スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
若狭 敬一(わかさ けいいち、1975年〈昭和50年〉9月1… 若狭 敬一(わかさ けいいち、1975年〈昭和50年〉9月1日 - )は、CBCテレビ(CBC)のアナウンサー。 岡山県倉敷市玉島生まれ。 岡山県立玉島高等学校を経て名古屋大学経済学部卒業。大学では、金井雄一が主宰するゼミに所属していた。 大学卒業後の1998年に、アナウンサーとして地元局の中部日本放送(現在のCBCテレビ)へ入社。同期のアナウンサーに大橋麻美子がいた。入社後は、野球を中心にスポーツ中継の実況へ携わっているほか、草野球を「ライフワーク」と公言するほどのスポーツ好きでもある。 2022年12月3日に、先輩アナウンサーの加藤由香と結婚していたことや結婚後に1児を授かったことを『北野誠のズバリ サタデー』(CBCラジオ)で加藤が公表。
萱野 大輔(かやの だいすけ、1973年8月13日 - )は… 萱野 大輔(かやの だいすけ、1973年8月13日 - )は、岡山県倉敷市出身の元サッカー選手。FW。 岡山県立玉島高等学校時代は同校の中心選手として活躍、主将を務めた。高校二年時には、高速ドリブルからの得点力を武器に岡山県優秀選手に選出される。 卒業後、一般入試で筑波大学に入学し同大蹴球部に所属。 後の数々の有名Jリーガー達の影響を受けた。大学の同級生には、元日本代表の望月重良、上野優作、西ヶ谷隆之、笠原恵太らがいる。 1996年プリマハムFC土浦に入団するも、足首、膝の怪我のため思うような活躍が出来なかったが、リハビリを兼ねて出場した国体関東大会で、チーム得点王になる。 その後チームは水戸FCと合併、水戸ホーリーホックにチーム名変更直後、怪我を理由にチームを去った。
山路 みほ(やまじ みほ、1972年2月17日 - )は、日… 山路 みほ(やまじ みほ、1972年2月17日 - )は、日本の箏曲演奏家。本名:山路 美保。Miho Yamaji 平成24年度文化庁文化交流使に指名され、ロシア国立モスクワ音楽院世界民族音楽コースで日本音楽講師を務めた。 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、柴田勝家の家臣であった山路 正国(やまじ まさくに/通称:将監)や、江戸時代後期の儒学者で公共事業家の山路機谷(熊太郎)の子孫にあたる。生殖細胞とRNAバイオロジーの研究者である山路剛史は従弟である。 1994年に東京芸術大学を卒業後、リサイタル開催と同時に箏曲演奏家としての活動を開始する。コンサート活動以外にも、吉幾三公演(新宿コマ劇場 2000年)やNHK教育テレビ「芸能花舞台」(2003年)、NHK-FM「邦楽のひととき」にレギュラーとして出演。
南 利幸(みなみ としゆき、1965年3月16日 - )は、… 南 利幸(みなみ としゆき、1965年3月16日 - )は、関西を中心に活躍する男性気象予報士・防災士・ビオトープ施工管理士(2級)・技術士(応用理学)。「南気象予報士事務所」代表取締役。 兵庫県西宮市生まれの岡山県倉敷市育ちで、岡山県立玉島高等学校から広島大学総合科学部へ進学した。 広島大学大学院生物圏科学研究科を修了後、日本気象協会へ就職するとともに、同協会関西支部へ配属。20代後半でMBSラジオの天気予報を担当した際、上方落語家と共に番組に出演していた角淳一アナウンサーから、「天気予報にはオチがないんか!オチもなく、ただ話してたら聞いてくれへんで」と言われたのを機に、毎日ダジャレを考案。これが後に「ダジャレを交えるお天気おじさん」として広く知られるきっかけとなった。
大橋 恵里子(おおはし えりこ、1959年6月25日 - )… 大橋 恵里子(おおはし えりこ、1959年6月25日 - )は、岡山県玉島市(現・倉敷市)出身の元アイドル歌手、女優。愛称はフランスのファッション雑誌から「エル(ELLE)」。所属していた事務所は「NPプロ」。 二人姉妹の長女。小学生の頃はフットベースボール、中学生・高校生時代はテニス、バドミントンの選手だった。また中学3年間はブラスバンド部にも所属し、クラリネット担当。ブラスバンド部にいた頃の部は3年連続で金賞を受賞していた。高校2年生の時に地元の山陽放送ラジオで半年間パーソナリティとして出演したことがある。 日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』出身。高校3年生の時に同番組に出場して岩崎宏美の『熱帯魚』を歌い、合格を勝ち取る。
ハギノリザードマンは、日本のお笑い芸人。R-1グランプリ20… ハギノリザードマンは、日本のお笑い芸人。R-1グランプリ2025準優勝。 岡山県立玉島高等学校卒業。 中学時代、友人から一緒にお笑いをやろうと持ちかけられたのが芸人を志すきっかけ。その友人とは高校の進路が別々だったものの、3年ぶりに再会してみるとハギノ曰く「つまらないヤンキーに成り下がっていた」ようでその頃の友人はすっかりお笑いへの情熱が失せていたため腹が立ち、たとえ1人でもやってやろうとNSC大阪校へ26期生として入学した。在籍中の同期にはかまいたちなどがいたものの、かまいたちはハギノとは異なる成績優秀者のクラスだったため面識はなかったという。 プロデビュー後は1期上の先輩とコンビ「三日坊主」を結成し、約6年ほど活動の末に解散。