スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
青島 心(あおしま こころ、1999年5月19日 - )は、… 青島 心(あおしま こころ、1999年5月19日 - )は、日本の女優、女性モデル。静岡県出身。東宝芸能所属。 2011年実施の「第7回東宝シンデレラオーディション」に応募し入賞は逃したが、事務所サイドから声がかかり、東宝芸能に所属することになる。 2015年、「第23回ピチレモン専属モデルオーディション」でグランプリを獲得し、モデルとしての活動を開始した。『ピチレモン』(学研プラス)は同年12月号をもって休刊となったが、12月に復刊された『ラブベリー』(徳間書店)に移籍。 2017年1月6日から放送のテレビドラマ『絶狼-ZERO- -DRAGON BLOOD-』(テレビ東京)で、初めてのドラマ出演ながらヒロイン役に起用された。
アンドーひであき(本名:浅岡 英昭(あさおか ひであき)、1… アンドーひであき(本名:浅岡 英昭(あさおか ひであき)、1984年6月20日 - )は、日本のお笑いタレント、ものまねタレント。現在株式会社オフィスK所属。 静岡市葵区出身。静岡県立静岡工業高等学校(現・静岡県立科学技術高等学校)卒業 → デザイン系専門学校卒業。高校生時代は部活は野球部に所属。専門学校卒業後は印刷会社に就職。会社を辞めた後上京し、2012年4月に芸能界デビュー。R-1ぐらんぷり2013では、初出場にして初の決勝戦進出。2013年2月12日の決勝戦放送(関西テレビ・フジテレビ系)が、実質テレビデビューとなった。一切台詞を出さず音響だけでネタを演じ、Cブロックを勝ち抜きファイナルステージ進出、そしてヒューマン中村と並び準優勝となった。
市川 大祐(いちかわ だいすけ、1980年5月14日 - )… 市川 大祐(いちかわ だいすけ、1980年5月14日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。日本代表にも選出され、2002 FIFAワールドカップに出場した。「17歳322日」という日本代表最年少出場記録を持つ(2019年時点)。 清水のジュニアユース時代の1995年に開催されたメニコンカップ クラブユース東西対抗戦に出場して最優秀選手を獲得。また、ユース年代の日本代表に選出された。 Jリーグデビューは、静岡県立清水工業高等学校2年から3年に進級する17歳のときで、1998年3月21日の日本平スタジアムでのコンサドーレ札幌戦。同年11月14日のジェフユナイテッド市原戦で初ゴールを決めた。
ハリウッドザコシショウ(本名:中澤 滋紀〈なかざわ しげき〉… ハリウッドザコシショウ(本名:中澤 滋紀〈なかざわ しげき〉、1974年〈昭和49年〉2月13日 - )は、日本のピン芸人。R-1ぐらんぷり2016優勝者。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。吉本興業(1993年 - 1999年)、ワタナベエンターテインメント(2002年)、フリー(2000年 - 2001年・2003年 - 2004年)を経て、2005年以降はソニー・ミュージックアーティスツ(SMA NEET Project)所属。 旧芸名はザコシショウ(「雑魚の中の師匠」に由来し、コンビ時代の相方の学生時代のあだ名を拝借したもの。活動初期には「ザコ師匠」表記も用いた)。「ザコ シショウ」の表記は、現芸名への改名後も略表記として用いられている。
松本 光一(まつもと こういち、1967年7月31日 - )… 松本 光一(まつもと こういち、1967年7月31日 - )は、日本の実業家。株式会社TENGAの代表取締役社長。静岡県焼津市出身。 1967年生まれ。静岡県焼津市出身。スーパーカーブームにより、幼少期の頃から車に興味を持っていた。改造車がたくさん登場する映画『マッドマックス』(ワーナー・ブラザーズ)の影響を受け、中学生の頃から車関係の仕事を希望する。中学卒業後は就職希望で、在学中に様々な車工場を見て回ったが、当時はエンジンがキャブレターからインジェクションを使用したコンピューター制御への移行時期だったのに対し、現場の人は「コンピューターについてよくわからない」と話していたことから、コンピューターについて学ぶ必要性を感じ、静岡県立静岡工業高等学校電子科に進学。
田代 卓(たしろ たく、1959年 - )は、日本のイラスト… 田代 卓(たしろ たく、1959年 - )は、日本のイラストレーター、アートディレクター。東京都出身。桑沢デザイン研究所卒業。有限会社田代卓事務所社長。日本ネーミング協会理事。2016年より九州産業大学芸術学部教授。
吉田 弘(よしだ ひろし、1958年2月11日 - )は、静… 吉田 弘(よしだ ひろし、1958年2月11日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県立静岡工業高等学校時代は攻撃的MFとしてプレー。3年次の全国高等学校サッカー選手権大会では石神良訓らと共に準優勝に貢献。 1980年に古河電工に加入。日本サッカーリーグにおいて2度の得点王(1981年、1985年)を獲得するなど、同サッカー部のエースストライカーとして活躍した。また日本代表としても1982年のアジア競技大会など、国際Aマッチ9試合に出場1得点を記録している。しかし1985年のリーグ戦は好調だったにも関わらず、1986 FIFAワールドカップ・アジア予選のメンバーに招集される事はなかった。
石神 良訓(いしがみ よしのり、1957年11月4日 - )… 石神 良訓(いしがみ よしのり、1957年11月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカー選手の石神幸征は甥にあたる。 静岡県立静岡工業高等学校時代に吉田弘と共に高校サッカー選手権準優勝。卒業後の1976年、当時の静岡県リーグ1部のヤマハ発動機サッカー部に入部。身体能力を活かした屈強なストッパーとして守備陣を支え、1982年の天皇杯全日本サッカー選手権大会制覇や1987-88シーズンの日本サッカーリーグ制覇などに貢献した。 日本代表には1984年に初選出され、同年9月30日に敵地での韓国代表との親善試合にて代表初出場。加藤久とセンターバックのコンビを組める人材を探していた当時の森孝慈監督に認められ、レギュラーの座を掴むと翌年のワールドカップ・メキシコ大会予選に出場、最終予選進出に貢献した。
稲葉 光雄(いなば みつお、1948年10月2日 - 201… 稲葉 光雄(いなば みつお、1948年10月2日 - 2012年8月11日)は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 5歳の時に兄からソフトボールでボール投げをやらされたことがきっかけで野球を始める。清水工業高校の2年生の時に投手となる。日本軽金属へ入社し、1968年のドラフト会議にて広島東洋カープから6位で指名されるが、まだ20歳と若かったことや会社から残留を要請されたこともあり、入団を拒否した。1970年の都市対抗には大昭和製紙の補強選手として出場し、チームの優勝に貢献。 1970年のドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。 1971年8月25日の巨人戦(後楽園)に延長11回裏から登板して4イニングを無失点に抑え、プロ初勝利を挙げる。