スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
入山 海斗(いりやま かいと、2000年5月26日 - )は… 入山 海斗(いりやま かいと、2000年5月26日 - )は、大阪府守口市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 守口市立八雲東小学校3年生から野球を始める。 守口市立第一中学校時代は守口シニアで外野手としてプレーしていた。 和歌山県立日高高等学校中津分校に進学すると、投手へと転向。主に中継ぎを務め、県大会準優勝を果たした。台湾遠征にも参加し、この時は143km/hのストレートを投げ、注目された。 その後、宮城県にある東北福祉大学へと進学。リーグ戦登板は1年生の時に1試合投げたのみであったが、ストレート、ポテンシャルといった部分をスカウト陣に評価される。 2022年10月20日に開催された同年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズより育成ドラフト3位で指名を受けた。
濱矢 廣大(はまや こうだい、1993年2月27日 - )は… 濱矢 廣大(はまや こうだい、1993年2月27日 - )は、奈良県吉野郡十津川村七色出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。 「濱」と「廣」が旧字体であることから、メディアによっては「浜矢広大」の表記もみられる。 小学校2年の時に野球を始め、中学校時代は硬式野球チーム「熊野ベースボールクラブ」に所属していた。当時のポジションは主に一塁手。高校は和歌山県立日高高等学校中津分校に進学。2年秋に同期に投手が少なかったことと、身長が185cmと高かったことを理由に監督(当時)の細峪規良によって一塁手から投手にコンバートされ、エースとして迎えた3年夏の和歌山県大会では、初戦の近畿大学附属新宮高等学校戦で敗退した。
木本 幸広(きもと ゆきひろ、1990年7月31日 - )は… 木本 幸広(きもと ゆきひろ、1990年7月31日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 和歌山県和歌山市生まれ。小学校1年から野球を始め、「野崎西若葉クラブ」に所属。2年から投手となったが、当時は練習嫌いで5年時には休部したこともある。中学時代はボーイズリーグの「和歌山黒潮」で主に投手を務めた。 県立日高高校中津分校では2年時から左翼手でレギュラーとなっていたが、2年秋の新チームから投手に転向。3年夏からエースに就き、第90回選手権和歌山大会の2回戦の伊都高校戦でノーヒットノーランを達成し一躍注目の的となった。エースで4番として県和歌山商や和歌山高専、市和歌山商に勝って決勝を迎えたが、智弁和歌山に3-5で惜敗し夏の甲子園初出場はならなかった。
千原 淳弘(ちはら あつひろ、1973年10月3日 - )は… 千原 淳弘(ちはら あつひろ、1973年10月3日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。 野球部の強化を進めていた和歌山県立日高高等学校中津分校に入学し、1991年のドラフト会議で西武から6位で指名を受けた。契約金と年俸それぞれ3,500万円、400万円(いずれも推定)で入団契約を結び、同校出身者としては垣内哲也に続く2人目のプロ野球選手となっている。スライダーが武器。 一軍での登板はなく、1997年に現役を引退して西武の打撃投手となった。その後、スコアラーに転身している。2023年からは阪神のスコアラーに就任する。
芝﨑 和広(しばさき かずひろ、1971年4月4日 - )は… 芝﨑 和広(しばさき かずひろ、1971年4月4日 - )は、和歌山県御坊市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズの若獅子寮副寮長。 和歌山県立日高高等学校中津分校では垣内哲也の1年後輩に当たり、バッテリーを組んだ。3年の春季県大会はベスト4まで進出した。卒業後は社会人野球の大和銀行に進み、1994年は都市対抗に大阪ガスの補強選手として2回戦で先発するも敗戦。1997年の都市対抗では中山製鋼の補強選手として出場。三菱自動車川崎との1回戦で先発に起用されるが、四死球を連発し4回に降板、敗戦投手となる。この時のチームメイトに高野忍がいた。 1997年のドラフト6位で西武ライオンズに入団。
垣内 哲也(かきうち てつや、1970年6月6日 - )は、… 垣内 哲也(かきうち てつや、1970年6月6日 - )は、和歌山県日高郡川辺町(現:日高川町)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ。 日高高中津分校から、1988年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受け、契約金3000万円・年俸400万円(金額は推定)で捕手として入団。分校出身者(硬式)としてはプロ野球史上初の指名であった。強打・俊足の持ち主で、「秋山二世」、「和製大砲」と呼ばれる。 正捕手・伊東勤の存在で出場機会に恵まれなかったが、1990年にファームで頭角を現す。 1991年から強打を生かす為、外野手にコンバートされた。イースタン・リーグで本塁打、打点の2冠を獲得した。