スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
りーもこちゃん(1992年6月21日 - )は、日本のお笑い… りーもこちゃん(1992年6月21日 - )は、日本のお笑い芸人。100company所属。旧芸名は「ムラムラタムラ」。かつては吉本興業に所属しており、吉本退所後はフリーで活動していた。 自身と同じくお笑い好きの母親と一緒にお笑い番組を観ていて、母親から中学生の頃にNSCへ行くことを勧められたのが芸人になるきっかけ。当初は高校時代の同級生・三浦響希とコンビ「ゆーひび」を結成し、ネタはその同級生が書いていた。漫才は合っていないことを早めに気づいたためボケのみでツッコミが存在しないコントを主に演じ、相方の体調不良によって2年半で解散してからはピン芸人となる。芸名の由来は本人曰く覚えられやすくてしょうもない名前にしたかったから。
舛成 孝二(ますなり こうじ、1965年1月1日 - )は、… 舛成 孝二(ますなり こうじ、1965年1月1日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメ監督、脚本家。島根県津和野町出身。スタジオゑびすに所属。 島根県立津和野高等学校商業科、国際アニメーション研究所卒業[要ページ番号]。『かみちゅ!』で第9回(平成17年度)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞している。『宇宙ショーへようこそ』はベルリン国際映画祭公式上映作品に選ばれている。
下森 博之(したもり ひろゆき、1965年〈昭和40年〉 -… 下森 博之(したもり ひろゆき、1965年〈昭和40年〉 - )は、日本の政治家、実業家。島根県鹿足郡津和野町長(5期)。島根県町村会長。 島根県鹿足郡津和野町(旧日原町左鐙)出身。町立左鐙小学校、町立日原中学校、島根県立津和野高等学校を経て、1988年(昭和63年)3月に同志社大学経済学部を卒業。 大学卒業後の1988年4月、野村證券株式会社に入社。1991年(平成3年)に同社を退社した後は、故郷へ戻り合名会社下森酒造場に入社した。家業に携わる傍ら、日原町商工会青年部部長や、日本青年会議所(JC)中国地区島根ブロック協議会会長、津和野町商工会、津和野町観光協会、津和野高校同窓会の理事などを歴任した。
橋本 以蔵(はしもと いぞう、1954年2月21日 - )は… 橋本 以蔵(はしもと いぞう、1954年2月21日 - )は、日本の脚本家、映画監督。 島根県出身。島根県立津和野高等学校卒業。 映画好きだった公務員の父の影響もあって子供の頃から映画監督になりたかったという。高校卒業後に上京し、映画への接点を見つけるために新劇の俳優養成所に入る。映画監督の神代辰巳らとの接点も出来、シナリオを書いては見てもらう習作活動に入る。映画評論家の白井佳夫の紹介で映画化の話があった『喜作新道』の映画監督をやるよう声がかかったが制作会社が倒産したために実現しなかった。自主制作活動を経て1982年、自主映画『パソコンウォーズISAMI』で監督デビュー。テレビドラマ『スケバン刑事』シリーズの脚本を担当してメジャーデビュー。
桑原 史成(くわばら しせい、本名はふみあき、1936年10… 桑原 史成(くわばら しせい、本名はふみあき、1936年10月7日 - )は、日本の報道写真家。水俣病の先駆的な写真家として知られる。 島根県鹿足郡木部村(現・津和野町)生まれ。 1960年3月、東京農業大学と東京総合写真専門学校をともに卒業。フリーの写真家になることを目指す。就職を選ばなかったため、母親から一度郷里に帰れという電報が届く。東京駅に餞別に来た友人から、車中で読めと言って渡された夕刊や雑誌の中に、『週刊朝日』5月15日号があった。同号に掲載された小松恒夫の現地ルポ「水俣病を見よ」に衝撃を受けた桑原は、水俣病の取材撮影を決意。小松に水俣市立病院(現・国保水俣市立総合医療センター)の大橋登院長宛ての紹介状を書いてもらい、同年7月14日、熊本県水俣市に入る。