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大田原 隆太(おおたはら りゅうた、1987年7月30日 -… 大田原 隆太(おおたはら りゅうた、1987年7月30日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 都城市立今町小学校1年時に野球を始め、都城市立五十市中学校では軟式野球部に所属。同部在籍時の3年時に市内大会で準優勝。 宮崎県立都城工業高等学校に進学し、3年時に全国高校野球選手権大会宮崎県大会3回戦・宮崎県立延岡西高等学校戦に於いてノーヒットノーランを達成。チームのベスト8入りに貢献した。 2005年のドラフト会議にて、高校生の部ドラフト4巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団。 一軍昇格は果たせず、2009年もウエスタン・リーグで4試合に登板、10イニングで20失点と散々だった。
南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 -… 南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。 1960年12月9日に宮崎県都城市で生まれる。「南牟礼」という名字は鹿児島県東部の大隅半島付近を発祥と言われ、鹿児島県大隅町に多いとされる。全国的には僅か40名ほどしか確認されていないという。 宮崎県立都城工業高等学校では黒原祐二(のちに西武ライオンズ)と同期で、卒業後は電電九州に就職して1980年から2年連続で都市対抗野球大会に出場を果たす。 1981年のドラフト会議で阪急ブレーブスから3巡目で指名されたが、電電九州は他に横浜大洋ホエールズから右田一彦が1巡目、村岡耕一が3巡目で指名されており、同い年かつ同期入社組3名が揃ってプロ入りを果たした。
黒原 祐二(くろはら ゆうじ、1960年8月27日 - )は… 黒原 祐二(くろはら ゆうじ、1960年8月27日 - )は、宮崎県北諸県郡高崎町出身の元プロ野球選手(投手)である。1979年の登録名は黒原 裕二。 1960年8月27日に宮崎県北諸県郡高崎町で生まれる。宮崎県立都城工業高等学校ではエースとして活躍したが甲子園出場は叶わなかった。同期にはのちに阪急ブレーブスに入団する南牟礼豊蔵がいる。 1978年のプロ野球ドラフト会議で、西武ライオンズから4巡目で指名され、入団する。 1982年にはイースタン・リーグで最優秀救援投手のタイトルを獲得する。 1983年に1軍初登板。 1984年には中継ぎとして18試合に登板。 1985年に初勝利を挙げた。 1988年には自己最多の33試合に登板して2勝1セーブを記録し、同年の日本シリーズ(対中日ドラゴンズ戦)では第5戦で初登板を果たした。