スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
難波 尭弘(なんば たかひろ、1998年5月1日 - )は、… 難波 尭弘(なんば たかひろ、1998年5月1日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 兵庫県姫路市生まれ。三重県四日市市出身。中学校までは硬式野球をしていた。高校1年生のとき、部活の監督に誘われたのがきっかけでバレーボールを始める。 四日市工業高等学校、天理大学を経て、2020年10月、V.LEAGUE DIVISION1(V1)に所属する東レアローズの内定選手になったと発表され、2021年、大学を卒業してから東レに入団した。 2021-22シーズン、入団1年目のルーキーにして、V1リーグにて、2022年1月24日のVC長野トライデンツ戦で初めてスタメン出場を果たし、8得点を挙げてストレート勝ちに貢献した。
島袋 将(しまぶくろ しょう、 1997年7月30日 - )… 島袋 将(しまぶくろ しょう、 1997年7月30日 - )は、日本の男子プロテニス選手。岐阜県岐阜市出身。早稲田大学卒業。有沢製作所所属。自己最高ランキングはシングルス89位、ダブルス376位。身長183cm、体重78kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 四日市工業高校時代は2014年 インターハイ・国体・全国選抜・団体戦優勝・3冠達成。 インターハイダブルス優勝。全日本ジュニア選抜室内テニス選手権大会シングルス優勝を果たした。 早稲田大学時代は2017年に全日本学生テニス選手権大会シングルス優勝。2018年のアジア大会でダブルスで銅メダルを獲得、全日本学生室内テニス選手権大会でシングルス優勝。
安藤 周人(あんどう しゅうと 1994年6月13日 - )… 安藤 周人(あんどう しゅうと 1994年6月13日 - )は、三重県出身のバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。アルバルク東京所属。 三重県四日市市出身で、内部ミニバスケットボール少年団でバスケットボールを始め、その後、四日市市立内部中学校を経て、強豪の四日市工業高校に進学。レバンガ北海道の桜井良太ら名選手を多く輩出した四日市工業高校では1年時からベンチ入りし、出場こそなかったが2010年のインターハイで初めての全国大会を経験。2年時の2011年にはスタメンの座を勝ち取り、全国デビューとなったインターハイ1回戦で3Pシュート6本成功の26得点、2回戦では桜丘高校に敗れたが35得点の大暴れだった。
横本 卓弥(よこもと たくや、1985年3月16日 - )は… 横本 卓弥(よこもと たくや、1985年3月16日 - )は、三重県出身のバスケットボール選手である。ポジションはガード/フォワード。 四日市工業高校を卒業後、アイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城に入団。
落合 恭兵(おちあい きょうへい、1984年9月10日 - … 落合 恭兵(おちあい きょうへい、1984年9月10日 - )は、三重県出身のバスケットボール選手である。ポジションはフォワード/センター。 四日市工業高校を卒業後、アイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城に入団。
桜井 良太(さくらい りょうた、1983年〈昭和58年〉3月… 桜井 良太(さくらい りょうた、1983年〈昭和58年〉3月13日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。三重県桑名市出身。ポジションはスモールフォワード。B.LEAGUE・レバンガ北海道に所属している。 日本人離れした高い身体能力と、身長に似合わない類希なドリブル・ボールハンドリング力と視野の広さを持つ。また、高いディフェンス力と豊富な運動量を持ち、長年北海道を攻守共に支えている。積極的にドライブを仕掛け、相手のファールを誘発する事も得意であり、そこから成功率の高いフリースローで点を稼ぐ。ルーズボールには誰よりも貪欲に飛び付き、ガッツ溢れるプレーでファンも多い。また、持ち味は相手の進路に立ちオフェンスファールをもらう「テイクチャージ」。
桂 二乗(かつら にじょう、1978年5月29日 - )は、… 桂 二乗(かつら にじょう、1978年5月29日 - )は、三重県四日市市出身の落語家。本名∶高井 豊史。出囃子は『お座敷小唄』。 たまたま喫茶店での落語会を見たことで興味を持ち1年間桂米二のおっかけをしたのがきっかけで2003年7月11日に米二に入門。芸名は米二の出身の京都の二条に因むが、本人は三重出身なので本人希望で「二乗」という字になった。同年9月24日、大阪梅田太融寺「桂米二不定期落語会」での「子ほめ」で初舞台。祇園の料理店でアルバイトをしながら、通い弟子として修業した。米朝事務所所属。上方落語協会会員。 2013年 「第8回繁昌亭大賞」輝き賞受賞。
星野 智樹(ほしの ともき、1977年7月29日 - )は、… 星野 智樹(ほしの ともき、1977年7月29日 - )は、三重県員弁郡東員町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 1977年に三重県員弁郡東員町で生まれる。四日市工に進学後は、1年夏の県大会準決勝で先発、海星高・広田庄司と投げ合うが敗れた。1995年、3年春の県大会優勝で東海大会ベスト4。夏は県大会2回戦(対鳥羽高戦)でノーヒットノーランを達成するが、準優勝に終わり甲子園出場は果たせなかった。当時からプロ注目の投手とされていた。 高校卒業後はプリンスホテルに入社、1年上に左腕の土肥義弘、同期に小林幹英らがいて全国舞台での登板は限られたが1998年のドラフト会議において西武ライオンズから3巡目で指名を受け、入団。
井手元 健一朗(いでもと けんいちろう、1973年10月2日… 井手元 健一朗(いでもと けんいちろう、1973年10月2日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(投手)、指導者。 小学3年から野球を始める。四日市工業高では2年からエースとなり、2年夏は県大会準優勝すると秋は東海大会へ進むも初戦で岩下修一(浜松工)と投げ合って惜敗。1991年、3年春も東海大会へ出場して、決勝では愛工大名電高の鈴木一朗と投げ合って準優勝に終わるが夏の甲子園に出場。初戦となった2回戦は、エース黒木知宏を擁する延岡学園高と対戦、8-4のスコアで競り勝って甲子園初勝利を成し遂げる。3回戦では松商学園高と対戦し、エース上田佳範と延長16回に及ぶ壮絶な投げ合いを展開したが、最後は打席の上田にサヨナラ押し出し死球を与えてしまい3 - 4のスコアで惜しくも敗れている。
葛山 信吾(かつらやま しんご、1972年〈昭和47年〉4月… 葛山 信吾(かつらやま しんご、1972年〈昭和47年〉4月7日 - )は、三重県亀山市出身の俳優。株式会社CESエンタテインメント所属(2021年まで)を経て独立。 1990年、第3回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリ受賞。1991年、テレビドラマ『ヴァンサンカン・結婚』で俳優デビュー。 音楽活動としては1992年、ファンハウスよりシングル『二人を認めない』で歌手デビュー。1995年、浅倉大介のシングル『RAINY HEART〜どしゃ降りの想い出の中』でゲストボーカルとして参加。1997年から2003年まで板倉雅一とのユニット・Bricksを組んだ。 2000年、『仮面ライダークウガ』に出演。
佐野 貴信(さの たかのぶ、1966年〈昭和41年〉6月25… 佐野 貴信(さの たかのぶ、1966年〈昭和41年〉6月25日 - )は、日本の実業家。株式会社プラトンホテル代表取締役。株式会社サノプランニング代表取締役社長 三重県出身。1966年に三重県四日市市で3人兄弟の長男として生まれる。幼少期は仲間と山に秘密基地を作ったり、発泡スチロールで作った船で川を下ったりして遊ぶ活発な子供だった。小学校から高校まで野球一筋で中学校では野球部のキャプテンも務める。野球指導で有名な監督がいた工業高校に進学し野球部に入部。監督の補佐としてコーチを務め、仲間とともに甲子園を目指した。 1984年に三重県立四日市工業高等学校建築科卒業を卒業後、地元の建設会社に入社するも天職ではないと感じ半年で退社。
伊藤 裕二(いとう ゆうじ、1965年5月20日 - )は、… 伊藤 裕二(いとう ゆうじ、1965年5月20日 - )は、三重県桑名市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはGK。中部大学第一高等学校事務職員(担当課長)・サッカー部監督。 Jリーグ開幕前までは、ディド・ハーフナーが正GKを務めていたが、Jリーグ開幕から正GKの地位を固め、1997年のオールスターにファン投票によって選出、出場を果たした。 1999年、合併により消滅した横浜フリューゲルスから加入した楢﨑正剛にレギュラーと背番号1を奪われ、出場機会を求めて2000年に湘南ベルマーレへ移籍。移籍初年度は若手の水谷雄一と激しくポジションを争った後、水谷が移籍した2001年になると正GKに昇格したものの、2002年の後半戦以降は鈴木正人にポジションを奪われて同年限りで現役引退。
愛敬 重之(あいきょう しげゆき、1964年1月29日 - … 愛敬 重之(あいきょう しげゆき、1964年1月29日 - )は、日本の元陸上選手、政治家。3000メートル障害を専門とした。1986年アジア競技大会と1985年アジア陸上競技選手権大会で金メダルを獲得した。ユニバーシアードにおいて2度銅メダルを獲得し、日本選手権においても2度優勝している。 1983年と1987年の世界陸上競技選手権大会にアジア人として唯一障害走に出場した。1985年IAAFワールドカップにアジア代表として出場した。自己ベストである8:31.27(1983年に記録)は、2020年に三浦龍司に破られるまで長らく日本ジュニア記録であった。 三重県桑名市出身。1979年に三重県立四日市工業高等学校に入学し、1981年に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の1500m障害で優勝し、国民体育大会の5000mで2位となった。
水谷 茂雄(みずたに しげお、1960年7月21日 - )は… 水谷 茂雄(みずたに しげお、1960年7月21日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代から投手としてプレーし、憧れの甲子園に出場できる近道として1976年に三重・海星高へ進学したが、規則の厳しさに嫌気がさして1年の1学期で退学した。1年遅れで入学した四日市工業高ではエース兼4番に抜擢され、速球を主体にカーブ、シュートを決め球とする本格派として活躍し、1年次の1977年夏にノーヒットノーランを記録。打つ方でも打率.420をマークしたほか、2年間で20本塁打以上を打つなど野手顔負けの長打力を見せた。1年遅れで入学したため、3年次の1979年は試合に出場できなかった。練習の手伝いやベンチからのサイン伝達などコーチ見習いの役割をしていたが、同年途中からは監督として部員をまとめた。
瀬古 利彦(せこ としひこ、1956年〈昭和31年〉7月15… 瀬古 利彦(せこ としひこ、1956年〈昭和31年〉7月15日 - )は、三重県桑名市出身の元陸上競技選手、陸上競技指導者。 現役時代の専門は長距離走・マラソン(ただしキャリア初期は中距離走)で、1970年代後半から1980年代にかけて宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通、新宅雅也らとともに日本の男子長距離走のトップランナーだった。一時は10000メートル (m)・20000m・30000m・マラソンの日本記録を保持し、30000mについては世界記録保持者でもあった(20000mと30000mは2024年時点でも日本記録保持)。1980年モスクワオリンピック(日本は不参加)から1988年ソウルオリンピックまで3大会連続でオリンピックのマラソン日本代表に選ばれた。
多田 勝美(ただ かつみ、1945年(昭和20年)7月12日… 多田 勝美(ただ かつみ、1945年(昭和20年)7月12日 - )は、実業家。大東建託の創業者で代表取締役社長(初代、第3代)や会長を務めた。 三重県出身で三重県立四日市工業高等学校卒業。1964年4月、株式会社小糸製作所入社する。 1974年6月、大東産業株式会社(現大東建託株式会社)設立し、代表取締役社長となる。 2004年4月に社長を麻田守孝に譲り代表取締役会長 、ついで2006年4月に代表を降りて取締役会長となった。しかし社長を継いだ麻田守孝の健康上の理由により、9月15日代表取締役会長、2006年10月1日代表取締役会長兼社長となり、代表取締役と社長に返り咲いた。2007年世界金融危機の最中である2007年10月、社長を退任し、三鍋伊佐雄が大東建託社長となる。
ムサシ中野(ムサシ なかの、1945年2月26日 - 199… ムサシ中野(ムサシ なかの、1945年2月26日 - 1996年7月)は、日本の元プロボクサー。本名は中野 勝也。元東洋太平洋ウェルター級チャンピオン。 朝鮮総督府の警官を父として、韓国ソウル市に生まれる。終戦後日本へ引き揚げてきたが、父母と死別、孤児となる。祖父も剣道の達人だったという武道家の血筋からか、剣道、柔道、空手などを学んだ後、四日市工業高校時代にボクシングと出会う。アマの試合で3戦3勝の成績を残し、高校を中退してプロの道へ。 笹崎ボクシングジムに入門し、1963年デビュー。剣道で馴染んだ右手・右足前の構えを取るため、本来右利きでありながらサウスポーとなる(コンバーテッドサウスポー)。
金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5… 金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本の政治家。国民民主党三重県連代表。衆議院議員(1期)、三重県議会議員(4期)、四日市市議会議員(4期)、民主党・旧国民民主党三重県連代表などを務めた。 勲章は藍綬褒章2000年(平成12年)、旭日小綬章2007年(平成19年)。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市工業高等学校卒業後、富士電機(現富士電機リテイルシステムズ)に入社。四日市市最大の労働組合である富士電機労組に加入し、組合活動に従事する。 1975年に四日市市議会議員選挙に立候補して初当選した。以後当選4回。1990年に四日市市議を辞職して、三重県議会議員選挙の補欠選挙に立候補して当選。