スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
宮原 駿介(みやはら しゅんすけ、2002年9月12日 - … 宮原 駿介(みやはら しゅんすけ、2002年9月12日 - )は、神奈川県小田原市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 兄の影響で小学1年生からソフトボールを始め、中学校から野球を始めた。 静岡学園高等学校では1年時からエースとなった。 高校卒業後は東海大学静岡キャンパスへ進学。4年時の2024年6月に開催された「侍ジャパン大学代表選考合宿」にも参加した。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから5位指名を受けた。11月21日、契約金4000万円、年俸800万円で入団に合意した。背番号は57。所属する静岡県学生リーグの投手としては、初めての支配下枠での指名となった。
赤田 龍一郎(あかだ りゅういちろう、1988年1月7日 -… 赤田 龍一郎(あかだ りゅういちろう、1988年1月7日 - )は、愛知県名古屋市北区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 小学校3年から、名古屋北リトルで一塁手として野球を始める。のちに中日でチームメイトとなる堂上剛裕・堂上直倫兄弟と同時期にリトルに所属していた。名古屋市立北陵中学校時代は、ボーイズリーグ東名古屋スターズで捕手に転向し、以降は捕手一筋。 静岡学園高等学校時代は、1年秋から4番を務め高校通算31本塁打を記録。3年夏は、静岡県予選1回戦で小笠高に2-9で敗れた。甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は、愛知大学に進学し愛知大学野球連盟に所属する硬式野球部へ入部。2年春から4番を務め、4年春には1部昇格の原動力となった。
浮島 徹士(うきしま てつし、1968年8月11日 - )は… 浮島 徹士(うきしま てつし、1968年8月11日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 静岡学園高から神奈川大学短期大学部に進学し、神奈川大学野球連盟に加盟している神奈川大学硬式野球部でプレー。2年次の1988年の秋季リーグでは、打率.420をマークし首位打者、ベストナイン三塁手を獲得した。 短大卒業後、ロッテオリオンズに球団職員扱いとして籍を置き、1989年オフにドラフト外で入団した。 一軍公式戦への出場が無いまま、1993年限りで現役を引退した。 1994年に出版された小林至の著書「ボクの落第野球人生」 によると、1993年5月まではイースタンリーグのベストテン入りするほどの打撃だったが、夏場に入って右肘を故障したという。
内藤 雅人(ないとう まさと、1965年1月25日 - )は… 内藤 雅人(ないとう まさと、1965年1月25日 - )は、静岡県浜松市出身の元アマチュア野球選手(外野手)。 静岡学園高校では、一年生から4番打者を務めていた。高校卒業後に東洋大学に進学して硬式野球部に所属し、東都大学野球リーグでは1984年の春季に、二打席連続本塁打6安打でリーグ新記録の12安打を放った。4年時は大学選手権優勝を果たし、1986年の日米大学野球の全日本メンバーにも選ばれた。ベストナイン2回。同期に森浩之がいた。 大学卒業後は、社会人野球のヤマハに所属し、1年目に都市対抗野球優勝を経験。1989年の第15回アジア野球大会の全日本メンバーにも選ばれ、1990年の都市対抗野球では優勝に貢献すると優秀選手に選ばれ、同年には社会人ベストナインにも選ばれた。