には堀井と揃ってシニアリーグの東京選抜チームへ招集されていた。
山本 泰寛(やまもと やすひろ、1993年10月10日 - … 山本 泰寛(やまもと やすひろ、1993年10月10日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 読売ジャイアンツ(巨人)、阪神タイガース、中日ドラゴンズのセントラル・リーグ3球団に現役選手として在籍した初の人物である。妻は元毎日放送アナウンサーの辻沙穂里。愛称は「ヤス」。 台東区立根岸小学校時代に荒川ジャンプで軟式野球を始めると、荒川区立諏訪台中学校では世田谷西シニアに所属。当時は投手で、世田谷西シニア時代には全国大会での優勝を経験している。 慶應義塾高等学校1年時に投手から遊撃手へ転向すると、2年夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会から正遊撃手に定着した。
谷田成吾(やだ せいご、1993年5月25日 - )は、埼玉… 谷田成吾(やだ せいご、1993年5月25日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(外野手)、経営者。2019年12月19日から2023年1月31日まで、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスの取締役兼球団代表を務めた。2023年5月から2024年3月まで、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の専務理事を務めた。 慶應義塾高校時代に1年次から4番を打ち、高校通算76本塁打。慶應義塾大学時代に東京六大学通算15本塁打を打ち、「高橋由伸2世」とも呼ばれるなど注目された。 大学4年次の2015年にドラフト会議において上位指名が予想されたが、大学の同期である山本泰寛が読売ジャイアンツ、横尾俊建が北海道日本ハムファイターズに指名される中での指名漏れとなった。
佐野川 リョウ(さのがわ リョウ、本名:佐野川 怜、1993… 佐野川 リョウ(さのがわ リョウ、本名:佐野川 怜、1993年4月23日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 フルタイム・ナックルボーラーとして海外野球リーグを渡り歩いたのち、2019年からはオリックス・バファローズのデータ分析部門に在籍していた。 兄の影響で幼少期より野球を始め、小学生時代は村岡フェニックスに所属。中学生時代に所属した中本牧リトルシニアでは投手を希望したものの、チームメイトのレベルの高さや自身の体格の小ささから内野手としてプレーすることになる。そんな折、フルタイム・ナックルボーラーのティム・ウェイクフィールドの投球映像を見たことで、野手をやりながらもナックルボールの習得を独学で目指す。
白村 明弘(はくむら あきひろ、1991年12月11日 - … 白村 明弘(はくむら あきひろ、1991年12月11日 - )は、岐阜県美濃加茂市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投左打。 実父の信幸は日本体育大学硬式野球部のOBで、美濃加茂高校の硬式野球部監督。明弘自身は美濃加茂市立東中学校へ進学後、岐阜ビクトリーズに所属した。同チームでは、中学3年時の夏まで外野手や遊撃手としてプレー。後に投手へ転向したが、ストレートは当時から139km/hを計測した。 中学卒業後は慶應義塾高等学校へ進学し、入学直後から対外試合でベンチ入りを果たすと、1年生ながらストレートで最速142km/hを記録した。2年時の春からは、3季連続甲子園に出場。2年春(第80回選抜高等学校野球大会)と2年夏(第90回全国高等学校野球選手権記念大会)では、同球場のマウンドに立てなかった。
佐藤 友亮(さとう ともあき、1978年6月13日 - )は… 佐藤 友亮(さとう ともあき、1978年6月13日 - )は、神奈川県藤沢市出身の日本の元プロ野球選手(外野手・内野手)・コーチ。2023年から北海道日本ハムファイターズのコーチを務める。 小学校4年の時に内野手として野球を始め、主に一塁手としてプレーする。中学校の入学と同時に投手に転向した。 慶應義塾高等学校ではエース投手として活躍、2年の夏の神奈川大会では決勝戦まで進出したが、日本大学藤沢高等学校に敗れ全国大会出場を逃してしまった。また、この時は非常に珍しい「1番・投手」だった。 慶應義塾大学では1年の春に内野手と投手を務めた。1年の秋には外野手に転向し、主に中堅手としてプレーする。2年の春には首位打者の座を獲得。
森林 貴彦(もりばやし たかひこ、1973年6月7日 - )… 森林 貴彦(もりばやし たかひこ、1973年6月7日 - )は、東京都渋谷区出身の高校野球指導者。小学校教諭。慶應義塾高等学校硬式野球部監督、慶應義塾幼稚舎教諭。 父は株式会社モリバヤシ代表取締役社長の森林和彦。 東京都渋谷区生まれ。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。 現役時代には、遊撃手として活躍し、大学進学後は大学野球部には入部せずに学生コーチとして、慶應義塾高校で指導。 大学卒業後はNTTで一般のサラリーマンとして勤務。その後、高校野球の指導者を志し3年で退職。社会人1年目から高校野球指導者を志し退職を検討していたという。 NTT退職後は、筑波大学に入学。1年目は学部の授業に出席し、大学院の社会人入試に合格したため、2年目から大学院体育研究科コーチ学専攻へ進学。
大槻 文人(おおつき ふみひと、1968年6月12日 - )… 大槻 文人(おおつき ふみひと、1968年6月12日 - )は、日本の元大学野球選手(投手、左投左打)。 東京都出身。慶応高校時代は、切れの良いストレートと落差の大きいカーブを武器に活躍。高校3年時の夏、神奈川県大会では、24年ぶりの甲子園出場が期待されるも、大会途中に部員の不祥事で無念の出場辞退。甲子園出場は幻となった。 慶應義塾大学法学部法律学科に進学後も、野球部に所属。1学年上に大森剛、1学年下に小桧山雅仁、大久保秀昭がいた。卒業後は関西テレビ放送に勤務。スポーツ番組を担当している。
友成 晋也(ともなり しんや、Shinya Tomonari… 友成 晋也(ともなり しんや、Shinya Tomonari、1964年7月16日 - )は、東京都出身の野球指導者。一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構、Japan-Africa Baseball&Softball Foundation(J-ABS)代表理事。 10歳から野球を始め、慶應義塾高等学校野球部時代は遊撃手、慶應義塾大学体育会野球部では二塁手を務める。大学野球部は在籍中に2度日本一になるなど黄金時代だった。慶應義塾大学経済学部を卒業後、リクルートコスモス社を経て、独立行政法人国際協力機構(JICA)へ入構。1996年、西アフリカのJICAガーナ事務所へ赴任、仕事の傍らガーナナショナル野球チーム初の監督に就任しシドニーオリンピックを目指す。
鬼嶋 一司(きじま かずし、1956年1月5日 - )は、元… 鬼嶋 一司(きじま かずし、1956年1月5日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者・実業家である。扶桑電機株式会社代表取締役社長、元慶應義塾大学野球部監督。 慶應義塾普通部を卒業後、慶應義塾高等学校では捕手として活躍、2年秋は県大会準決勝まで進むが横浜高の永川英植に完投されて敗退。卒業後は慶應義塾大学に入学。1学年後輩に堀場秀孝がいたためレギュラーには定着できなかった。 大学卒業後は社会人野球の川崎製鉄千葉に入社。1980年の都市対抗野球に正捕手として出場し、ベスト8。1984年の都市対抗野球へ出場を果たして引退し、その年から監督に就任。自身が選手時代に控え捕手であった大野雄次を4番として抜擢し、1986年の都市対抗野球へ出場。
宇賀山 徹(うがやま とおる、1945年 - )は、神奈川県… 宇賀山 徹(うがやま とおる、1945年 - )は、神奈川県出身のアマチュア野球選手(一塁手)。 慶應義塾高等学校では左翼手として1963年夏の甲子園県予選決勝に進む。エース井上健仁(東映)を擁する横浜高と対戦。接戦となるが佐野勝稔に適時打を喫するなど3-5で敗退、甲子園出場はならなかった。 卒業後は慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは一塁手として活躍。同期のエース藤原真を擁し1967年春季リーグで優勝、直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で中大の宮本幸信に抑えられ準優勝にとどまる。同年秋季リーグでは打率.424で首位打者を獲得した。ベストナインに2回選出される。 大学卒業後は日本鋼管に入社。
渡辺 泰輔 (わたなべ たいすけ、1942年7月13日 - … 渡辺 泰輔 (わたなべ たいすけ、1942年7月13日 - 2023年12月20日)は、福岡県直方市出身のプロ野球選手(投手)。パームボールが武器。 福岡県出身ながら神奈川県の慶應義塾高校に進学したのは、当時八幡製鐵の監督だった加藤喜作が母校・慶應義塾大学に入れるため説得したもの。2年生の時、1959年の夏の甲子園県予選決勝に進むが、法政二高に敗れる。秋季関東地区大会で優勝し、翌1960年の春の選抜に出場。準々決勝まで進出し、今川敬三投手(早大)を擁する秋田商と対戦するが、延長11回1-2で敗退。同年夏は県予選準決勝で横浜商を相手にノーヒットノーランを達成。しかし決勝では法政二高の柴田勲と投げ合い、延長11回の激闘の末敗れる。
平光 清(ひらこう きよし、1938年7月15日 - 201… 平光 清(ひらこう きよし、1938年7月15日 - 2011年8月9日)は、東京都大田区出身の元プロ野球審判員、野球解説者。大学野球、プロ野球選手経験は無い。通称「先生」「審判先生」。
赤木 健一(あかぎ けんいち、1936年9月28日 - )は… 赤木 健一(あかぎ けんいち、1936年9月28日 - )は、兵庫県城崎郡国府村(現在の豊岡市)生まれの元プロ野球選手。 兵庫県城崎郡国府村(現在の豊岡市)で生まれ、東京都で育った。隣家の植村直己とは少年時代、遊び仲間だった。 慶應義塾高校では1954年夏の甲子園県予選3回戦で希望ヶ丘高に敗退。慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1956年秋季リーグで優勝を経験。1958年春季リーグでは打率.404で首位打者を獲得、同年は春秋季ともベストナイン(外野手)受賞。1955年には第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学野球リーグ選抜チーム)に選出された。リーグ通算59試合出場、170打数51安打、打率.300、2本塁打。