スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
正木 雄大(まさき ゆうた、1999年6月15日 - )は、… 正木 雄大(まさき ゆうた、1999年6月15日 - )は、山口県宇部市出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は17。 宇部市立西岐波中学校を経て進学した宇部鴻城高等学校時代には捕手として活躍。2年時には3投手を巧みにリードし、中国大会を制覇。2017年には春の高校野球で正捕手として出場した。同年夏は県大会で打率4割と好調だったものの、決勝で下関国際高に敗れた。卒業後は県高野連審判部で裏方を務めた。 2018年12月に開催された第6回NPBアンパイア・スクールにおいて研修審判員として採用され、2019年は独立リーグ・四国アイランドリーグplusにおいて経験を積んだ。 2019年12月11日、日本野球機構より育成審判員として契約することが発表され、翌2020年1月1日に日本野球機構審判部に入局。
中村 恵吾(なかむら けいご、1989年3月23日 - )は… 中村 恵吾(なかむら けいご、1989年3月23日 - )は、山口県山陽小野田市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。NPBでは育成選手であった。 宇部鴻城高校を経て、神奈川大学に進学。高校時代には、3年時に主将を務めたが、春夏とも全国大会に出場できなかった。大学時代にも、ケガの影響で神奈川大学リーグ公式戦への登板が1試合にとどまった。 大学4年生の秋には、リーグ戦へのベンチ登録を果たせなかった。しかし、野球を諦められなかったことから、独立リーグであるBCリーグのトライアウトを受験。その結果、トライアウト後の2012年ドラフト会議で、富山サンダーバーズからの指名を受けて入団に至った。 2013年には、リーグ戦12試合に登板。
小林 敦美(こばやし あつみ、1961年9月27日 - )は… 小林 敦美(こばやし あつみ、1961年9月27日 - )は、山口県宇部市出身の元プロ野球選手(投手)。 宇部鴻城高から社会人野球のリッカーを経て、1983年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。 1984年5月28日の日本ハム戦(阪急西宮球場)で初完封初勝利を記録するも、プロでの勝ち星はこの1勝に終わった。球団名が「オリックス・ブレーブス」に変更された1989年限りで現役を引退。その後は三菱樹脂美祢工場に勤務しながらマスターズリーグ・福岡ドンタクズでもプレーした。
石川 政雄(いしかわ まさお、1950年4月19日 - )は… 石川 政雄(いしかわ まさお、1950年4月19日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 宇部鴻城高校では1968年春季中国大会県予選準々決勝に進むが、柳井高に敗退。夏も県大会で敗れ甲子園には出場できなかったが、強肩俊足の捕手として注目を集める。 1968年ドラフト会議で広島東洋カープに4位指名を受け入団。入団時は田中尊、久保祥次の壁が厚く一軍に定着できなかった。1972年には一軍に上がり、久保、水沼四郎に次ぐ捕手として10試合に先発マスクを被る。しかしその後は西沢正次、道原博幸の台頭もあって出場機会が減り、1977年限りで引退。1979年からブルペン捕手に就任した。
真鍋 安政(まなべ やすまさ、1948年11月5日 - 20… 真鍋 安政(まなべ やすまさ、1948年11月5日 - 2016年11月5日)は、山口県宇部市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。 宇部鴻城高等学校時代は主将を務め、春の中国地区大会の準決勝で下関市立下関商業高等学校を破るなど、攻守の要として活躍。中国地方では指折りの打てる大型内野手として知られていた。通算打率.318[要出典]。 1966年の第1次ドラフト会議で巨人から4位指名され入団。 1972年限りで一軍公式戦の出場がないまま引退した。