スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小林 雅英(こばやし まさひで、1974年5月24日 - )… 小林 雅英(こばやし まさひで、1974年5月24日 - )は、山梨県大月市大月町真木出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ、野球解説者。マネジメント会社は株式会社レガシージャパン。 投手として千葉ロッテマリーンズでは1度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献している。個人ではNPBで合計1個のタイトルを獲得している。 愛称は「コバマサ」。千葉ロッテマリーンズ時代は「幕張の防波堤」の異名を取った。 2013年からオリックス・バファローズの二軍投手コーチを務め、2015年から2018年まで千葉ロッテマリーンズの一軍投手コーチを務めた。 アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 大月市立大月西小学校、大月市立大月東中学校卒業。
輿石 重弘(こしいし しげひろ、1963年5月21日 - )… 輿石 重弘(こしいし しげひろ、1963年5月21日 - )は、山梨県大月市出身の日本の高校野球指導者、社会科教諭、ノースアジア大学明桜高等学校(秋田県)社会科教諭・野球部監督である。 帝京第三高等学校で27年間指導し、のち明桜高等学校を率いて全国高等学校野球選手権大会に複数回出場した。 多数の教え子をプロ野球選手(10名以上)、独立リーグ・社会人野球に輩出した。 山梨県大月市に生まれる。都留高等学校を経て明治大学を卒業。1985年、母校・都留高等学校に常勤講師として赴任し、野球部監督として指導者の道を歩み始めた。 1989年、帝京第三高等学校(山梨県)に社会科教員として赴任。硬式野球部の監督・部長・コーチを歴任し、約27年間にわたり野球部を指導した。
西村 一孔(にしむら かずのり、1935年10月11日 - … 西村 一孔(にしむら かずのり、1935年10月11日 - 1999年3月1日)は、山梨県北都留郡富浜村(現・大月市富浜町)のプロ野球選手(投手)。愛称は、名前を音読みした「いっこう」。また、「西村一」とも書かれる。この愛称及び表記は、1955年シーズンに、同姓の西村孜(にしむら つとむ)投手が阪神に在籍していたためである。 初年度の華々しい活躍と、翌年以降の故障による選手生命の途絶から、阪神タイガースファンや関係者の間で『1年で散った伝説の剛腕投手』として語られる選手である。 山梨県北都留郡富浜村(現・大月市富浜町)の出身。山梨県立都留高等学校では、2年次に1952年の夏の甲子園に捕手兼控え投手として出場した。
矢頭 高雄(やとう たかお、1934年6月25日 - 200… 矢頭 高雄(やとう たかお、1934年6月25日 - 2003年3月9日)は、日本のプロ野球選手(外野手、三塁手)。 山梨県大月市出身。都留高校では、1952年の夏の甲子園にエースとして出場。この時にバッテリーを組んだのは、1歳年下で、後に投手として大阪タイガースに入団し、新人王になった西村一孔であった。この甲子園では、1回戦で豊田泰光を擁する水戸商に敗れた。 高校卒業後は立教大学へ進学し野手へ転向。東京六大学野球リーグでは1953年春季リーグで優勝を経験するが、その後は明大、早大に圧倒され優勝には届かなかった。4年生時には主将を務めた。大学同期に東実、堀本律雄、1年下に長嶋茂雄、杉浦忠らがいる。