スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
倉野 信次(くらの しんじ、1974年9月15日 - )は、… 倉野 信次(くらの しんじ、1974年9月15日 - )は、三重県度会郡小俣町(現:伊勢市)出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 宇治山田高校では2年夏の大会で県ベスト8、3年夏には同校史上77年ぶりの全国大会出場を狙って決勝まで進出するが、三重高校にサヨナラ負けを喫し甲子園には出場できず。東都大学野球リーグの青山学院大では同期の井口忠仁・澤崎俊和・清水将海や2学年下の高須洋介らと共に黄金時代を築く。3年秋の明治神宮大会では初戦で先発勝利、決勝の明大戦は先発したが途中降板し準優勝。4年春は大学選手権で準々決勝に先発して完封すると決勝の九州共立大戦で先発したが序盤で澤崎に交代し、井口の2本塁打もあって優勝。
角谷 隆(かどや たかし、1939年 - 2022年3月)は… 角谷 隆(かどや たかし、1939年 - 2022年3月)は、三重県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 宇治山田高等学校ではエースとして活躍。1955年秋季中部大会県予選決勝で宇治山田商工の中村稔と投げ合い完封勝ち。しかし中部大会準決勝で県岐阜商の田中和男に抑えられ甲子園出場を逸する。翌1956年夏の甲子園県予選は準決勝で四日市高に敗退。1957年夏は三岐大会に進むが、準決勝でエース河村保彦を擁する多治見工に敗れた。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは立大、早大の後塵を拝し優勝には届かなかった。早大と優勝を争った1960年秋季リーグの早慶六連戦では5試合に登板、早慶戦の2回戦では勝利投手となる。
西村 幸生(にしむら ゆきお、1910年11月10日 - 1… 西村 幸生(にしむら ゆきお、1910年11月10日 - 1945年4月3日)は、1930年代の日本を代表する職業野球選手(投手)。三重県宇治山田市大世古町(現:伊勢市大世古二丁目)出身。 主戦投手として、大学野球の関西大学、職業野球の大阪タイガース(現在の阪神タイガース)といった名門チームの黄金時代を築き、初代巨人キラーとしても知られる。現在では、「酒仙投手」と呼ばれることも多い。甥の西村隆明 は、伊勢市内で鰻料理店を営んでいる。 1917年に入学した宇治山田市第七尋常小学校(現在の伊勢市立厚生小学校)で野球を始め、1923年に三重県立宇治山田中学校(現在の三重県立宇治山田高等学校)に進学して野球部に入部するとたちまちエースになり、その後主将を任された。