スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
廣畑 敦也(ひろはた あつや、 1997年12月3日 - )… 廣畑 敦也(ひろはた あつや、 1997年12月3日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 岡山県倉敷市で生まれ、親の転勤で香川県に移住し、高松市立屋島小学校3年生のときに『屋島源平ウイングス』で野球を始めた。当初は捕手としてプレーしており、1学年上の塹江敦哉とバッテリーを組んでいた。6年時は二塁手兼投手としてプレーし、親の仕事の都合で岡山に戻ると、岡山市立京山中学校では軟式野球部に所属。投手を中心にプレーし、3年時には岡山市選抜に選出され、中国大会に出場した。 岡山県立玉野光南高等学校では、1年夏にチームは第95回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、廣畑自身はベンチ外であった。
丸山 高明(まるやま たかあき、1993年9月30日 - )… 丸山 高明(まるやま たかあき、1993年9月30日 - )は、岡山県岡山市出身の元社会人野球選手(外野手)。 岡山市立福島小学校3年からソフトボールを始め、岡山市立福南中学校から「岡山メッツ」で投手兼外野手として硬式野球を始め、主将を務める。 高校は玉野光南高校に進み、2年の夏に7番レフトで出場し岡山大会準優勝、3年の夏は1番センターで出場し8強。副主将を務める。 その後、東都大学野球の亜細亜大学に進学、大学在学時には8シーズン中6度のリーグ優勝を経験。全日本大学選手権大会で2度の準優勝、明治神宮野球大会で2度の優勝をして日本一を経験し、4年生の明治神宮大会では3番ライトで出場し優勝に輝いた。
山原 和敏(やまはら かずとし、1970年12月28日 - … 山原 和敏(やまはら かずとし、1970年12月28日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 操山中時代は三塁手。玉野光南高で投手となり、同期の左腕・山本樹との両輪で3年春に中国大会優勝。夏は県大会準々決勝で敗退。川崎製鉄水島を経て、1992年のドラフト会議にて日本ハムファイターズから1位指名を受け入団。契約金は球団史上初となる1億円だった。 プロ入り1年目の1993年に150kmの速球と縦に割れるカーブを高く評価した大沢啓二監督から、先発に再転向した白井康勝に代わる抑えとして指名されるなど期待を集めた。この年記録した5セーブは2022年に北山亘基に更新されるまで球団の新人最多記録だった。
山本 樹(やまもと たつき、1970年8月31日 - )は、… 山本 樹(やまもと たつき、1970年8月31日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(投手)・野球指導者。 岡山県立玉野光南高等学校では同期の山原和敏との両輪で3年春に中国大会優勝。龍谷大学へ進学。大学時代には、関西六大学リーグの公式戦で、通算10勝9敗の成績を残した。1992年度ドラフト会議で、ヤクルトスワローズから4巡目指名を受けて入団。 1996年から左の先発要員として一軍に定着。谷間の先発からショートリリーフまでこなす便利屋的存在だった。 1998年以降は中継ぎに専念し素質が開花。クローザーの高津臣吾につなぐまでの絶対的なセットアッパーとして、勝ち試合の7回から8回にかけての1~2イニングを中心に登板を重ねた。