スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
本山 勝寛(もとやま かつひろ、1981年3月13日 - … 本山 勝寛(もとやま かつひろ、1981年3月13日 - )は、日本の経営者、著作家、ブロガー。株式会社4kiz代表取締役CEOを務める。 5人きょうだいの4番目として大分県に生まれる。兄が2人、姉と妹がそれぞれ1人いる。少年時代は、母親とは12歳で死別したが、生前に母親が毎晩本を読み聞かせをしてくれたことが印象に残っていると述懐している。学習漫画 日本の歴史シリーズなどの学習漫画をセリフを暗記するほど読んでいた。14歳から新聞配達やウェイターなどをする極貧アルバイト生活を送り、15歳の時に父親がホンジュラスに移住、長兄と姉も国外にいたため、家では次兄と妹と自分の3人だけで生活していた。高校は大分県立大分上野丘高等学校に進学。
石川 正史(いしかわ まさし、1976年7月15日 - )は… 石川 正史(いしかわ まさし、1976年7月15日 - )は、日本の政治家、YouTuber、会社役員。大分県津久見市長(1期)。元大分放送(OBS)のアナウンサー、ディレクター。 大分県大分市出身。祖父の代からパン屋を営む家庭に生まれる。大分市立中島小学校、大分市立碩田中学校(前述の2校は小学校2校と統合した上で2017年4月に義務教育学校に改編され、現在は大分市立碩田学園)、大分県立大分上野丘高等学校を経て法政大学経済学部卒業。 1999年4月に山口放送 (KRY) に入社し、2006年3月まで同局のアナウンサーを務めた。 2006年4月に大分放送へ中途入社。テレビ番組「おはようナイスキャッチ」や「かぼすタイム」の司会やラジオパーソナリティー、スポーツ実況などを担当。
穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月2… 穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月24日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の前衆議院議員(3期)、株式会社ジョイフル第2代・第5代代表取締役社長。ジョイフル創業者の穴見保雄の長男。 同社顧問(元社長)でアメイズ副社長の児玉幸子は叔母、現社長の穴見くるみは妻、アメイズ現社長の穴見賢一は実弟である。 大分県佐伯市出身(現在は大分市中島西に在住)。大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校卒業。一浪後法政大学経済学部に進んだが中退。 1994年に父が経営するジョイフルに入社。1997年に地域子会社の中国ジョイフル(岡山県倉敷市)の社長に就任(ジョイフル本社はこの時点で一旦退職)。
園田 憲(そのだ けん、1962年 - )は、TBSホールデ… 園田 憲(そのだ けん、1962年 - )は、TBSホールディングス(以下「TBSHD」)取締役、TBSグロウディア代表取締役社長。TBSテレビ元チーフプロデューサー、演出家。大分県立大分上野丘高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。
平子 裕志(ひらこ ゆうじ、1958年1月25日 - )は、… 平子 裕志(ひらこ ゆうじ、1958年1月25日 - )は、日本の実業家。ANAホールディングス株式会社取締役副会長。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。新卒で全日本空輸株式会社へ入社。 入社後は、営業本部東京支店を皮切りに、日本経済研究センターへと出向し、経理部、マーケティング業務部、事業推進本部をはじめ、東京エリアにて様々な職場を経験する。その後は、ANA国際線事業の急速な拡大期のネットワーク戦略に約14年携わっていく。 1999年6月から2001年3月には、当時の野村代表取締役社長の秘書を務める。2001年4月から2004年6月には、営業推進本部ネットワーク戦略部を担当し、2004 年7月から2006年3月に東京空港支店旅客部長として羽田でのお客様対応の陣頭指揮を執る。
中島 拓(なかしま ひらく、1957年9月6日 - )は、日… 中島 拓(なかしま ひらく、1957年9月6日 - )は、日本の実業家。ジェイリース株式会社創業者・CEO代表取締役。 大分県大分市生まれ。1973年大分大学教育学部附属中学校卒業。1976年大分県立大分上野丘高等学校卒業。1980年中央大学法学部卒業、拓成入社。1997年日本青年会議所国際室委員長。2004年ジェイリースを設立し、代表取締役社長に就任。2016年に東京証券取引所マザーズに上場させ、同年、大分南ロータリークラブ会長に就任。2018年には東京証券取引所市場第1部への上場を果たし、2019年、ジェイリース代表取締役社長兼会長に就任。 ジェイリース取締役副社長で、日本青年会議所第71代会頭の中島土は長男。
工藤 泰三(くどう やすみ、 1952年(昭和27年)11月… 工藤 泰三(くどう やすみ、 1952年(昭和27年)11月14日 - )は、日本の海事実業家。日本郵船株式会社代表取締役会長、社団法人日本船主協会理事。
吉野 隆(よしの たかし、1952年1月4日 - )は、日本… 吉野 隆(よしの たかし、1952年1月4日 - )は、日本の実業家。インフォコム株式会社代表取締役社長CEOや、東邦テナックス株式会社代表取締役社長を務めた。 大分県生まれ。1970年大分県立大分上野丘高等学校卒業。1974年九州大学工学部を下から2番目の成績で卒業し、教授の推薦で帝人に入社。1998年帝人システム事業企画管理部長。2000年帝人IT企画室長。2001年インフォコム取締役。2003年インフォコムCMO/CTO。2004年インフォコムナレッジマネジメント本部長。2005年インフォコムCSO。 2006年からインフォコム代表取締役社長CEOとして構造改革にあたったのち、帝人グループ執行役員を経て、2012年帝人炭素繊維・複合材料事業本部長補佐。
金馬 昭郎(きんば あきお、1927年8月18日 - 201… 金馬 昭郎(きんば あきお、1927年8月18日 - 2019年4月15日)は、日本の実業家。京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校、東京大学第二工学部土木工学科卒業。1951年4月、京阪電気鉄道に入社。主に技術畑を歩み、1977年から取締役、常務、専務を経て1992年から副社長。1995年から社長に就任。京阪神急行電鉄(1943年に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併して発足。企業としては現在の阪急阪神ホールディングス)から京阪電鉄が再分離した後に入社した、初の社長となった。社長時代は子会社の整理など事業の構造改革に取り組んだ。2001年に社長を退任。尚、後任の社長の佐藤茂雄も同郷・大分県出身である。
田代 和(たしろ わ、1927年1月6日 - 2013年11… 田代 和(たしろ わ、1927年1月6日 - 2013年11月24日)は、実業家。近畿日本鉄道元社長(大阪電気軌道創業から12代目)・会長。位階は従三位。 独特ではあるが名前の「わ」はれっきとした本名である。 大分県出身。旧制大分中学・旧制五高を経て東京大学工学部卒業後、1949年に近畿日本鉄道入社。1994年に代表取締役社長、1999年に会長就任、2003年に後任に譲り退任した。 2002年から大阪近鉄バファローズのオーナーを、オリックス・ブルーウェーブに吸収合併され球団解散になる2004年まで務めた。 その他、大阪商工会議所副会頭を1996年から、1999年から2004年まで会頭を務めた。大商は2003年4月に大阪工業会を吸収、大阪財界の顔として活躍した。
木下 哲(きのした てつ、1911年(明治44年)6月 - … 木下 哲(きのした てつ、1911年(明治44年)6月 - 1961年(昭和36年)7月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 大分県宇佐郡安心院村(安心院町を経て現宇佐市)で、木下淳太郎、ウメの息子として生まれる。大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1935年(昭和10年)日本大学法律学科を卒業した。 家業の弁当屋・梅乃屋を継承した。兄木下郁から影響を受け、1946年(昭和21年)日本社会党に入党し、1947年(昭和22年)大分県議会議員に当選し2期在任。この間、社会党大分県連書記長、同会長を務めた。1955年(昭和30年)兄の郁が大分県知事選挙に転じたことに伴い、同年2月の第27回衆議院議員総選挙で大分県第1区から右派社会党公認で出馬して初当選し、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙では社会党公認で出馬して再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
安藤 楢六(あんどう ならろく、1900年(明治33年)9月… 安藤 楢六(あんどう ならろく、1900年(明治33年)9月14日 - 1984年(昭和59年)1月11日)は、日本の実業家。小田急電鉄社長、同名誉会長。小田急百貨店社長。 東京帝国大学で学び、1925年小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)に入社。関連会社であった東京山手急行電鉄及び帝都電鉄、小田急電鉄(初代)、戦時統合により発足した東京急行電鉄(大東急)での勤務を経て、1946年6月に大東急の取締役となり、後に専務、副社長に就任する。1948年6月1日の大東急解体にも大東急副社長として携わり、現在の小田急電鉄発足に尽力。同年12月、東急の第二会社として分離独立した(新)小田急電鉄の初代社長となる。
星野 靖之助(ほしの やすのすけ、1899年(明治32年)1… 星野 靖之助(ほしの やすのすけ、1899年(明治32年)1月1日 - 1988年(昭和63年)10月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 大分県出身。星野太三郎の長男として生まれる。大分県立大分中学校を経て、1925年(大正14年)3月、慶應義塾大学経済学部を卒業した。 同年4月、三井鉱山に入社し、1927年(昭和2年)3月、三井合名会社に転じた三井総元方情報主任となり、司法省刑事局嘱託、内務省警保局嘱託も務めた。1942年(昭和17年)4月の翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け旧北海道4区から出馬して当選、衆議院議員を1期務めた。この間、翼賛政治会総裁秘書、小磯内閣で小林躋造国務大臣秘書官、行政査察使随員、幣原内閣で海軍参与官、同第二復員参与官などを歴任。
山口 馬城次(やまぐち まきじ、1892年(明治25年)8月… 山口 馬城次(やまぐち まきじ、1892年(明治25年)8月6月 - 1987年(昭和62年)6月17日)は、大正から昭和期の山林地主、実業家、政治家。衆議院議員、大分県宇佐郡麻生村長、初代旧宇佐市長、宇佐市名誉市民。 大分県宇佐郡麻生村大字山口(四日市町を経て現宇佐市)で、山口格の二男として生まれる。大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1914年(大正3年)早稲田大学専門部政治経済科を卒業した。帰郷して1924年(大正13年)父の隠居に伴い家督を相続し農業を営む。 1930年(昭和5年)麻生村長に就任し4期在任。1931年(昭和6年)大分県会議員に選出され3期在任し、同副議長を務め、1940年(昭和15年)同議長に就任した。
麻生 益良(あそう ますよし、1885年(明治18年)6月 … 麻生 益良(あそう ますよし、1885年(明治18年)6月 - 1949年(昭和24年)8月1日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 醸造業・麻生観八の長男として、大分県玖珠郡、のちの東飯田村(現九重町)で生まれる。県立大分中学校に学んだが病のため中退した。1921年(大正10年)玖珠実業銀行相談役となり、のち同行頭取に就任した。1935年(昭和10年)大分県選挙粛正委員となり、ついで同農地委員、同酒造組合連合評議員、九州水力電気、大分人造羊毛各監査役、森水力電気相談役などを歴任した。 1939年(昭和14年)大分県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
朝倉 毎人(あさくら つねと、1882年〈明治15年〉5月2… 朝倉 毎人(あさくら つねと、1882年〈明治15年〉5月21日 - 1971年〈昭和46年〉8月10日)は、大正から昭和期の日本の実業家、政治家。衆議院議員、竹田市名誉市民。 大分県直入郡、のちの豊岡村(竹田町、豊岡村(第二次)を経て現:竹田市)で、公吏朝倉親為の五男として生まれる。1900年(明治33年)大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)を卒業。第五高等学校法科を経て、1907年(明治40年)京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業した。 富士瓦斯紡績(現:富士紡ホールディングス)に入社。同社常務取締役、静岡県方面委員、朝鮮産業経済調査委員、満州紡績取締役、第二富士電力取締役、大井川鉄道取締役、富士電力取締役、日産自動車専務取締役、明和紡績社長、明治紡績社長、日本自動車配給社長、日本機械輸出振興取締役などを務めた。
小野 義夫(おの よしお、1880年(明治13年)10月2日… 小野 義夫(おの よしお、1880年(明治13年)10月2日 - 1956年(昭和31年)10月13日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。位階は正五位。参議院議員。 大分県大分郡、のちの南庄内村(庄内村、庄内町を経て現由布市)で、小野同雲の二男として生まれる。大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1905年(明治38年)早稲田大学法科を卒業した。 神奈川県の依頼で満州の利源調査委員に就任し、絹、綿の調査を実施し、そのことがきっかけで1907年(明治40年)古河鉱業(現古河機械金属)に入社し、本社課長を務めた。ラサ島燐礦株式会社(現ラサ工業)の債務整理で実績を上げ、同社常務取締役、古河鉱業重役、関西硫酸監査役などを務めた。
森 環(もり たまき、1876年(明治9年)6月1日 - 1… 森 環(もり たまき、1876年(明治9年)6月1日 - 1950年(昭和25年)12月21日)は、明治から昭和期の農業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、大分県議会議員、大分県大野郡上井田村長を務めた。 大分県大野郡下野村(上井田村大字下野、朝地村、朝地町を経て、現在の豊後大野市朝地町下野)で、大地主、酒造業・森鵜吉の長男として生まれた。1898年(明治31年)大分県立大分中学校(現在の大分県立大分上野丘高等学校)を卒業した。1905年(明治38年)3月、家督を相続し、農業、酒造業を営む。 有限責任信用販売購買組合を設立し組合長に就任し、上井田村農会長も務めて18年間在任した。1914年(大正3年)大野郡畜産組合長となり30年間在任し、豊後牛の改良などに尽力した。
漆間 啓 (うるま けい) は、日本の実業家である。三菱電機… 漆間 啓 (うるま けい) は、日本の実業家である。三菱電機取締役代表執行役社長CEO。電子情報技術産業協会(JEITA)会長。 大分県出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て1982年に早稲田大学商学部を卒業し、三菱電機へ入社する。 2006年FAシステム業務部長、2010年国際部次長、2015年常務執行役、2018年専務執行役、2021年取締役代表執行役社長CEO。品質不正で役員報酬減額処分を受けた。