濱口 高彰(はまぐち たかあき、1968年2月26日 - )… 濱口 高彰(はまぐち たかあき、1968年2月26日 - )は、日本の元競輪選手、新聞記者。愛知県名古屋市出身(出生は三重県)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第59期生。現役時代は日本競輪選手会岐阜支部所属、ホームバンクは岐阜競輪場であった。初出走は1987年5月2日の福井競輪場(8着)。初勝利は同月25日の熊本競輪場。 ニックネームは「ハマちゃん」・「中部の総帥」・「中部の司令塔」。 自転車競技を行うために岐阜県立岐南工業高等学校へ入学し、卒業後は競輪学校に第59期生として入学。デビュー後は順調にトップクラスへ駆け上がり、特別競輪の決勝に勝ち上がるなど徐々に知名度を上げていった。 やがて1997年の第50回日本選手権競輪の決勝で、逃げる山田裕仁の番手から抜け出して特別初優勝を果たし、この時の優勝インタビューにおいて「この優勝を期に、特別競輪の優勝は中部でたらいまわしにします」と豪語したことが話題となったが、その後の中部勢の活躍のきっかけとなったことを見る限り、実に的を射た言葉となった。
