スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
星野 智樹(ほしの ともき、1977年7月29日 - )は、… 星野 智樹(ほしの ともき、1977年7月29日 - )は、三重県員弁郡東員町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 1977年に三重県員弁郡東員町で生まれる。四日市工に進学後は、1年夏の県大会準決勝で先発、海星高・広田庄司と投げ合うが敗れた。1995年、3年春の県大会優勝で東海大会ベスト4。夏は県大会2回戦(対鳥羽高戦)でノーヒットノーランを達成するが、準優勝に終わり甲子園出場は果たせなかった。当時からプロ注目の投手とされていた。 高校卒業後はプリンスホテルに入社、1年上に左腕の土肥義弘、同期に小林幹英らがいて全国舞台での登板は限られたが1998年のドラフト会議において西武ライオンズから3巡目で指名を受け、入団。
井手元 健一朗(いでもと けんいちろう、1973年10月2日… 井手元 健一朗(いでもと けんいちろう、1973年10月2日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(投手)、指導者。 小学3年から野球を始める。四日市工業高では2年からエースとなり、2年夏は県大会準優勝すると秋は東海大会へ進むも初戦で岩下修一(浜松工)と投げ合って惜敗。1991年、3年春も東海大会へ出場して、決勝では愛工大名電高の鈴木一朗と投げ合って準優勝に終わるが夏の甲子園に出場。初戦となった2回戦は、エース黒木知宏を擁する延岡学園高と対戦、8-4のスコアで競り勝って甲子園初勝利を成し遂げる。3回戦では松商学園高と対戦し、エース上田佳範と延長16回に及ぶ壮絶な投げ合いを展開したが、最後は打席の上田にサヨナラ押し出し死球を与えてしまい3 - 4のスコアで惜しくも敗れている。
水谷 茂雄(みずたに しげお、1960年7月21日 - )は… 水谷 茂雄(みずたに しげお、1960年7月21日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代から投手としてプレーし、憧れの甲子園に出場できる近道として1976年に三重・海星高へ進学したが、規則の厳しさに嫌気がさして1年の1学期で退学した。1年遅れで入学した四日市工業高ではエース兼4番に抜擢され、速球を主体にカーブ、シュートを決め球とする本格派として活躍し、1年次の1977年夏にノーヒットノーランを記録。打つ方でも打率.420をマークしたほか、2年間で20本塁打以上を打つなど野手顔負けの長打力を見せた。1年遅れで入学したため、3年次の1979年は試合に出場できなかった。練習の手伝いやベンチからのサイン伝達などコーチ見習いの役割をしていたが、同年途中からは監督として部員をまとめた。