スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
神前 善一(こうざき よしかず、1914年8月19日 - 1… 神前 善一(こうざき よしかず、1914年8月19日 - 1984年2月6日)は、日本の経営者。和歌山県出身。 1932年に和歌山商業学校を卒業し、同年に松下電工に入社。1947年7月に取締役に就任し、1955年1月に常務、1964年9月に専務を経て、1977年2月には社長に就任。1982年2月から副会長を務めた。 1984年2月6日急性心筋梗塞のために死去。69歳没。
田中 四郎(たなか しろう、1901年 - 1945年8月1… 田中 四郎(たなか しろう、1901年 - 1945年8月15日)は、日本の実業家。歌人・俳人としても知られ、青野 梓のペンネームでも活動した。神戸高等商業学校在学中に初代学生横綱になった経歴があるほか、戦時期には出版統制機関である日本出版文化協会で要職を務めている。夫人は金子直吉の次女・須磨子。 和歌山県出身。和歌山商業学校(現在の和歌山県立和歌山商業高等学校)時代、全国少年相撲大会で優勝した。 1918年(大正7年)、神戸高等商業学校に入学(第16回生)、相撲部に所属。全国少年相撲大会での優勝経験によって相撲部キャプテンであった久琢磨がスカウトをかけたという。1919年(大正8年)、第1回全国学生相撲大会で優勝し、初代学生横綱となった。
田嶋 一雄(たしま かずお、1899年11月20日 - 19… 田嶋 一雄(たしま かずお、1899年11月20日 - 1985年11月19日)は、日本の実業家。ミノルタカメラ(現:コニカミノルタ)創業者。和歌山県海南市出身。 座右の銘は「難有り有難し」。 1899年11月20日、和歌山県海草郡日方町(現:海南市日方)で父・田嶋常吉と母・きくえの長男として生まれた。田嶋家は鎌倉時代に大野荘を管理していた大野十番頭を務めた家柄で、祖父・長三郎の代から漆器製造卸業の田嶋長三郎商店を営んでいた。父親は神戸で貿易会社を経営していた。 日方尋常高等小学校、和歌山商業学校を経て、神戸高商を受験したが受からず、親戚が慶應義塾長の鎌田栄吉と知り合いであったことから同大経済学部に進学し、1923年に卒業。