スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山田 遥楓(やまだ はるか、1996年9月30日 - )は、… 山田 遥楓(やまだ はるか、1996年9月30日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 3歳の時、右耳が先天性の難聴であることが判明(詳しくは後述)。 小学校2年生の時に兄の影響で野球を始めた。佐賀市立鍋島中学校に進むと、2年生の時から硬式の「藤本ベースボールクラブ」でプレーした。同チーム出身者のプロ入りは堤裕貴以来2人目。 佐賀県立佐賀工業高等学校では1年生の秋からレギュラー、3年時に主将になった。その年の第96回全国高等学校野球選手権大会・佐賀大会の佐賀県立佐賀北高等学校との決勝戦では安打を放ち同点のホームを踏んだ他、投手としてリリーフ登板もしたが、延長戦の末に敗れている。
鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、… 鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ、野球解説者。 3歳年上の実兄は社会人野球のかずさマジックに1期生として在籍した鬼崎智史。 小学1年生のとき、兄の影響を受けて野球を始める。 1999年、佐賀県立佐賀工業高等学校へ進学し、遊撃手に転向。高校時代は甲子園出場はなかった。 2002年、関東学院大学へ進学すると、春からベンチ入り。秋からレギュラーをつかんだ。 2003年、全日本大学野球選手権大会に出場するなど大舞台の経験を積んだ。 2005年、春季リーグでMVPを獲得し、巧守のドラフト候補として名前が挙がった。しかしこの時点では指名されなかった。
鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、… 鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
中村 善之(なかむら よしゆき、1974年12月1日 - )… 中村 善之(なかむら よしゆき、1974年12月1日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手(投手)。右投両打。血液型はB型。 佐賀県立佐賀工業高等学校を経て、新日本製鐵八幡へと進み、1997年のドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。本格派で、武器は、スライダー、カーブ、特にフォークボールが決め球だった。 しかし、一軍登板がないまま2000年に戦力外通告を受け現役を引退。 翌2001年から2007年まで巨人の打撃投手を務めた。退団後はもつ鍋店、焼肉店で修行し、2017年3月に横浜市都筑区にもつ鍋店「九州うまかもん 時乃屋」を開業した。
江口 孝義(えぐち たかよし、1969年5月15日 - )は… 江口 孝義(えぐち たかよし、1969年5月15日 - )は、佐賀県小城市出身の元プロ野球選手(投手)。1996年の登録名は江口 嵩芳(読み同じ)。 佐賀工業高在学中、1987年に夏の選手権にエースとして出場を果たす。大会では最速148km/hを記録するなど、本格派右腕として脚光を浴びた。チームは初戦である2回戦で東海大甲府高を2-1で破ったが、3回戦で習志野高に4-12と大敗した。 プロ入りには消極的で、高校卒業後は社会人野球のNTT九州に入社する。入社後も「アマチュアNo.1投手」と高評価を受け、社会人2年目で全日本代表メンバーにも選出された。順風満帆であったが、社会人3年目に右肩を痛め、プロ入り前に「肩の故障があるからプロ入りは拒否」と各球団に提示。
佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日… 佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日 - 1999年10月3日)は、佐賀県佐賀郡諸富町(現在の佐賀市)出身で、近鉄バファローズ所属の元プロ野球選手(投手)、井筒部屋(後に君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は土師 一男(はじ かずお)。大相撲時代は身長185cm、体重107kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両11枚目(1972年7月場所)。土師一夫の四股名でも関取在位がある。 佐賀県立佐賀工業高等学校を経て1964年に近鉄バファローズに入団。2年間在籍するも一軍登板なく退団した。 退団後すぐに力士に転向し、大相撲の井筒部屋に入門して1965年11月場所で初土俵を踏んだ。
佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日… 佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日 - 1999年10月3日)は、佐賀県佐賀郡諸富町(現在の佐賀市)出身で、近鉄バファローズ所属の元プロ野球選手(投手)、井筒部屋(後に君ヶ浜部屋)所属の元大相撲力士。本名は土師一男。大相撲時代は身長185cm、体重107kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両11枚目(1972年7月場所)。土師一夫の四股名でも関取在位がある。
田中 久寿男 (たなか くすお、1935年4月24日 - 2… 田中 久寿男 (たなか くすお、1935年4月24日 - 2001年2月24日)は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(投手、内野手、外野手)・コーチ。 長男の浩二は、かつて俳優として活動していた。 佐賀工業高校から東洋高圧大牟田を経て、投手として1955年に西鉄ライオンズへ入団。 2年目の1956年に4月15日の近鉄戦ダブルヘッダー第2試合(大阪)にて初登板で先発投手を任されるが、打者2人に1安打1四球で1死も取れずに降板。シーズン中盤には野手に転向した。3年目の1957年には河野昭修と一塁手のレギュラーを争い、三塁手や外野手としても起用され、同年は50試合に先発出場。1958年の巨人との日本シリーズでは全7戦中5戦に先発出場するが、19打数3安打と活躍できなかった。