スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
土居 昌弘(どい まさひろ、1969年〈昭和44年〉5月7日… 土居 昌弘(どい まさひろ、1969年〈昭和44年〉5月7日 - )は、日本の政治家。大分県竹田市長(2期)。大分県議会議員(4期)、竹田市議会議員(2期)を歴任。 大分県立竹田高等学校、大分大学経済学部卒業、大分大学経済学研究科博士前期課程終了後、近畿日本ツーリストに就職。 竹田市議会、大分県議会議員を歴任。在籍中中央仏教学院を卒業。 2021年、竹田市長選挙に立候補。福祉政策を重点的に訴え初当選した。 2025年、新人の候補を破って再選した。
首藤 健二郎(しゅとう けんじろう、1960年4月1日 - … 首藤 健二郎(しゅとう けんじろう、1960年4月1日 - )は日本の政治家。大分県議会議員。 以前は大分県を拠点に活動するローカルタレント。大分県竹田市出身。(有)オフィス・ケン代表取締役。ニックネームは「健ちゃん」。「豊後のスーパースター」とも呼ばれていた。 大分県立竹田高等学校卒業後早稲田大学に入学するが中退。中退後はお笑いの勉強に励み、その後大分に帰りイベントの司会などをしていたときにOBSラジオのディレクターにスカウトされ、同局の深夜番組『君のハートにナイトイン』のパーソナリティとして一躍有名になる。以来主にOBSの番組に多く出演し、大分ローカルタレントの第一人者として活躍を続けていた。
橋本 祐輔(はしもと ゆうすけ、1954年(昭和29年)1月… 橋本 祐輔(はしもと ゆうすけ、1954年(昭和29年)1月22日 - )は、日本の政治家。元豊後大野市長(2期)。 大分県立竹田高等学校、西南学院大学卒業。1978年(昭和53年)から身体障害者療護施設の生活相談員。高齢者デイサービスセンターの所長も務めた。身体障害者療護施設では「自治」の精神を大事にし、ベッドの配置を入所者に決めさせるなどした。1996年(平成8年)1月から(旧)緒方町議会議員を3期、2005年(平成17年)4月から豊後大野市議会議員を1期務めた。 2009年(平成21年)4月12日に行われた豊後大野市長選挙に立候補。現職の芦刈幸雄、元市議の佐藤生稔らを破り初当選を果たした。
阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月1… 阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月18日 - )は、日本の官僚、政治家、実業家。 大分県竹田市出身。かつて中国管区警察局長や参議院議員、清和大学法学部教授。ZENTA株式会社保安顧問、 アルゼ株式会社(現ユニバーサルエンターテインメント)代表取締役社長などを歴任した。 2019年まで全国道路標識・標示業協会顧問。
本田 維憲(ほんだ これのり、1936年5月6日 - )は、… 本田 維憲(ほんだ これのり、1936年5月6日 - )は、日本の政治家。元大分県速見郡日出町長(2期)。株式会社ハーモニーランド監査役、株式会社日出ハイテック代表取締役社長を歴任。 1936年(昭和11年)5月6日、大分県直入郡松本村(現・竹田市)で軍医をしていた本田文生と妻[歯科医師]千枝の三男として生まれる。 大分県立竹田高等学校、明治大学政治経済学部政治学科卒業。1960年(昭和35年)に株式会社ラジオ大分(現・株式会社大分放送)に入社。秘書部長、総務局長等を歴任し、1994年(平成6年)に大分放送を退職。この間、1975年(昭和50年)に日出町に移住。 1996年(平成8年)に民間出身として初めて日出町長に当選(一期)。
末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月2… 末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月20日 - 2025年(令和7年)12月14日)は、日本の元政治家・官僚。国土庁土地局長を経て、北九州市長を1987年から2007年まで5期20年の長期にわたり務める。同市長を引退後は、外務省参与、内閣官房参与、財務省参与を歴任した。 2009年6月から2018年6月まで、アジア成長研究所(本部:北九州市小倉北区)理事長を務める。後に同研究所名誉理事長。 1934年(昭和9年)、兵庫県西宮市生まれ。本籍は小倉市(現:北九州市)。小学校時代の1945年(昭和20年)8月に第二次世界大戦の終結を経験したとき「世の中に絶対というものはない」と感じたという。
羽田野 次郎(はたの じろう、1903年(明治36年)2月2… 羽田野 次郎(はたの じろう、1903年(明治36年)2月26日 - 1988年(昭和63年)4月29日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。衆議院議員。旧姓・前田。 大分県大野郡緒方村(緒方町を経て現豊後大野市)で、篤農家・前田弥三郎の二男として生まれる。大分県立竹田中学校(現大分県立竹田高等学校)を経て、1928年(昭和3年)長崎高等商業学校(現長崎大学)を卒業した。 同郷の羽田野ワキと結婚して羽田野に改姓し、東京市役所に勤務。その後帰郷し、教員、産業組合理事を務めたが、病のため療養した。 1946年(昭和21年)緒方村農地委員会長に就任し、大分県農地委員、緒方村助役を歴任。緒方村農業協同組合長、大分県農業協同組合連絡協議会長を務め、1948年(昭和23年)農協五連(信用、購買、販売、指導、厚生)結成発起人会総代表となり各連合会の結成に尽力し、大分県信用農業協同組合連合会長に就任した。
安東 玉彦(あんどう たまひこ、1900年(明治33年)8月… 安東 玉彦(あんどう たまひこ、1900年(明治33年)8月7日 - 1990年(平成2年)9月19日)は、日本の政治家。大分県大分市長。 大分師範学校、法政大学高等師範部を卒業後、大分師範学校教諭、大分県視学、大分県立竹田高等女学校(現大分県立竹田高等学校)校長、大分県立別府高等女学校(現大分県立別府鶴見丘高等学校)校長を歴任。1947年(昭和22年)に大分市助役となる。 1963年(昭和38年)3月、周辺市町村との合併により新設された新・大分市長に当選。以後、1975年(昭和50年)まで、3期12年にわたり大分市長を務めた。 任期中の12年間は、ちょうど日本の高度成長期にあたった。大分市も、1964年(昭和39年)1月に新産業都市の指定を受けると、沿岸の埋立地に新日本製鐵大分製鐵所や昭和電工大分事業所などの企業が次々に立地して大分臨海工業地帯が形成されるなど、経済的に大きく発展し、人口が急増した時期であった。