スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
加藤 竜馬(かとう りゅうま、1999年5月13日 - )は… 加藤 竜馬(かとう りゅうま、1999年5月13日 - )は、岡山県苫田郡加茂町(現:津山市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投両打。 大阪偕星学園高等学校に進学後、2年夏から投手に転向した。高校時代は甲子園大会出場はなく、3年夏は大阪大会4回戦で大冠に敗れた。2学年上に姫野優也がいた。 高校卒業後は亜細亜大学へ進学。2年時に腰痛の手術を受けるなど身体の不調に苦しみ、野球を辞めることも考えていたが、姉や小学校時代の恩師の激励もあり思いとどまった。4年春にリーグ戦初登板したが、大学時代を通して目立った実績はなかった。同学年に松本健吾、岡留英貴、1学年下に田中幹也、青山美夏人、松本晴、2学年下に草加勝がいる。
姫野 優也(ひめの ゆうや、1997年4月2日 - )は、大… 姫野 優也(ひめの ゆうや、1997年4月2日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(外野手→投手)。右投右打。 小学3年時までは水泳を習っており、同年にはジュニア五輪に出場するほどであった。野球は小学4年時から西牧野アタックスで始め、従兄弟である姫野涼介とバッテリーを組んでいた。中宮中学校在籍時は枚方ボーイズでプレーしていた。 卒業後は天理高校に進学したが、環境に馴染めず、1年夏前に退学し、その後は工事現場でアルバイトをしていた。1年秋に大阪偕星学園高校に編入学したが、高野連の規定により転入から1年間公式戦に出場することはできないため、3年春に控え投手としてようやくベンチ入りを果たした。
米崎 薫臣(よねざき くんじ、1968年3月19日 - )は… 米崎 薫臣(よねざき くんじ、1968年3月19日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 遊撃手として強肩に定評があり、近鉄および阪神では捕手へのコンバートも検討された。ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。 此花学院では遊撃手、1番打者として活躍。1985年、3年生時に夏の甲子園府予選準々決勝に進むが、KKコンビを擁するPL学園に敗れ甲子園出場はならなかった。高校卒業後は日本生命に入社。 1986年から都市対抗に出場、富士重工業との1回戦では本塁打を放って勝利に貢献するが、2回戦で金光興二らがいた三菱重工広島に敗退。 1987年と1988年には松下電器の補強選手として都市対抗に出場している。
田原 伸吾(たはら しんご、1967年4月25日 - )は、… 田原 伸吾(たはら しんご、1967年4月25日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(外野手)・コーチ、TDK社員。 此花学院高校の強打者として知られ、本塁打を量産して「浪速のベーブルース」としてスポーツ紙で取り上げられた。また、当時は清原和博のライバルと目されていた。 その後、明治大学卒業を経て社会人野球熊谷組、TDKでプレーする。 1983年、此花学院高校に入学する。1年生からレギュラーで出場し本塁打を量産した。高校通算で78本のホームランを打ち、これは同学年の清原を14本上回る成績であった。 PL学園野球部の練習場の付近で練習していたため、PL学園が練習を終えるまでは自分たちも練習を続けると意識したという。
金城 基泰(かねしろ もとやす、1952年10月16日 - … 金城 基泰(かねしろ もとやす、1952年10月16日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。 在日朝鮮人として生まれ、後に日本人へ帰化した。日本プロ野球(NPB)と韓国プロ野球(KBO)の双方で活動。帰化前の本名およびKBOでの登録名は金 基泰(キム・ギテ、김기태、きん もとやす)。 1970年秋、此花商業高校(現・大阪偕星学園高校)から翌春の法政大学への進学がほぼ決定していたが、広島東洋カープスカウトの木庭教による熱心な口説きに折れ、ドラフト5位で入団。金城自身も「本当は法政大に決まっていて、PL学園の新井宏昌と一緒に行くことになっていた」と述べている。 サブマリン投手で、下から浮き上がるような速球を武器に1972年に一軍に定着。