スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
仲井 宗基(なかい むねもと、1970年5月3日 - )は、… 仲井 宗基(なかい むねもと、1970年5月3日 - )は、大阪府大阪市出身の日本の高校野球指導者及び社会科教諭。 高校時代は、大阪府の桜宮高校で主将として活躍し、3年夏の大阪府大会では準優勝の成績を修める。 高校卒業後は、東北福祉大学に進学。大学では副主将として活躍し、2年次は全日本大学野球選手権大会で優勝を経験。 高校、大学を通じての2学年先輩に同じ捕手の矢野燿大、1学年先輩に斎藤隆、金本知憲らが、1学年後輩に荒木準也(日大山形高監督)がいた。 大学卒業後は、野球部コーチを経て青森県の光星学院高校に社会科教諭として着任し、野球部のコーチや部長を経て、2010年3月30日に監督・金沢成奉が退任し4月1日付で監督に就任することが発表された。
土井 善和(どい よしかず、1969年11月26日 - )は… 土井 善和(どい よしかず、1969年11月26日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)、元コーチ。 寝屋川市立第二中学校時代はバレーボール部に所属。 大阪市立桜宮高等学校では2年秋からベンチ入りし、後に中日ドラゴンズに入団する1年先輩の矢野輝弘とバッテリーを組む。3年夏は大阪府大会ベスト4。野球部の1年先輩に矢野の他、後に漫才コンビ・ベイブルースを結成する河本栄得・高山知浩がいた。 進学した東海大学では、4年秋に首都大学野球リーグで最優秀投手賞を受賞したほか、全日本大学野球選手権大会にも出場している。 大学卒業後の1992年に日本生命に入社。杉浦正則らと共に長年にわたって主戦としてチームを支えた。
上岡 良一(うえおか りょういち、1966年8月11日 - … 上岡 良一(うえおか りょういち、1966年8月11日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者。 中学時代は陸上部に所属。桜宮高から野球を始め、1983年の2年夏は大阪府大会決勝で1年生の清原和博・桑田真澄のKKコンビがいたPL学園高校に敗れた。 1985年に高校卒業後、東北福祉大学に進学。桜宮高の前監督伊藤義博が監督に就いていた、仙台六大学野球連盟に加盟している当時大学球界では無名の硬式野球部に入部し、1年春から活躍。 同1985年、1年秋の明治神宮大会(第16回大会)では初戦で先発し、東海大の荻原満と投げ合うが1-2×で惜敗。翌1986年、2年時の大学選手権(第35回大会)では1回戦で3年生古田敦也らの立命館大を5-4(延長11回)で下したものの、2回戦の猪俣隆投手ら擁する法政大に1-7で敗退。
河村 秀則(かわむら ひでのり、1954年4月3日 - 20… 河村 秀則(かわむら ひでのり、1954年4月3日 - 2024年5月23日 )は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)。 桜宮高ではプロの誘いを蹴り、社会人野球のデュプロへ入団。しかし、暫くして退社し、ダンプの運転手をしながら自力で野球修行する。 パワーのある打撃を見せつけテスト合格し、1977年オフにドラフト外で大洋ホエールズへ入団。 しかし、一軍公式戦に出場がないまま、わずか1年で現役を引退した。
藤瀬 史朗(ふじせ しろう、1953年7月2日 - )は、大… 藤瀬 史朗(ふじせ しろう、1953年7月2日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(外野手)。 桜宮高から、大阪体育大学に進学し硬式野球部に入部。阪神大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験するが、関西六大学野球リーグへの昇格はならなかった。進学後もプロを目指すつもりはなく、アマチュアの指導者として教員免許の取得を目的としていた。高校時代までは内野手、大学で外野手に転向した。 学生時代は一貫して野球部に所属しており、大学で陸上部に所属していたというのはあくまで“ネット上の噂”として本人が否定している。ただし、足の速さを買われて中学生時代に陸上競技の大会へ出場したことがある。 大学4年次の1975年、目指していた教員採用試験では不合格となったが、その時たまたま拾った新聞に載っていた近鉄バファローズの募集広告で入団テストの実施を知り、当座の就職先確保と元来近鉄ファンでもあったことから「プロ野球選手が見られるかもしれない」という興味本位の理由で受験したところ、1次テストの50m走であまりに足が速かったために2次の打撃・守備テストの結果を待たず合格、ドラフト外で入団した。