スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
酒井 善史(さかい よしふみ、1981年2月12日 - )は… 酒井 善史(さかい よしふみ、1981年2月12日 - )は、日本の俳優、タレント、脚本家である。京都府京都市出身。京都を拠点に活動する劇団「ヨーロッパ企画」に所属。 同志社高等学校時代より演劇を始める。1999年、同志社大学商学部大学入学とともに同志社小劇場に入団するも、2000年に退団[要出典]。同年の第5回公演『苦悩のピラミッダー』よりヨーロッパ企画に参加。以降、ほぼ全作品に出演。また、外部作品への出演のほか、公演の舞台美術や、事務所のリフォームを手がけたり、WEBコンテンツの製作や、DVDオーサリングなど、多方面で活躍している。ショートショートムービーフェスティバルでは司会を務めている。
三谷 昌登(みたに まさと、1977年11月10日 - )は… 三谷 昌登(みたに まさと、1977年11月10日 - )は、日本の脚本家、演出家、俳優。 京都府京都市東山区出身。京都市立有済小学校肥満児学級を経て、同志社高等学校卒業。「劇団6.89」主宰。所属事務所はクォーター・トーン。「劇団 6.89」では脚本・演出・出演を兼ねる。 京都・祇園の花街の家に生まれ、女子に生まれれば芸舞妓になっていたと語る。小学校時代にはプロ野球選手、中学校時代にはお笑いに憧れ、続いてプロレスラーを目指し格闘技を始めるものの挫折。「いったい何をやりたいんやろう」と考え直した時に歴史が好きであることに気づき、歴史そのものを研究するよりもむしろ歴史上の人物になりたいと時代劇の道を志す。
目黒 祐樹(めぐろ ゆうき、1947年8月15日 - )は、… 目黒 祐樹(めぐろ ゆうき、1947年8月15日 - )は、日本の俳優・歌手・司会者。東京都出身。身長172センチ、血液型はA型。劇団青年座所属。 幼少時より子役として各社の映画に出演していたが、東映のテレビ映画第1作である『風小僧』第1部主演を最後に学業に専念、同志社中学校に進学する。その後、同志社高等学校に進むが留学を志し、中退。米国ハワイやセントルイスのハイスクールに学ぶ。その後、ボストン大学の演劇学科や南カリフォルニア大学に学ぶも中退。帰国後、映画『太陽の野郎ども』に主演し、本格的に俳優としての活動を開始する。 時代劇・現代劇を問わず、多くの映画・テレビ作品に出演、1980年にアメリカで放送された『将軍 SHŌGUN』ではエミー賞の最優秀助演男優賞にノミネートされる。
津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2… 津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2日 - 2018年〈平成30年〉8月4日)は、日本の俳優・映画監督・芸能プロモーター・時事評論家。 芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務めた。位階は従五位。 俳優としては1956年の映画『狂った果実』が本格デビューであり、1959年に木下恵介監督の『惜春鳥』、1960年には大島渚監督の『太陽の墓場』など多くの話題作に出演。1980年代以降は『マルサの女』や『スーパーの女』など伊丹十三監督作品に多数出演し存在感を示した。1999年には『プライド・運命の瞬間』で東條英機役を演じ日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。
林 寛(はやし ひろし、1905年1月31日 - 1971年… 林 寛(はやし ひろし、1905年1月31日 - 1971年12月22日)は、日本の俳優である。本名稲垣 三郎(いながき さぶろう)。音読みが同一の俳優林幹、極東映画の俳優、林寛(はやし かん)とは別人である。 1905年(明治38年)1月31日、京都府京都市に「稲垣三郎」として生まれる。 旧制・同志社中学校(現在の同志社高等学校)を中途退学し、東京に移る。「東京オペラ座」、石井漠主宰の「石井漠一座」、松旭斎天華主宰の「松旭斎天華一座」等、舞台の実演畑を渡り歩く。1926年(大正15年)ころに島幹雄が設立した「日本少女歌劇団」に参加し、地方巡業に関わる。 1940年(昭和15年)、竹田モト(1915年 - 2006年)と結婚、その後2児をもうける。