スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
碓井 聖生(うすい しょうせい、2001年7月20日 - )… 碓井 聖生(うすい しょうせい、2001年7月20日 - )は、富山県中新川郡上市町出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アビスパ福岡所属。ポジションはフォワード(FW)。 中京大学在学中の2023年8月にカターレ富山の2024年からの加入と2023年の特別指定選手の認定を発表した。 2023年8月19日の福島ユナイテッドFC戦でリーグデビュー。 2024年のJ3開幕戦のY.S.C.C.横浜戦で先制点を挙げ、プロ初ゴールを記録。JリーグカップではJ2の山形、J1の札幌を相手に得点を挙げるなど、シーズン通して主力として活躍。リーグ戦には全38試合に出場、9得点を挙げ、チームのJ2昇格プレーオフ進出に貢献した。
小森飛絢(こもり ひいろ、2000年8月6日 - )は、富山… 小森飛絢(こもり ひいろ、2000年8月6日 - )は、富山県滑川市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはフォワード(FW)。 富山第一高等学校3年時には全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会で得点王を獲得。新潟医療福祉大学では北信越大学サッカーリーグで3年連続で得点王を獲得した。 大学在籍中の2022年7月、2023年からのジェフユナイテッド千葉加入が内定し、翌8月に特別指定選手として承認された。9月3日のJ2リーグ34節・V・ファーレン長崎戦で途中出場し、トップチームデビューを果たした。 2023年2月18日、シーズン開幕戦となったアウェイの長崎戦にて52分に自身プロ初ゴールとなる試合の決勝点を挙げ、1-0での勝利に貢献した。
坪井 清志郎(つぼい きよしろう、2000年2月1日 - )… 坪井 清志郎(つぼい きよしろう、2000年2月1日 - )は、富山県南砺市出身のプロサッカー選手。カターレ富山所属。ポジションは、フォワード(FW)。 川崎市に住んでいた小学校1年生からサッカーを始めた。小学校2年時に南砺市へ転入し、井波サッカースポーツ少年団に入団。中学校時代はカターレ富山U-15でプレーしたがU-18に昇格できず、富山第一高校へ進学。高校3年次のプリンスリーグ北信越では24得点を上げて得点王となり、チームの優勝に貢献した。 2018年より、徳島ヴォルティスへ加入。 2019年より、ブラウブリッツ秋田へ育成型期限付き移籍した。 2020年、JFLに昇格した高知ユナイテッドSCに育成型期限付き移籍。
西村 拓真(にしむら たくま、1996年10月22日 - )… 西村 拓真(にしむら たくま、1996年10月22日 - )は、愛知県名古屋市名東区出身のプロサッカー選手。 Jリーグ・FC町田ゼルビア所属。 ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 4歳のときにサッカーを始める。中学生のときには愛知県選抜に選出された。2012年、父方の祖母が住む富山県の富山第一高等学校が当時高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグに所属していたことから同校へ進学(祖母宅から通学)、同年のぎふ清流国体サッカー少年男子に富山県代表として選出された。高校2年時にはU-17北信越選抜に名を連ね、第92回全国高等学校サッカー選手権大会では同校および富山県勢初優勝に貢献、優秀選手にも選ばれた。
大塚 翔(おおつか しょう、1995年7月25日 - )は、… 大塚 翔(おおつか しょう、1995年7月25日 - )は、富山県富山市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 元サッカー選手で、現サッカー指導者であり、サッカーモンゴル代表監督を務める大塚一朗は実父。 父親の大塚一朗が監督を務める富山第一高校では3年次に主将としてチームを牽引し、全国高校サッカー選手権で同校の初優勝に貢献した。進学した関西学院大学では4年間Bチームで主にプレーした。 2018年、FC琉球へ加入。同年12月2日に地元の富山県総合運動公園陸上競技場で行われた、J3リーグ第34節(最終節)・カターレ富山戦で途中出場し、プロデビューを果たした。 2019年12月3日、契約満了を迎えFC琉球を退団。
中田 大貴(なかだ ひろき、1992年11月4日 - )は、… 中田 大貴(なかだ ひろき、1992年11月4日 - )は、富山県富山市出身の元サッカー選手。ポジションは、フォワード、ミッドフィールダー。 富山第一高校を卒業後、新潟医療福祉大学へ進学。3年時、デンソーカップチャレンジサッカーの東海・北信越選抜に選出された。 在学中の2014年9月より、カターレ富山に特別指定選手として選手登録。同月28日の第34節アビスパ福岡戦でJリーグ初出場した。 2015年より富山に正式に加入。同年8月よりアミティエSC京都へ期限付き移籍。 2016年シーズン終了をもって契約を満了、ヴァンラーレ八戸へ完全移籍。 2018年、ヴァンラーレ八戸を退団。 2021年12月21日、現役引退が発表された。
森 泰次郎(もり たいじろう、1991年12月8日 - )は… 森 泰次郎(もり たいじろう、1991年12月8日 - )は、富山県富山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 富山北FCでは大﨑淳矢と共にプレーし、2003年の全日本少年サッカー大会で準優勝した経験を持つ。2009年12月10日、カターレ富山への2010年シーズンからの入団が発表された。カターレ富山ではクラブ創設以来初となる地元出身の新卒選手である。 2014年、JFL・佐川印刷京都へ期限付き移籍。9月、富山へ復帰した。 2015年シーズン終了をもって富山を退団した。 2020年6月17日、富山新庄クラブへ完全移籍により加入した。また、富山市内でサッカースクールを開設した。
高橋 駿太(たかはし しゅんた、1989年2月9日 - )は… 高橋 駿太(たかはし しゅんた、1989年2月9日 - )は、富山県射水市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 元日本代表FW柳沢敦を輩出した名門富山第一高等学校時代に3年連続で全国高等学校サッカー選手権大会に出場。U-17日本代表にも選出。 2007年、J2モンテディオ山形に入団。ディフェンスの裏へ飛び出すプレーが得意でFW不足に悩む山形にとっては期待の新人だった[独自研究?]が、豊田陽平や長谷川悠とのFW争いに割って入ることができず出場機会のないまま2008年限りで戦力外となった。ベンチ入りも2年間でわずか1試合だけだった。[要出典] 2009年に、当時関東リーグに所属していた日立栃木ウーヴァSCへ移籍。
明堂 和也(みょうどう かずや、1986年4月4日 - )は… 明堂 和也(みょうどう かずや、1986年4月4日 - )は、富山県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーとフォワード。 富山第一高校を卒業後、J1・アルビレックス新潟の下部組織である北信越フットボールリーグのJAPANサッカーカレッジに加入。 2006年は同じく新潟の下部組織であるシンガポールリーグのアルビレックス新潟シンガポールに移籍したが、2007年にJAPANサッカーカレッジに復帰。2008年には背番号11番を背負い、14試合に出場し8得点を挙げ活躍した。 2009年、アルビレックス新潟のトップチームに入団。この年に新潟に入団した大卒選手は、東口順昭・三門雄大がいる。
中島 裕希(なかしま ゆうき、1984年6月16日 - )は… 中島 裕希(なかしま ゆうき、1984年6月16日 - )は、富山県高岡市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・カターレ富山所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 妻はタレントの丸居沙矢香。 2003年に鹿島アントラーズに入団。当時の鹿島には柳沢敦、鈴木隆行、田代有三らFW陣の層が厚く、出場機会を得られなかった。 鹿島OBで親交があり、ベガルタ仙台の手倉森誠コーチ(当時)からオファーを受け、2006年、仙台に期限付き移籍。仙台ではMFロペス、FW萬代宏樹、FW中原貴之とのコンビネーションで翌2007年にかけて71試合15ゴールの成績を残し、2008年から仙台に完全移籍。 2010年のJ1昇格直後こそスタメンを確保していたが、チームの得点力不足が深刻で自身も極端なスランプに陥り、後半にはFC東京から移籍してきた赤嶺真吾や好調のフェルナンジーニョ、太田吉彰にポジションを奪われ、守備固めのフォーメーションのみの起用となって出場機会を失い、去就が注目されたが結局残留した。
西野 泰正(にしの やすまさ、1982年9月14日 - )は… 西野 泰正(にしの やすまさ、1982年9月14日 - )は、富山県富山市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはDF、FW。 富山第一高校で第78・79回全国高校サッカー選手権大会に出場し、2年連続でベスト4入りした。また、各年代別代表に選ばれたことがある。 2001年にFWとしてジュビロ磐田に入団したが、リーグ戦では4シーズンで1得点しか記録できず、2005年に清水エスパルスへ期限付き移籍。 2007年にJ2(当時)の京都サンガF.C.へ完全移籍。J2ではFWとして重用されたが、J1へ昇格してからは無得点に終わったことから、FWに見切りをつけ、身体能力を生かしDFヘ転向することになった。
石黒 智久(いしぐろ ともひさ、1981年4月27日 - )… 石黒 智久(いしぐろ ともひさ、1981年4月27日 - )は、富山県射水市(旧新湊市)出身 のサッカー選手。ポジションはFW。 富山第一高等学校のFWとして出場した1999年度の高校サッカー選手権で、敗退した準決勝までの4試合で当時の大会最多得点記録となる9ゴールを挙げ、大会得点王となった。 愛知学院大学に進学し1年時からレギュラーとなりユニバーシアード代表候補にも選ばれたがプロからの誘いはなく、2004年に出身地の富山県に本拠地を置くYKK APに入社と同時にYKK APサッカー部(JFL所属)に加入。2008年にアローズ北陸と統合しカターレ富山としてJリーグ参入が決まり入団(YKK AP出身選手は統合後3年間は出向扱いの社員選手で、その後プロか社業に戻るか選択できた。
小田切 道治(おたぎり みちはる、1978年9月2日 - )… 小田切 道治(おたぎり みちはる、1978年9月2日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 石川県金沢市で生まれ、小学校から富山県富山市に移り住んだ。富山第一高校時代は、一学年上の柳沢敦と共に第74回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。卒業後、京都パープルサンガ (現:京都サンガF.C.)に入団。 その後、いくつかのチームを渡り歩いた後、2004年からJFL所属のYKK APに所属。チームの合併に伴いカターレ富山に加入し、2009年にチームがJリーグに加盟したことで10年ぶりにJリーグの舞台でプレーすることとなった。2009年シーズン終了をもって現役を引退。
柳沢 敦(やなぎさわ あつし、1977年5月27日 - )は… 柳沢 敦(やなぎさわ あつし、1977年5月27日 - )は、富山県射水郡小杉町(現・射水市)出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時のポジションは主にフォワード(FW)。元日本代表。 J1リーグ在籍17年連続ゴールのリーグ記録を持つ(2014年時点)。2002年と2006年にはFIFAワールドカップを経験している。 妻はモデルの小畑由香里。 1977年生まれ。当時父親は地元の運送会社に勤めていたが、後にラーメン店を開いた。柳沢は小学校1年になると小杉SSCに入団してサッカーを始め、中学時代にはFCひがしジュニアユースに所属し、U-15日本代表に選出されている。富山第一高等学校では3年連続で国体および高校総体への出場を経験し、高校3年時の高校選手権では超高校級選手として大会の目玉となりJリーグのスカウトの注目を集めた。
荒谷 弘樹(あらたに ひろき、1975年8月6日 - )は、… 荒谷 弘樹(あらたに ひろき、1975年8月6日 - )は、富山県高岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 元日本代表FW柳沢敦は高校の2期後輩にあたる。高校卒業後1994年に浦和レッドダイヤモンズに入団。しかし田北雄気・土田尚史の前に出場機会は全くなく、1998年に川崎フロンターレに期限付き移籍 するも浦上壮史の控えに終わる。1999年に大宮アルディージャに移籍したがここでも白井淳の控えとなり、正GKはおろか第2GKすらままならない時期が続いた。 しかし白井引退後の2002年に公式戦初出場するとその年12試合に出場して徐々に頭角を現す。2003年は川島永嗣にポジションを奪われるが、川島が名古屋グランパスエイトに移籍した2004年からは完全に正GKの座を射止め、ようやく「守護神」と呼ばれるようになった。
大塚 一朗(おおつか いちろう、1964年11月3日 - )… 大塚 一朗(おおつか いちろう、1964年11月3日 - )は、富山県富山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカーモンゴル代表監督を務める。 9歳からサッカーを始め、富山第一高校、法政大学と進み、古河電工に入社した。チームメイトに岡田武史や奥寺康彦がいた。2年プレーして引退。 1989年に渡英し、当時古河電工サッカー部と提携関係にあったウェストハム・ユナイテッドFCで1年間に亘り指導者について学び、イングランドのインターナショナルライセンス(18歳以下のチームの指揮が可能)を取得した。 1990年に帰国し、アローズ北陸のコーチに就任。在任中の1995年、第50回ふくしま国体において富山県選抜チームの監督兼選手として出場し、初優勝を果たした。