堀内 省吾(ほりうち しょうご、1983年5月21日 - )… 堀内 省吾(ほりうち しょうご、1983年5月21日 - )は、京都府京都市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
京都府立山城高等学校:18人
堀内 省吾(ほりうち しょうご、1983年5月21日 - )… 堀内 省吾(ほりうち しょうご、1983年5月21日 - )は、京都府京都市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
山田 正道(やまだ まさみち、1981年4月7日 - )は、… 山田 正道(やまだ まさみち、1981年4月7日 - )は、京都市左京区出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 京都府立山城高校1年次に第76回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。また、高校3年次は京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)の強化指定選手に登録され、Jサテライトリーグで5試合に出場した。 早稲田大学を経て、2004年に京都に入団した。 2006年からFC岐阜に加入し、左サイドバックでの出場が多かった。2008年をもって現役を引退した。2009年2月から岐阜のフロントスタッフ(営業担当)を務めている。 2026年より、ファジアーノ岡山FCの強化部長に就任。
川勝 博康(かわかつ ひろやす、1975年9月19日 - )… 川勝 博康(かわかつ ひろやす、1975年9月19日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。京都府出身。現在、京都サンガF.C.のコーチを担当。 同志社大学在学中の1997年にはユニバーシアード代表シチリア大会の日本代表に選ばれた。 大学を卒業後、1998年に京都パープルサンガに入団した。プロ4戦目で初先発だった福岡戦で、決勝ゴールを決めた。これが、リーグ戦の唯一の得点となった。現役生活は短かったが、引退後すぐに京都パープルサンガのスタッフに就任した。現在、京都サンガF.C.の下部組織のコーチを担当している。日本サッカー協会公認B級ライセンスをもつ。それと同時に京都のサッカーのジュニアユースクラブであるルセーロ京都のサポートスタッフも務めている。
石塚 啓次(いしづか けいじ、1974年8月26日 - )は… 石塚 啓次(いしづか けいじ、1974年8月26日 - )は京都府出身の元プロサッカー選手、現ファッションデザイナー・実業家。サッカーでのポジションはミッドフィールダー、フォワード。父は元ラグビー日本代表の石塚広治。血液型AB型。 小学4年で京都紫光クラブに入団し、中学時代は関西選抜に選出された経験を持つ。京都府立山城高等学校3年次の1992年に高校総体に出場。同校は早期敗退に終わるが、石塚のプレーは注目を集め「和製フリット」と称された。しかし冬の高校選手権では怪我の影響もあって決勝戦のみの出場となった。 高校卒業後の1993年にヴェルディ川崎に入団。翌1994年のNICOSシリーズから出場機会を掴むと同クラブのステージ制覇とチャンピオンシップ制覇に貢献したが、ヒーローインタビューにおいて「僕を試合出したら優勝出来るんで、よろしくお願いします」と発言し物議を醸した(後述)。
加藤 豪宏(かとう たけひろ、1974年7月28日 - )は… 加藤 豪宏(かとう たけひろ、1974年7月28日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 京都府立山城高等学校では同級生に石塚啓次、1学年下に川勝博康らがいる。3年時の高校選手権ではセンターバックを務め準優勝に貢献した。 1993年に日本プロサッカーリーグのガンバ大阪に入団。1996年10月16日に行われたJリーグ第24節の浦和レッドダイヤモンズでデビューし、リーグ戦5試合に出場したが、同年限りで退団した。 1997年、大分FCのセレクションに合格し入団。2017年時点で堺市立サッカー・ナショナルトレーニングセンター事業部で勤務していた。 2018年3月、ディアブロッサ高田FCの監督に就任すると発表された。
松原 浩樹(まつばら ひろき、1973年11月15日 - )… 松原 浩樹(まつばら ひろき、1973年11月15日 - )は、日本京都府出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 山城高校、立命館大学を経て、1996年に清水エスパルスに入団。2試合に出場し、1年で退団した。
藏田 茂樹(くらた しげき、1972年6月22日 - )は京… 藏田 茂樹(くらた しげき、1972年6月22日 - )は京都府城陽市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはDF(センターバック)。 順天堂大学では名波浩と同級生。体を張ったハードでタイトな守備を得意とした。またキャプテンシーに優れ、セレッソ大阪では選手会長、アビスパ福岡ではキャプテンを務める。現役引退後は古巣セレッソなどでコーチを務めた。
細川 浩三(ほそかわ こうぞう、1971年8月3日 - )は… 細川 浩三(ほそかわ こうぞう、1971年8月3日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 ジュニア時代は京都紫光クラブに所属し、1983年および1984年の京都少年サッカー選手権大会でベストイレブンに選出された。 京都府立山城高等学校を卒業し、青山学院大学を経て、1994年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団し、1996年までプレーした。 現役を引退した後は1997年から京都の普及部コーチに就任。2001年からは強化部に転じて、その後強化部統括に就いたが、2014年11月に同職を退任した。2015年は京都の運営広報部統括に就任。2016年から京都のチーム強化本部長に就任したが、2017年11月に強化本部長を退任した。
辛島 啓珠(からしま けいじゅ、1971年6月24日 - )… 辛島 啓珠(からしま けいじゅ、1971年6月24日 - )は、京都府京都市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。祖父は第6代日本サッカー協会会長の藤田静夫。日本サッカー協会公認S級コーチライセンス保有。 京都府立山城高等学校から筑波大学を経て、1994年に大学の同期でセンターバックでコンビを組んだ木山隆之とともにガンバ大阪に入団。現役時代は頭脳派のセンターバックとして活躍した。1年目からレギュラーの座を獲得して42試合に出場し、木山と共に弱点であったDF陣の即戦力として活躍するも、その後は度重なる負傷により出場機会が減った。1997年および1998年はアビスパ福岡、1998年10月からは京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)、2000年からは水戸ホーリーホックでプレーして2001年9月に現役引退。
成山 裕治(なりやま ゆうじ、1971年5月20日 - )は… 成山 裕治(なりやま ゆうじ、1971年5月20日 - )は、京都府出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 山城高校、近畿大学を経て、京都パープルサンガに入団。3シーズンプレーし43試合に出場した。引退後は京都パープルサンガでコーチなどをしている。
喜多 健二(きた けんじ、1970年5月28日 - )は、京… 喜多 健二(きた けんじ、1970年5月28日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 1989年にマツダSCに入団。同期は河野和正ら。サテライトチームであるマツダSC東洋を経てトップチームである日本サッカーリーグのマツダSCに登録された。マンチェスター・ユナイテッドへの留学経験もある。
奥野 僚右(おくの りょうすけ、1968年11月13日 - … 奥野 僚右(おくの りょうすけ、1968年11月13日 - )は京都府京都市上京区出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。 90年代の鹿島アントラーズを支えた一人。93年に鹿島に加入すると、開幕スタメンに輝き、大野俊三とのコンビで活躍。上背はないが、読みと指示能力に優れたポジショニングで、カバーリングにも優れていたスイーパーだが、怪我により、サントリーシリーズ途中からは杉山誠が代わりに出ていた。 その後はフィジカル・ヘディングの強いストッパータイプの秋田豊とのセンターバックコンビを組んだ。 Jリーグで通算231試合の出場を記録。2002年からザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)に選手兼任監督として移籍、チームを群馬県リーグ1部から日本フットボールリーグに昇格させた。
松山 博明(まつやま ひろあき、1967年8月31日 - )… 松山 博明(まつやま ひろあき、1967年8月31日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。一時期登録名を「松山 広淳」としていた。博士(スポーツ科学)。2018年より追手門学院大学社会学部教授。スポーツ心理学やコーチング学を講義していたが、2024年2月退職。2024年9月より長崎国際大学人間社会学部国際観光学科教授。KBS京都の解説をはじめ、京都サッカー協会ユースダイレクターやJリーグマッチコミッショナーとしても活躍している。関西圏にてサッカー個人レッスンを手掛ける、カンツェ・エデュケーション・カンパニー代表を務める。 兄の松山吉之も元サッカー選手で、現在は関西サッカーリーグ2部・レイジェンド滋賀FCの監督。
松山 吉之(まつやま よしゆき、1966年7月31日 - )… 松山 吉之(まつやま よしゆき、1966年7月31日 - )は、京都府出身で元日本代表のプロサッカー選手、サッカー指導者、解説者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。実弟の松山博明も元サッカー選手、サッカー指導者。 学生時代や古河電工、ガンバ大阪在籍時にはFW、攻撃的MF、サイドハーフでその攻撃能力を発揮。日本代表にも早稲田大学在籍時に選出されると1987年から1989年まで名を連ね、国際Aマッチ通算10試合に出場し4得点を挙げている。京都パープルサンガ在籍時にはボランチを務めるなどプレーの幅を広げるも、1997年シーズンを以って引退した。 G大阪(当時は松下電器)には、家庭の事情で実家に帰ってきていることを知った高校、大学時代の大先輩の釜本邦茂監督(当時)に「暇なときにボールを蹴りに来い!」と誘われ入団した。
礒田 由和(いそだ よしかず、1965年5月27日 - )は… 礒田 由和(いそだ よしかず、1965年5月27日 - )は、日本出身のサッカー選手、指導者。ポジションはDF、FW。JFA公認A級コーチ。 同志社大学を経て1988年に日本サッカーリーグ1部のNKKサッカー部へ入部。当初はFWとしてプレーしていたが、入部3年目にDFへコンバートされた。
釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年〈昭和19年〉4月… 釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年〈昭和19年〉4月15日 - 2025年〈令和7年〉8月10日)は、日本(京都府京都市右京区太秦出身)の元サッカー選手、元サッカー指導者、元政治家、実業家。位階は正五位。 自由民主党所属の元参議院議員(1期)。日本サッカー協会 (JFA) 顧問。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 日本サッカーリーグでは、251試合出場し、通算202得点(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞(歴代1位)と傑出した活躍を見せた。また、サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点(総通算231試合153得点)を記録し、1968年メキシコシティーオリンピックでは、アジア人初の得点王となった。
二村 昭雄(にむら てるお、1943年5月2日 - )は、京… 二村 昭雄(にむら てるお、1943年5月2日 - )は、京都府京都市右京区出身の元サッカー日本代表選手、サッカー指導者。 現役時代は、身体的には恵まれていないが、ポジションセンスと運動量の両方を伴ったMF。 中学校から大学時代まで一つ下の後輩の釜本邦茂とプレー。大西忠生、釜本と合わせて「京都三羽ガラス」として名を馳せた。 京都府立山城高等学校3年のときMFとして全日本ユース代表。その後早稲田大学第二政治経済学部へと進学。松本育夫、野村尊敬、桑田隆幸、森孝慈、釜本、大野毅らと同大学ア式蹴球部の黄金時代を創る。1963年日立本社(現柏レイソル)を3-0で破り、早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。また、大学2年のときMFとして全日本ユース代表に選出されている。
嶋谷 征四郎(しまたに せいしろう、1938年11月6日 -… 嶋谷 征四郎(しまたに せいしろう、1938年11月6日 - 2001年10月24日)は、京都府京都市出身のサッカー選手、サッカー指導者。サッカー日本代表として国際Aマッチ1試合に出場した。 京都の友禅の染色職人の家に生まれ、1957年に京都府立山城高等学校を卒業して関西大学へ入学。在学中はサッカー部に所属し、フルバック(今のセンターバック)の名手として活躍し、1959年に日本代表に選出された。大学卒業後の1961年より古河電気工業に入社。当時の同僚としては川淵三郎や宮本征勝などがおり、長く親交があった。これらの親交が後に京都紫光クラブが京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)へと進化していく中でも生かされていたことは嶋谷を知る人の中では有名な話である。