スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩崎 優(いわざき すぐる、1991年6月19日 - )は、… 岩崎 優(いわざき すぐる、1991年6月19日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 NPBの左投げ投手としては史上初となる、100ホールド・100セーブの達成者。 静岡市立清水第四中学校の軟式野球部で野球を始める(後述)と、サッカーの名門で進学校の静岡県立清水東高等学校に進学したが、甲子園球場の全国大会とは縁がなかった。 国士舘大学への進学後は、チームが東都大学野球の1部リーグに所属していた1年時からベンチ入りを果たすと、2部リーグに所属した2年時以降は救援投手として活躍した。
牧田 匡平(まきた きょうへい、1979年2月28日 - )… 牧田 匡平(まきた きょうへい、1979年2月28日 - )は、プロ野球審判員。審判員袖番号は28。 静岡県立清水東高等学校、愛知大学卒業。2000年末に行なわれた審判員公募に応募して、60名の中から書類審査・実技試験を経て萩原達也と共に新規採用された。2001年1月にセントラル・リーグ審判部に入局。 2010年にはオールスターゲーム初出場を果たし、第1戦(7月23日、ヤフードーム)で球審を務めた。 2016年ファインジャッジ賞受賞。 2017年には日本シリーズ(ソフトバンク対DeNA戦)初出場を果たし、第2戦(10月29日、ヤフオクドーム)で球審を務めた。 2019年には2度目のファインジャ
山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は… 山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ、解説者・評論家。愛称は「大ちゃん」。 清水東高校から1970年に一般入試で慶應義塾大学商学部へ進学。東京六大学野球リーグでは、1年次の同年秋季リーグから正遊撃手となり、高校の2年先輩である松下勝実とクリーンアップを組み活躍する。2年上の工藤真投手、清水東高でも2年上の松下勝実、1年上の萩野友康・長谷部優両左腕投手らを擁し、2年次の1971年秋季リーグからの3連覇に3番打者として貢献。1、2年時には「鬼の榊原」と呼ばれた榊原敏一監督に「試合と同じ集中力で練習しろ」と鍛え上げられた。
松下 勝実(まつした かつみ、1949年8月31日 - )は… 松下 勝実(まつした かつみ、1949年8月31日 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手、一塁手、外野手。 清水東高校では、エース、四番打者として1966年秋季中部大会に進むが、1回戦で愛知高に延長13回の末に敗退。翌1967年夏の甲子園県予選決勝に進出。しかし榊原良行のいた浜松商に敗退し甲子園出場を逸する。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1968年春季リーグの早慶戦で本塁打を放ち注目される。同年秋季リーグから四番に座り打線の主軸として活躍、1969年秋季リーグで首位打者を獲得する。1971年秋季リーグでは、高校の2年後輩である山下大輔とクリーンアップを組み、萩野友康、工藤真らの好投もあって4年ぶりの優勝を飾る。
鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007… 鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007年6月14日)は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)・コーチ、評論家。 清水東高校では1年次の1956年秋から捕手として活躍し、2年次の1957年には春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年には1年上のチームメイトに4番・遊撃手の漆畑勝久を擁して夏の甲子園に出場するが、2回戦(初戦)で法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封負けを喫す。 同年の秋季中部大会では同期の山田茂利(明大-日本鋼管)とバッテリーを組み決勝に進出し、中京商のエース伊藤竜彦に完封を喫するが、3年次の1958年の選抜へ出場を決めた。
漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 -… 漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 清水東高校では1957年春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年の夏の甲子園に四番打者、遊撃手として出場。2回戦(初戦)で、この大会に準優勝する法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封を喫する。1年後輩のチームメートに捕手の鈴木悳夫がいた。 1958年に明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは後藤晃吾、八木孝両投手を擁し、1961年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。