スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中村 来生(なかむら らいせい、2003年5月6日 - )は… 中村 来生(なかむら らいせい、2003年5月6日 - )は、富山県高岡市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。 高岡市立志貴野中学校時代は軟式野球部に所属。 高岡第一高等学校では、2年生の秋季大会前に腰椎分離症を発症しベンチ入りメンバーから外れた。その年の冬は体力作りに励み、3年の春季県大会でエースとして復帰。1回戦で滑川を完封するなど県大会優勝に大きく貢献したが、続けて出場した春季北信越大会は初戦で新潟明訓にコールド負けを喫した。夏の県大会は決勝に進出し、40年ぶりの夏出場にあと1歩まで近づいたが、決勝で高岡商に敗れ甲子園出場はならなかった。 2021年10月11日に開催されたプロ野球ドラフト会議では、広島東洋カープから育成選手ドラフト3位指名を受け、支度金290万円・年俸250万円という条件で入団した(金額は推定)。
森本 龍弥(もりもと たつや、1994年6月12日 - )は… 森本 龍弥(もりもと たつや、1994年6月12日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。血液型はO型。 小学1年時から軟式野球を始めると、中学生時代は大阪府内の硬式野球チームに所属した。 中学校を卒業後に、富山県の高岡第一高校へ進学。在学中は甲子園球場の全国大会と無縁であったが、対外試合で通算33本塁打を記録した。 2012年のNPBドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから2巡目で指名。契約金5,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は24。 2013年には、イースタン・リーグ公式戦94試合の出場で、1本塁打、14打点をマーク。規定打席に到達したが、打率は.130で、規定打席に到達した23選手で最も低かった。
金平 将至(かねひら まさし、1991年3月24日 - )は… 金平 将至(かねひら まさし、1991年3月24日 - )は、京都府舞鶴市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校2年から野球を始めると、中学校時代は舞鶴ベースボールクラブに所属。高岡第一高等学校進学後は1年からベンチ入り。2年の秋季富山県大会3回戦入善高等学校戦で、富山県新記録となる11連続奪三振を記録。この大会38回を投げ、59奪三振を記録し北陸のドクターKとして注目される。 北信越地区大会は準決勝で丸子修学館高等学校に破れ、4強入り。3年夏は富山県大会準決勝で西野勇士を擁する新湊高等学校に延長戦で惜しくも敗れ、甲子園出場は1度も無かった。高校での実績をスカウトは評価したが、プロ志望届は提出せず、東海理化に入社。
矢地 健人(やち けんと、1988年1月15日 - )は、 … 矢地 健人(やち けんと、1988年1月15日 - )は、 富山県新湊市(現在の射水市)出身の元プロ野球選手(投手)。 高岡第一高時代は、3年次の夏に県大会準優勝となる。在学中の甲子園出場は果たせなかった。 高校卒業後は、高岡法科大学に進学し北陸大学野球連盟に加盟している硬式野球部でプレー。4年次には、春季リーグ戦で防御率0.69で10年振りの優勝に貢献、秋はベストナインを受賞。 2009年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから育成1巡目で指名を受けたことを機に、育成選手として入団した。背番号は212。 2010年には、春季キャンプやオープン戦などで高い評価を受けたことから、公式戦開幕直後の4月5日に支配下選手登録へ移行。
山上 直輝(やまがみ なおき、1983年7月29日 - )は… 山上 直輝(やまがみ なおき、1983年7月29日 - )は、京都府舞鶴市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。 小学4年生の頃から野球を始め、中学はボーイズリーグの舞鶴ベースボールクラブに所属。高岡第一高等高校へ進学。中学・高校チームメイトには中日ドラゴンズ・阪神タイガースでプレーした髙橋聡文がいる。高校卒業後は高岡法科大学硬式野球部へ。2年秋から主戦として登板したが目立った成績はない。 大学卒業後、北陸銀行野球部を前身とする社会人野球クラブチーム・富山ベースボールクラブでプレー。その後、トライアウトを経て元西武ライオンズの竹内和也が監督を務める京都ファイアーバーズへ移籍。 2010年に関西独立リーグ (初代)・神戸9クルーズに入団した。
髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )… 髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )は、福井県大飯郡高浜町出身の元プロ野球選手(投手)、少年野球指導者、YouTuber。左投左打。愛称は「アッキー」。 実家は明治38年創業の和菓子屋『大次郎』を営み、父が3代目社長で現在は兄が継いでいる。 その後、富山県の高岡第一高等学校に進学し、2年の時に第72回選抜高等学校野球大会に出場した。1回戦の国士舘戦は、3番右翼手で先発出場したが、小島紳二郎に完封負けを喫した。打撃にも定評があり、中日のスカウトが高校へ髙橋の投球練習を見に行った際に、その時行われていた練習試合で髙橋は登板しなかったが(ケガをしていたとも言われている)、監督が「バッティングも良いものを持ってますから」と急遽、代打で髙橋を出したところ、初球を右翼席へ本塁打を放ち、「投手でダメだったら打者でもいける」と評価された。
髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )… 髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )は、阪神タイガースに所属する福井県大飯郡高浜町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
田畑 一也(たばた かずや、1969年2月27日 - )は、… 田畑 一也(たばた かずや、1969年2月27日 - )は、富山県高岡市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。 プロ入り直前までは実家で大工として働いており、遊びでプロ球団の入団テストを受験したところ合格、入団したというプロ野球選手としては異色の経歴の持ち主。 高岡市西広上で、5人家族の末子として生まれる。両親はバレーボールやバスケットボールを嗜み、姉は陸上競技の五種競技、兄はバレーボール選手というスポーツ一家だったが、野球経験者はいなかった。少年時代から三角ベースの野球に夢中になっており、高岡市立二塚小学校、高岡市立芳野中学校を卒業した。中学時代には野手だったが、高校進学後に投手に転向した。 高岡第一高等学校では県内屈指の本格派として活躍。
村本 忠秀(むらもと ただひで、1964年9月5日 - )は… 村本 忠秀(むらもと ただひで、1964年9月5日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは捕手。 高岡第一高校では2年生の時に1981年の夏の甲子園に出場した経験がある。卒業後には駒澤大学に入学する。同期に新谷博、2年下に野村謙二郎がいた。 大学卒業後は社会人野球のNTT関西チームに入団する。1998年から2年間、NTT関西の監督を務めた。チームの再編成により、NTT西日本のコーチを務めた後に、2001年から2006年までに同チームの監督を務め、脇谷亮太や岸田護らを指導した。 その後は、2008年から2016年まで日本放送協会で高校野球解説者を務めた。 2016年春からは母校の高岡第一高校の監督を務めており、2020年の富山県高野連主催の「TOYAMA2020高校野球大会」では優勝を果たした。
森 隆峰(もり りゅうほう、1961年8月16日 - )は、… 森 隆峰(もり りゅうほう、1961年8月16日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 野球留学で進んだ高岡第一高では1年夏の県大会準決勝を経て甲子園出場をかけた北陸大会決勝へ進むが星稜高の小松辰雄に完封負け、2年秋の県大会で優勝すると北信越大会では準々決勝で鯖江高の杉永政信を相手に延長13回で勝利したが、準決勝で敗れた。1979年オフにドラフト外で兄で投手の森宝生とともに西武ライオンズに入団。担当スカウト日野茂。 1歳上の宝生は愛知高からの再入学であったため、3年時は公式戦に出場できなかったが卒業と同時に揃ってのプロ入りとなった。 一軍出場が無いまま1981年オフに自由契約となった。