スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
宮崎 友花(みやざき ともか、2006年8月17日 - )は… 宮崎 友花(みやざき ともか、2006年8月17日 - )は、日本の女子バドミントン選手。大阪府大阪市出身。山口県立柳井商工高等学校卒業。ACT SAIKYO所属。 2006年8月17日、生まれる。 4月1日、柳井商工高等学校入学。1年生在籍中の同年10月、スペインのサンタンデールで開催された世界ジュニア選手権では、女子シングルスで優勝、一躍脚光を浴びる。日本勢としては、奥原希望、山口茜、郡司莉子に続く4人目の世界ジュニアのシングルス女王となった。 3月の全国高校選抜大会では、団体戦で高校1年生にしてシングルスとダブルスの2種目で出場し、柳井商工の3連覇に貢献した。また、個人種目の女子シングルスでも優勝を果たし、2冠を達成した。
田口 真彩(たぐち まや、2005年10月9日 - )は、日… 田口 真彩(たぐち まや、2005年10月9日 - )は、日本の女子バドミントン選手。宮崎県日向市出身。2023年の世界ジュニアダブルス女王。 大阪府大阪市天王寺区の強豪・四天王寺中学に入学。中学2年でU-15バドミントン女子では国内ランキング4位となる。 大会で観た山口県立柳井商工高等学校のバドミントン部の先輩の姿に憧れを抱く。 山口県柳井市立柳井中学校へ転校。転校する時は、大阪の中学で続けたほうが良いのではないかと監督は考え、三度ほど入部を断った。しかし、田口の熱意に負け、入部を認めた。 卒業後は山口県立柳井商工高等学校に入学1年生の時からキャプテンとしてチームを引っ張る。 高校時代は女子バドミントン部の主将を務めた。
あさみ ちゆき(1978年1月11日 - )は、日本の女性歌… あさみ ちゆき(1978年1月11日 - )は、日本の女性歌手。結婚前の本名は山本 陽子(やまもと ようこ)。 山口県光市出身。血液型はA型。芸名は山口県の朝の海の景色から「あさみ」、早逝した兄の名前「智幸」から「ちゆき」、それぞれを採った。 井の頭公園で歌謡曲・フォークソング・演歌・J-POPなどを歌うストリートライブを続け「井の頭公園の歌姫」と称される。 2015年1月11日に一般男性との入籍と懐妊をブログで公表し、7月6日に第1子の男児を出産した。
嶋田 哲也(しまた てつや、1967年5月13日 - )は、… 嶋田 哲也(しまた てつや、1967年5月13日 - )は、山口県山陽小野田市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、現プロ野球審判員。審判員袖番号は「24」。 中学から野球を始める。柳井商業高では2番手ながら3年春の県大会で優勝、中国地区大会の準決勝で登板した。卒業後、社会人野球の王子製紙米子に進むが、全国大会は未経験であった。 1990年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。 プロ1年目の1991年から一軍初登板を果たし、1993年にはプロ初勝利を挙げるが、これが最初で最後の勝利であった。同年6月27日、この年優勝したヤクルトスワローズを相手に先発すると、新人の伊藤智仁と投げ合って8回1失点と好投するが降板し結局延長15回引き分けとなった。
松林 和雄(まつばやし かずお、1962年6月28日 - )… 松林 和雄(まつばやし かずお、1962年6月28日 - )は、山口県玖珂郡玖珂町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ両打ち。 柳井商業高から、1980年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。プロ入り後にスイッチヒッターに転向する。 プロ8年目の1988年に一軍初出場を果たし、6月には左翼手として2試合に先発出場。この年はウエスタンリーグで盗塁王を獲得。 1990年に福岡ダイエーホークスに移籍。6月にはチャンスメーカーとして9試合に先発、一番打者としても2試合に起用され、6月5日のオリックス戦で松永浩美とともに両軍先頭打者本塁打を記録したが以降は打撃面で結果を残せず同年限りで引退した。
大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は… 大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は、山口県光市出身の元プロ野球選手(投手)。1983年の登録名は大町 定生(読みは同じ)。 現在[いつ?]は、阪神タイガースの球団職員。 柳井商高では1年次の1969年に秋季中国大会で準々決勝に進むが、米子東高に敗退。その後は県予選で敗れて甲子園には出場できず、卒業後の1972年に新日本製鐵光へ入社。 1973年からは偏光グラスをかけ出してプロでもトレードマークになる。1973年のドラフトで太平洋クラブライオンズに6位で、1975年のドラフトではロッテオリオンズに2位で指名されたが、どちらも拒否して新日本製鐵光でのプレーを続けた。 1978年には創部17年目で都市対抗野球初出場を果たし、1回戦で先発するが日本通運に惜敗。
荒井 政雄(あらい まさお、1949年6月2日 - 2024… 荒井 政雄(あらい まさお、1949年6月2日 - 2024年11月9日)は、山口県柳井市出身の元レスリング選手で現在は日本レスリング協会役員。1976年モントリオールオリンピックレスリング男子フリースタイル57kg級。山口県立柳井商工高等学校、国士舘大学卒業。 1975年の全日本レスリング選手権大会57kg級では優勝、同年のレスリング世界選手権57kg級では金メダルを獲得した。 2024年11月9日、山口県の自宅で死去。75歳没。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 199… 森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 1993年12月7日)は、山口県柳井市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。息子は元俳優の森永健司。 1958年から1962年までの登録名は「森永 勝治」。 柳井商工ではエースとして活躍し、2年次の1951年に秋季中国大会県予選準決勝へ進むが、下関商に敗れる。3年次の1952年には夏の甲子園へ出場し、2回戦(初戦)でエース堀内庄を擁する松商学園に完封勝ち。準々決勝では、この大会に優勝した芦屋高の植村義信と投げ合うが、0-2と完封を喫する。 高校卒業後は1953年に専修大学へ進学し、外野手に転向。東都大学野球リーグでは、1年次の同年春季リーグからレギュラーになり在学中全試合に出場し、2度の優勝を経験。
吹田 愰(ふきだ あきら、1927年〈昭和2年〉2月1日 -… 吹田 愰(ふきだ あきら、1927年〈昭和2年〉2月1日 - 2017年〈平成29年〉6月19日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、自治大臣(第41代)、国家公安委員会委員長(第51代)、山口県議会議員(4期)、山口県議会議長、山口県熊毛郡城南村長、田布施町長を歴任した。 衆議院議員の西村康稔は娘婿。 山口県熊毛郡城南村(現:田布施町)生まれ。旧制柳井商業学校中退後、甲種飛行予科練習生防府海軍通信学校に入隊した。終戦後は城南村の青年団長を勤め、1948年(昭和23年)ごろにA級戦犯として郷里に戻った岸信介に講演を依頼した。これをきっかけに岸との交流を深め、また、敗戦後の岸の政界復帰に尽力した。
田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 20… 田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 2004年7月22日)は、元卓球選手。卓球用品総合メーカー株式会社タマスの創業者。山口県柳井町(現・柳井市)出身。 旧制柳井商業学校 (現・山口県立柳井商工高等学校) 卒業。1946年、全日本卓球選手権大会では男子シングルス決勝で藤井則和に0-2で敗れ準優勝。1949年、田中良子と出場した全日本選手権混合ダブルス決勝で本庄俊彦 / 西村登美江組を2-0で下し、優勝。1950年、卓球用品総合メーカー株式会社タマスを創業した。1957年、『卓球レポート』を創刊した。1983年、バタフライ卓球道場を建設した。 株式会社タマスは、ブランド名であるBUTTERFLY(バタフライ)として知られている。
佐々木 裕美 は、山口県出身のボートレーサー。登録番号404… 佐々木 裕美 は、山口県出身のボートレーサー。登録番号4045。身長161cm。血液型O型。85期。山口支部所属。夫は坂谷真史(事故により死別)。師匠は小林昌敏。