スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
嶋田 哲也(しまた てつや、1967年5月13日 - )は、… 嶋田 哲也(しまた てつや、1967年5月13日 - )は、山口県山陽小野田市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、現プロ野球審判員。審判員袖番号は「24」。 中学から野球を始める。柳井商業高では2番手ながら3年春の県大会で優勝、中国地区大会の準決勝で登板した。卒業後、社会人野球の王子製紙米子に進むが、全国大会は未経験であった。 1990年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。 プロ1年目の1991年から一軍初登板を果たし、1993年にはプロ初勝利を挙げるが、これが最初で最後の勝利であった。同年6月27日、この年優勝したヤクルトスワローズを相手に先発すると、新人の伊藤智仁と投げ合って8回1失点と好投するが降板し結局延長15回引き分けとなった。
松林 和雄(まつばやし かずお、1962年6月28日 - )… 松林 和雄(まつばやし かずお、1962年6月28日 - )は、山口県玖珂郡玖珂町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ両打ち。 柳井商業高から、1980年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。プロ入り後にスイッチヒッターに転向する。 プロ8年目の1988年に一軍初出場を果たし、6月には左翼手として2試合に先発出場。この年はウエスタンリーグで盗塁王を獲得。 1990年に福岡ダイエーホークスに移籍。6月にはチャンスメーカーとして9試合に先発、一番打者としても2試合に起用され、6月5日のオリックス戦で松永浩美とともに両軍先頭打者本塁打を記録したが以降は打撃面で結果を残せず同年限りで引退した。
大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は… 大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は、山口県光市出身の元プロ野球選手(投手)。1983年の登録名は大町 定生(読みは同じ)。 現在[いつ?]は、阪神タイガースの球団職員。 柳井商高では1年次の1969年に秋季中国大会で準々決勝に進むが、米子東高に敗退。その後は県予選で敗れて甲子園には出場できず、卒業後の1972年に新日本製鐵光へ入社。 1973年からは偏光グラスをかけ出してプロでもトレードマークになる。1973年のドラフトで太平洋クラブライオンズに6位で、1975年のドラフトではロッテオリオンズに2位で指名されたが、どちらも拒否して新日本製鐵光でのプレーを続けた。 1978年には創部17年目で都市対抗野球初出場を果たし、1回戦で先発するが日本通運に惜敗。
森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 199… 森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 1993年12月7日)は、山口県柳井市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。息子は元俳優の森永健司。 1958年から1962年までの登録名は「森永 勝治」。 柳井商工ではエースとして活躍し、2年次の1951年に秋季中国大会県予選準決勝へ進むが、下関商に敗れる。3年次の1952年には夏の甲子園へ出場し、2回戦(初戦)でエース堀内庄を擁する松商学園に完封勝ち。準々決勝では、この大会に優勝した芦屋高の植村義信と投げ合うが、0-2と完封を喫する。 高校卒業後は1953年に専修大学へ進学し、外野手に転向。東都大学野球リーグでは、1年次の同年春季リーグからレギュラーになり在学中全試合に出場し、2度の優勝を経験。