スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
豊福 晃司(とよふく こうじ、1991年5月17日 - )は… 豊福 晃司(とよふく こうじ、1991年5月17日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 中学校時代には、鳥栖リトルシニアに所属。3年次には、遊撃手兼投手の1番打者としてジャイアンツカップに出場。 鳥栖高校では、1年次から公式戦に出場。2年秋からは主将を務める。チームとしては2年夏県大会での準優勝が最高成績で甲子園出場経験は無いが、50m5秒8、100m11秒1の俊足と遠投110mの強肩を誇り、同じ鳥栖高等学校出身で同じ平野國隆監督の指導を受けた緒方孝市二世との評価を受けていた。高校通算13本塁打。 2009年のプロ野球ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスの5位指名を受けて入団。
佐藤 吉宏(さとう よしひろ、1983年6月20日 - )は… 佐藤 吉宏(さとう よしひろ、1983年6月20日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 小学3年の時に野球を始める。鳥栖高3年春の選抜に出場。夏は県大会決勝で2本塁打を放つが、同期でプロ入りする野中信吾のいた神埼高に敗れる。高校通算40本塁打。打撃力を評価され、2001年にドラフト4巡指名で日本ハムファイターズに入団。2年目の2003年から二軍でレギュラーを掴んだが、一軍に昇格する事は出来ず長い二軍生活を送っていた。 2007年は北京プレオリンピック野球日本代表に選出され、主に二番打者として打率.500の成績を残した。 2008年4月15日、プロ入り7年目にして初めて一軍選手登録され、4月19日の福岡ソフトバンクホークス戦に初先発出場し、第一打席でプロ入り初安打となる本塁打を打った。
前間 卓(まえま たかし、1971年9月30日 - )は、佐… 前間 卓(まえま たかし、1971年9月30日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 鳥栖高では3年春に県大会決勝で9回二死までノーヒットノーラン、九州大会は準優勝。当初は筑波大への進学を希望していたが、1989年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。 プロ7年目の1996年に一軍初登板、初勝利を果たし、特に前半戦は先発・リリーフにフル回転の活躍を見せた。1997年オフにトレードでロッテへの移籍が決まっていたものの「野球への情熱がなくなった」、「引退後の将来が疑問」という理由からへの移籍を拒否し現役を引退した。 現在は、佐賀県鳥栖市にてTDE式頭蓋脊椎仙骨調整師として「あきぞら」を経営。
緒方 孝市(おがた こういち、1968年12月25日 - )… 緒方 孝市(おがた こういち、1968年12月25日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)。現在は野球解説者、野球評論家として活動している。 2021年9月から、2022年第8回「スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム」サポーター。 妻はタレントの緒方かな子。長女は声優の緒方佑奈。 佐賀県立鳥栖高等学校では3年春の九州大会でベスト8、夏は全国高等学校野球選手権佐賀大会でベスト4。出身高校である鳥栖高校の同級生にはオリンピックに出場経験のある元競泳選手の緒方茂生がいる。 1986年のドラフト会議で広島東洋カープが3位指名で交渉権を獲得し契約金3000万円、年俸360万円(金額は推定)で入団合意した。
権藤 博(ごんどう ひろし、1938年12月2日 - )は、… 権藤 博(ごんどう ひろし、1938年12月2日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(投手・内野手、右投右打)・コーチ・監督・野球解説者・野球評論家。 現役時代は中日ドラゴンズでプレーし、全盛期は短いながら1961年から1962年にかけて2年連続で30勝以上を記録してセントラル・リーグの最多勝利投手となるなど、エース投手として活躍、新人年の1961年にはセ・リーグの投手三冠(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振)を達成、沢村賞と同リーグの新人王を同時受賞した。投手としての通算成績は5年間で210登板、1136投球回、82勝60敗、667奪三振、防御率2.69。引退後は中日や近鉄バファローズ、福岡ダイエーホークス、横浜ベイスターズでコーチを、また1998年から2000年には横浜の監督を務め、横浜監督就任1年目の1998年にはチームを38年ぶりのセ・リーグ優勝と日本シリーズ優勝に導いた。