スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
柏田 樹(かしわだ たつき、1997年11月9日 - )は、… 柏田 樹(かしわだ たつき、1997年11月9日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 宮崎県出身。12歳のときに友人に誘われたのがきっかけでバレーボールを始める。 都城工業高等学校、専修大学を経て、2019年、V1のサントリーサンバーズの内定選手となり、2020年入団。 入団1年目となる2020年、V2のサフィルヴァ北海道に期限付きで移籍した。2年目の2021年には同じくV2のヴォレアス北海道に移籍。V2優勝に貢献し、V・チャレンジマッチにも出場した。 3年目の2022年、サントリーサンバーズに復帰。2022年10月23日、リーグ戦の東レアローズ戦に第2セットから出場し、V1デビューを果たした。
久保田 雅人(くぼた まさと、1992年8月7日 - )は、… 久保田 雅人(くぼた まさと、1992年8月7日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 宮崎県都城市出身。親に勧められて小学4年生からバレーボールを始める。 都城工業高等学校、法政大学を経て、2014/15シーズン、V・チャレンジリーグ(当時のVリーグ2部リーグ)に所属する大同特殊鋼レッドスターの内定選手となった。内定選手としてV・チャレンジリーグの試合に出場しVリーグデビューも果たした。 2015年、大学卒業後に、大同特殊鋼レッドスターに入団した。2016年、大同特殊鋼レッドスターの主将に就任した。2017年3月26日、V・チャレンジリーグI・IIオールスターゲームに出場。2019年4月21日、V.LEAGUEオールスターゲームに出場。
長友 優磨(ながとも ゆうま、1991年12月22日 - )… 長友 優磨(ながとも ゆうま、1991年12月22日 - )は、日本の男子プロバレーボール選手である。 宮崎県三股町出身。8歳の頃、ラーメン食べながらバレーボールを見て夢中になったのをきっかけにバレーボールを始める。 宮崎県立都城工業高等学校、専修大学を経て、2014年、FC東京に入団。 2016/17シーズンよりチームの主将を務める。 2019年9月、練習にてブロックの着地に失敗し、重傷を負う。左腓骨骨幹部骨折、左足関節開放脱臼、左脛腓間靭帯断裂、左三角靭帯断裂と診断され、全治12ヶ月の離脱となった。 2020-21シーズン、1年間の離脱から復帰した。 2021-22シーズン、5シーズン務めた主将を栗山英之に託し副将に就任。
蕨野 友也(わらびの ともや、1987年8月4日 - )は、… 蕨野 友也(わらびの ともや、1987年8月4日 - )は、日本の俳優。大阪府生まれ、宮崎県都城市育ち。本名は蕨野 睦弘(わらびの ともひろ)。 宮崎県立都城工業高等学校卒業。2006年に本名の蕨野睦弘名義で俳優デビュー。その後現芸名に改名。 2008年に放送された『252 生存者あり episode.ZERO』に出演した際に、事務所の先輩である伊藤英明から誘われてハワイで10日間軍隊式トレーニングをして体を鍛えた。 2010年4月にTBS系で放送された期首期末特番『オールスター感謝祭』の恒例企画「赤坂5丁目ミニマラソン」で初出場ながら優勝。 2010年9月22日にみやざき大使に任命され、2012年3月31日まで務めたといわれていたが、その後も務めている。
大田原 隆太(おおたはら りゅうた、1987年7月30日 -… 大田原 隆太(おおたはら りゅうた、1987年7月30日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 都城市立今町小学校1年時に野球を始め、都城市立五十市中学校では軟式野球部に所属。同部在籍時の3年時に市内大会で準優勝。 宮崎県立都城工業高等学校に進学し、3年時に全国高校野球選手権大会宮崎県大会3回戦・宮崎県立延岡西高等学校戦に於いてノーヒットノーランを達成。チームのベスト8入りに貢献した。 2005年のドラフト会議にて、高校生の部ドラフト4巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団。 一軍昇格は果たせず、2009年もウエスタン・リーグで4試合に登板、10イニングで20失点と散々だった。
津曲 勝利(つまがり かつとし、1975年11月2日 - )… 津曲 勝利(つまがり かつとし、1975年11月2日 - )は、日本の元バレーボール選手、現指導者。 宮崎県串間市出身。本人の希望で福島小学3年よりバレーボールを始める。 鹿屋体育大学卒業後、一時期准看護師を志しながら病院に勤務し、その傍ら、病院のバレーボールチームである三好循環器科EKGに在籍していたが、当時からレシーブが上手く、噂を聞きつけたサントリーサンバーズの関係者にその実力を見込まれ、リベロとしてサントリーに移籍することになった。 1999年8月19日の全日本親善試合で試合中にチームメイトとの激突で転倒し、右肘下じん帯を損傷し入院した。 2001年全日本代表入り。2008年、オリンピック最終予選および16年ぶりの出場となる北京オリンピックで活躍した。
中川 カ〜ル(なかがわ カール、1967年2月14日 - )… 中川 カ〜ル(なかがわ カール、1967年2月14日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。宮崎県都城市出身。 昭和42年2月14日生まれ。1984年に宮崎県立都城工業高校インテリア科を卒業。上京し竜崎遼児のアシスタントを経て、その後独立。 アシスタント在籍中の1991年に『週刊少年ジャンプ』増刊Summer Specialにて「超プロレス宣言!!」でデビュー(当時のペンネームは姫城喧太郎)。独立後にペンネームを中川カ〜ルと改め、イラストレーター、漫画家として活動。アシスタント以前にプロレスのマスク、コスチュームを制作していた会社でアルバイトをしていたことがあり、漫画やイラストの仕事と平行してマスクデザインや制作なども行う。
宮路 一昭(みやじ かずあき、1963年6月20日 - )は… 宮路 一昭(みやじ かずあき、1963年6月20日 - )は、日本のギタリスト・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・スタジオ・ミュージシャンとしても活動している。宮崎県都城市出身。血液型O型。 宮崎県立都城工業高校在学中、TOTOのギタリスト、スティーブ・ルカサーに感銘を受けギターを始める。その後、ルカサーが参加しているアーティストの音楽は、全てと言っていい程聴き、そのプレイをコピーしながらライブ活動をしていた。高校3年の時、FM宮崎に出演、また寺内タケシとも共演。ギタリストの北島健二が師匠。[要出典] 高校卒業後、武蔵野音楽学院に入学。同級に西村智彦(SING LIKE TALKING)、米川英之(元C-C-B)が在籍。
黒葛原 淳一(つづらばら じゅんいち、1961年2月26日 … 黒葛原 淳一(つづらばら じゅんいち、1961年2月26日 - )は、日本の元バレーボール選手である。 1961年2月26日、宮崎県北諸県郡三股町出身。 両親がバレーボール経験者であり、自身も小学校6年生次に松平康隆監督率いる男子バレーボール日本代表がミュンヘンオリンピックで優勝した際にTBS系列で放送されたテレビ番組『ミュンヘンへの道』に感動してバレーボールを始めた。 宮崎県立都城工業高等学校を経て日本体育大学へ進学。バレーボール部でプレイする一方で『バレーボールは大学で引退して、故郷(宮崎)で中学校教師になるつもりでいた』ところに、日本バレーボールリーグの名門である日本鋼管からスカウトされ、1983年4月に入社。
南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 -… 南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。 1960年12月9日に宮崎県都城市で生まれる。「南牟礼」という名字は鹿児島県東部の大隅半島付近を発祥と言われ、鹿児島県大隅町に多いとされる。全国的には僅か40名ほどしか確認されていないという。 宮崎県立都城工業高等学校では黒原祐二(のちに西武ライオンズ)と同期で、卒業後は電電九州に就職して1980年から2年連続で都市対抗野球大会に出場を果たす。 1981年のドラフト会議で阪急ブレーブスから3巡目で指名されたが、電電九州は他に横浜大洋ホエールズから右田一彦が1巡目、村岡耕一が3巡目で指名されており、同い年かつ同期入社組3名が揃ってプロ入りを果たした。
黒原 祐二(くろはら ゆうじ、1960年8月27日 - )は… 黒原 祐二(くろはら ゆうじ、1960年8月27日 - )は、宮崎県北諸県郡高崎町出身の元プロ野球選手(投手)である。1979年の登録名は黒原 裕二。 1960年8月27日に宮崎県北諸県郡高崎町で生まれる。宮崎県立都城工業高等学校ではエースとして活躍したが甲子園出場は叶わなかった。同期にはのちに阪急ブレーブスに入団する南牟礼豊蔵がいる。 1978年のプロ野球ドラフト会議で、西武ライオンズから4巡目で指名され、入団する。 1982年にはイースタン・リーグで最優秀救援投手のタイトルを獲得する。 1983年に1軍初登板。 1984年には中継ぎとして18試合に登板。 1985年に初勝利を挙げた。 1988年には自己最多の33試合に登板して2勝1セーブを記録し、同年の日本シリーズ(対中日ドラゴンズ戦)では第5戦で初登板を果たした。
五位塚 剛(ごいつか つよし、1954年(昭和29年)6月3… 五位塚 剛(ごいつか つよし、1954年(昭和29年)6月30日 - )は、日本の政治家。鹿児島県曽於市長(3期)、曽於市議会議員、末吉町議会議員などを歴任した。 鹿児島県曽於市出身。末吉町立光神小学校、末吉町立諏訪中学校卒業。1973年(昭和48年)3月、宮崎県立都城工業高等学校機械科卒業。同年4月、電気設備会社に就職。1976年(昭和51年)9月、空調設備会社に転職。1983年(昭和58年)6月、同社を退社。1984年(昭和59年)1月、有限会社五位塚冷暖房サービスを開業。 1987年(昭和62年)7月、末吉町議会議員に就任。計4回当選。 2005年(平成17年)7月1日、末吉町は財部町、大隅町と合併し、曽於市となり消滅。
中山 義彦(なかやま よしひこ、1947年10月18日 - … 中山 義彦(なかやま よしひこ、1947年10月18日 - )は、日本の政治家。宮崎県えびの市長(1期)。元えびの市議会議員(2期)。 宮崎県えびの市出身。宮崎県立都城工業高等学校卒業後、建設会社で約40年間勤務する。2017年9月からはえびの市議会議員を2期務めたほか、再生可能エネルギー会社の役員も務める。 2024年11月、翌年のえびの市長選挙への立候補を表明し、2025年1月、市議を辞職。 2025年9月21日、えびの市長選挙で初当選した。10月12日、就任。