スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田﨑 昌弘(たざき まさひろ、1974年9月30日 - )は… 田﨑 昌弘(たざき まさひろ、1974年9月30日 - )は、大分県西国東郡真玉町(現:豊後高田市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学3年生から野球を始めるが、進学した中学校に野球部が無かった為、中学ではテニス部に所属した。 大分県立高田高校時代は中堅手兼二番手投手で、打撃では4番を打った。 九州工業大学でも投手として登板する一方で打線の中軸も任され、投打の柱として活躍した。大学時の通算成績は3勝47敗で、福岡六大学リーグの最多敗戦数である。 大学卒業後の1997年春にはJR九州に入社。長身と強靭な上体を活かしたフォームから150km/hに迫る速球を投げこんで、入社早々から速球派エースとして台頭した。
田﨑 昌弘(たざき まさひろ、1974年9月30日 - )は… 田﨑 昌弘(たざき まさひろ、1974年9月30日 - )は、大分県西国東郡真玉町(現:豊後高田市)出身の元プロ野球選手(投手)。
金田 政彦(かねだ まさひこ、1969年4月30日 - )は… 金田 政彦(かねだ まさひこ、1969年4月30日 - )は、大分県豊後高田市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。 高田高等学校から社会人野球の日産自動車九州へ進むと藤井将雄と投手陣の軸となる、補強選手として都市対抗野球に出場した1992年のドラフト2位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 1993年(1年目)から一軍で登板したが、制球難と単調になりやすい投球スタイルから中々定着できずにいたが、1995年にはウエスタン・リーグで最多勝を獲得した。 1996年、先発ローテーション入りしたが、6勝8敗と負け越した。日本シリーズ第4戦では2番手で登板した。 1997年、星野伸之以外に左の先発投手がいなかったチーム事情もあり、飛躍を期待されたが開幕は二軍スタートとなり、6月後半にやっと一軍初先発となり初登板初勝利を挙げたが、その後に3連敗を喫して二軍落ち。
太田 龍生(おおた たつお、1964年4月29日 - )は、… 太田 龍生(おおた たつお、1964年4月29日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 大分高田高から1982年のドラフト4位で広島東洋カープに入団。 広島次期主力投手と評されるも一軍登板は無く、広島OBの張明夫(福士敬章)の推薦もあって1988年5月に韓国プロ野球(KBO)の三星ライオンズに移籍。三星での登録名は鄭 龍生(チョン・ヨンセン、정용생)。しかし、同年は未勝利に終わり退団。 1990年に福岡ダイエーホークスにて日本球界復帰。しかし、一軍登板はなく同年オフに戦力外通告を受ける。結局、日本プロ野球では一軍登板することなく現役引退。 1991年から2012年まで広島の打撃投手を務めた。
成重 春生(なりしげ はるお、1948年4月20日 - )は… 成重 春生(なりしげ はるお、1948年4月20日 - )は、大分県豊後高田市真玉町出身の元プロ野球選手(投手)。 大分高田高校では、2年次の1965年に控え投手として中九州大会準決勝に進出するが、八代東高に敗退。3年次の1966年には夏の県予選準々決勝で岩崎忠義のいた津久見高に敗れ、甲子園には出場できなかった。高校時代の3年間は先発をさせてもらえず、3年次の同年も2年生が先にマウンドに登り、打たれると成重の出番であった。 高校時代の戦績はゼロに等しかったが、プロでやりたいという気持ちからヤクルトと中日のテストを受けた。結果はどちらも不合格で、成重は「それなら社会人」と松下電器のセレクションを受ける。
門岡 信行(かどおか のぶゆき、1943年9月3日 - )は… 門岡 信行(かどおか のぶゆき、1943年9月3日 - )は、大分県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 大分高田高校では2年生でエースとなり、1960年の夏の甲子園中九州予選決勝に進出するが、熊本商に敗退。翌1961年夏には中九州大会決勝で熊本工を降し、夏の甲子園に初出場。結果は1回戦で高橋善正を擁する高知商に5-0で敗れる。敗戦後に帰路で乗っていたフェリーの中で門岡は中日ドラゴンズへの入団表明をしたが、プロスカウトとの接触・交渉は退部届提出後と規則で決まっており、これを破ったとして高野連は高田高校に対して1962年8月まで約1年間の対外試合禁止処分を下した(門岡事件)。 中日へ入団した門岡は1年目に53試合に登板し、スライダーやフォークを武器に10勝10敗と2桁勝利を記録、規定投球回(16位、防御率3.00)にも達する。
安東 功(あんどう いさお、1942年10月1日 - )は、… 安東 功(あんどう いさお、1942年10月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。 高田高校から東洋高圧大牟田を経て、1963年に広島カープへ入団。真っ向から投げる剛球と鋭いシュートに定評があった。1965年には10試合出場したが、全て偵察要員としての出場だった。同年引退。
門岡 良典(かどおか よしのり、1941年6月1日 - )は… 門岡 良典(かどおか よしのり、1941年6月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。中日ドラゴンズに所属した門岡信行は弟。 高田高校から1961年に毎日大映オリオンズへ入団。僅か1試合の出場で、2年目の1962年に引退した。 門岡のオリオンズ入団は、翌年卒業する弟の信行を獲得するためだったとも言われている。