スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
香山 進介(かやま しんすけ、1959年5月23日 - )は… 香山 進介(かやま しんすけ、1959年5月23日 - )は、日本の元競泳選手。専門はバタフライ。1976年モントリオールオリンピック・1980年モスクワオリンピック日本代表。200mバタフライ元日本記録保持者。岡山県出身。 尾道高校、法政大学出身。 1976年モントリオールオリンピックでは100mバタフライと200mバタフライに出場し、ともに予選落ちだった。 1978年世界水泳選手権に出場。100mバタフライ・200mバタフライ・400mフリーリレーでは予選落ち、800mフリーリレーでは失格に終わった。三科典由、高橋繁浩、石井英範と組んだ400mメドレーリレー予選では3分54秒38の日本新記録で決勝進出を果たした。
中西 俊二(なかにし しゅんじ、1959年1月5日 - )は… 中西 俊二(なかにし しゅんじ、1959年1月5日 - )は、日本の競泳選手。専門は自由形。1980年モスクワオリンピック日本代表。800m・1500m自由形元日本記録保持者。 有田市立初島中学校、尾道高校、日本大学卒。 1974年アジア競技大会の800mフリーリレーに出場し、金メダルを獲得した。 1980年モスクワオリンピック日本代表選手に選出されたが、ボイコットにより不参加となった。
柳舘 毅(やなぎだて つよし、1957年2月15日 - )は… 柳舘 毅(やなぎだて つよし、1957年2月15日 - )は、日本の競泳選手。専門は個人メドレー・自由形。元自由形・バタフライ・個人メドレー日本記録保持者。1976年モントリオールオリンピック競泳日本代表。 尾道高校、早稲田大学卒業。 1973年世界水泳選手権では200m個人メドレー14位・400m個人メドレー16位で予選敗退に終わった。 1974年アジア競技大会では、200m個人メドレー2位、400m個人メドレーでは優勝を果たした。 1976年モントリオールオリンピックでは200m自由形で1分58秒04の日本新記録を更新したが予選敗退。400m個人メドレーでも4分39秒27の日本新記録を更新したが予選敗退した。
原 秀章(はら ひであき、1956年8月1日 - )は、日本… 原 秀章(はら ひであき、1956年8月1日 - )は、日本の競泳選手。専門はバタフライ。1976年モントリオールオリンピック・1980年モスクワオリンピック日本代表。元100m・200mバタフライ日本記録保持者。 横浜市立大綱中学校、尾道高校、早稲田大学卒業。 1973年世界水泳選手権で100mバタフライで日本タイ記録となる58秒00を出し、予選9位に入るも決勝進出はならなかった。 1974年のアジア競技大会では100mバタフライで優勝、200mバタフライで2位、400mメドレーリレーで優勝を果たした。 1975年世界水泳選手権では100mバタフライの予選で57秒43の日本新記録を出し、決勝に進出する。
石森 昌治(いしもり まさはる、1952年3月26日 - )… 石森 昌治(いしもり まさはる、1952年3月26日 - )は、広島県出身の水泳指導者である。株式会社埼北スイミングスクール(埼玉スウィンスイミングスクール)取締役ヘッドコーチ。日本水泳連盟競泳委員・強化コーチ。
本多 忠(ほんだ ただし、1951年9月19日 - )は、日… 本多 忠(ほんだ ただし、1951年9月19日 - )は、日本の競泳選手。専門は背泳ぎ。山口県出身。 尾道高等学校時代、全国高等学校総合体育大会水泳競技大会で優勝している。高校卒業後は広島商科大学(現広島修道大学)に進学、日本学生選手権水泳競技大会の100m、200m背泳ぎで2年連続優勝している。大学卒業後はフジタに入社し競技を続けた。 1972年のミュンヘンオリンピックでは100m背泳ぎで8位、200m背泳ぎは予選敗退、田口信教・駒崎康弘・佐々木二郎との400mメドレーリレーで6位となった。 1976年のモントリオールオリンピックでは100m背泳ぎで予選落ち、田口信教・原秀章・柳館毅とのメドレーリレーで8位となった。
早稲田 昇(わせだ のぼる、1951年7月23日 - 201… 早稲田 昇(わせだ のぼる、1951年7月23日 - 2010年10月22日)は、日本の競泳選手。専門は自由形。1968年メキシコシティーオリンピック日本代表。 三原市立第三中学校、尾道高校、広島商科大学(現:広島修道大学)卒業。現役時代はフジタドルフィンクラブに所属していた。 全国中学校体育大会、全国高校総体でそれぞれ優勝経験がある。尾道高校の同級生には田口信教や本多忠らがおり、1968年と1969年の高校総体では男子総合優勝も達成した。 1968年のメキシコシティーオリンピックでは200m自由形と800mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちとなった。 1970年のアジア競技大会では200m自由形で銀メダルを獲得し、400mフリーリレーと800mフリーリレーで2冠を達成した。
田口 信教(たぐち のぶたか、1951年6月18日 - )は… 田口 信教(たぐち のぶたか、1951年6月18日 - )は、愛媛県周桑郡壬生川町(現西条市国安)出身の元競泳選手。現役時代の種目は平泳ぎ。1972年ミュンヘンオリンピック100m平泳ぎ金メダリスト・200m平泳ぎ銅メダリスト。現在、医療創生大学理事、鹿屋体育大学名誉教授。愛媛県スポーツ推進審議会会長。西条市名誉市民。 洋画の中の外国の暮らしに憧れて、強くなれば海外に行ける、そう思い水泳を始めた田口は、優秀な指導者を求め12歳で瀬戸内海の対岸、広島県三原市に転居。研究熱心な徳田一臣の指導と、優秀なライバルとの切磋琢磨で才能が開花。田口が加入した三原三中は1964年、創部僅か5年で全国優勝。恵まれた環境で田口は泳ぐたび中学新記録を出した。