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高木 広一(たかぎ ひろいち、1908年〈明治41年〉8月 … 高木 広一(たかぎ ひろいち、1908年〈明治41年〉8月 - 1980年〈昭和55年〉3月10日)は、日本の外交官。初代外務省賠償部長、外務省移住局長、駐デンマーク特命全権大使、駐ギリシャ特命全権大使。 京都出身。大阪の伴野商店店員、京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校)を経て、1932年に名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進学した。1933年に高等試験外交科に合格し、1934年に大学を中退して外務省に入省した。 1949年通商産業省通商局輸入第三課長。1950年通商産業省通商局輸入第二課長。同年通商産業省通商局輸出課長。1952年在ブエノスアイレス日本政府在外事務所所長。
田尻 愛義(たじり あきよし、1896年11月28日 - 1… 田尻 愛義(たじり あきよし、1896年11月28日 - 1975年10月29日)は、日本の外交官。特命全権公使として上海在勤ののち、外務省政務局長や、大東亜次官、外務次官を務めた。 中国の民族主義を尊重する立場をとり、外交官生活の大半を中国で送った。日中和平交渉史の中では、汪兆銘側から求められて香港総領事に就任したことで知られるが、実際には田尻は「汪兆銘工作」に対して強い批判を持っていた。 1896年11月、島根県に生れる。1920年3月、東京高等商業学校(のちの一橋大学)附設商業教員養成所を卒業し、同年4月、京都市立第一商業学校(のち京都市立西京高等学校)の教諭となる。1921年外交官及領事官試験合格。
有吉 明(ありよし あきら、1876年〈明治9年〉4月15日… 有吉 明(ありよし あきら、1876年〈明治9年〉4月15日 - 1937年〈昭和12年〉6月25日)は、明治、大正、昭和前期の外交官。国際連盟設立メンバー。上海総領事、スイス公使、ブラジル大使、中華民国公使を経て、大使館昇格に伴い初代駐中華民国大使となる。対中国外交に尽力、軍部の中国侵略に抵抗。 京都府丹後国与謝郡宮津町(現:宮津市)出身。 父は宮津藩藩士・京都留守居役・郡長の有吉三七。 1899年(明治32年)に東京高等商業学校(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。駐ブラジル大使として日本人のアマゾナス州進出を支援。 国際連盟設立メンバーの1人で、第2回から第4回までの国際連盟総会で日本代表を務めた。