スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
深草 駿哉(ふかくさ ゆうや、2001年8月10日 - )は… 深草 駿哉(ふかくさ ゆうや、2001年8月10日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(捕手)。 小学1年生の時に野球を始め、投手や遊撃手を経験。日章学園中学校では強肩を買われて捕手に転向した。中学3年生のときには2016年度全日本少年夏季軟式野球大会でベスト8に入る。 日章学園高等学校時代は監督からの指示で一度は投手としてプレーしていたが、1年冬に捕手への再転向を直訴し、2年夏から正捕手となった。すると、監督から「走られたのをほとんど見たことない」といわれる強肩で活躍を見せる他、打撃面でも2018年の秋季九州大会では打てる2番打者として11打数8安打を記録した。3年生時の2019年に、第91回選抜高等学校野球大会に出場した。
平野 大和(ひらの やまと、2001年8月7日 - )は、 … 平野 大和(ひらの やまと、2001年8月7日 - )は、 宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 兄の影響から小学2年生から軟式野球を始め、中学から中高一貫校である日章学園中学校・高等学校に進学し、同校の野球部の1期生として入部した。 高校では1年生の夏から左翼手のスターティングメンバーとして出場。2年生の秋には、秋季宮崎大会の準決勝において、左膝に自打球を当てて剥離骨折と診断されるも、秋季九州大会では痛み止めの薬を飲みながら出場し、春の選抜出場を果たした。3年生春の第91回選抜高等学校野球大会に4番・中堅手として出場するが、習志野高等学校に敗れた。3年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権宮崎大会では、2回戦で都城工業高等学校に敗退し、2季連続の甲子園出場はならなかった。
山﨑 剛(やまさき つよし、1995年12月29日 - )は… 山﨑 剛(やまさき つよし、1995年12月29日 - )は、福岡県福岡市早良区出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 2020年のみ登録名を山﨑 幹史(読み同じ)としていた。 福岡市立飯倉小学校では3年から野球を始め、「田隈ジュニア」に所属。田隈ジュニアでは1番ピッチャーでキャプテンを務めた。 福岡市立原中学校時代は「城南サンボーイズ」に所属し二塁手を務めた。 日章学園高等学校時代は、1年秋から二塁手のレギュラーで活躍するものの甲子園出場はなかった。 國學院大學時代は、2年時は二塁手のレギュラーを獲得した春季に打率.400で首位打者と二塁手のベストナイン獲得。
片山 文男(かたやま ふみお、1984年8月6日 - )は、… 片山 文男(かたやま ふみお、1984年8月6日 - )は、ブラジル出身の元プロ野球選手(投手)。 当初はブラジル国籍で、後に日本国籍を取得した。 ブラジルのヤクルト野球アカデミーの卒業生。日本入りし、日章学園に入学。2002年に第84回全国選手権大会に日章学園の中心メンバーとして瀬間仲ノルベルト(元中日)らと共に出場。この大会での活躍により、秋のドラフトにてヤクルトスワローズから6巡目指名を受け入団。高校時代、既に150km/hを記録した事があり、右の本格派として期待された。しかし柔軟性を欠いており、プロ入り後は怪我もあって伸び悩んだ。結局3年目の2005年秋に、二軍の登板数もほとんどないまま戦力外通告を受けた。
瀬間仲ノルベルト(せまなかノルベルト、本名:ノルベルト・セマ… 瀬間仲ノルベルト(せまなかノルベルト、本名:ノルベルト・セマナカ・ダ・ホッシャ〈Norbert Semanaka da Rocha〉、1984年5月31日 - )は、ブラジルのサンパウロ州トゥパン出身の元プロ野球選手(内野手)。左投げ左打ち。2005年の登録名はホッシャ。 ヤクルト野球アカデミーの卒業生。中学時代はオールブラジルの4番打者として活躍。野球留学のために来日し、日章学園に入学。長年ブラジルで育った為、当初日本語を話すのに苦労したが、勉強を繰り返す事で徐々に日本語を覚えていった。2022年に日本語能力試験N1を取得。第84回全国選手権では、初戦の2回戦で興誠高に敗れるも、ライトスタンド中段にまで運ぶライナー性の特大アーチを打つ。
東 政敏(ひがし まさとし、1974年4月29日 - )は、… 東 政敏(ひがし まさとし、1974年4月29日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(捕手)。 日章学園高から、1992年のドラフト5位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 一軍出場のないまま、2000年に現役引退。 引退後は、横浜DeNAベイスターズでチームスタッフ(ブルペン捕手)を務めている。 後にスコアラーへ転身。
石淵 国博(いしぶち くにひろ、1955年8月30日 - )… 石淵 国博(いしぶち くにひろ、1955年8月30日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 宮崎実業高等学校では、1972年秋季九州大会で決勝に進出。小倉南高を降し優勝するが、学内不祥事により1973年春の選抜出場を辞退。同年5月の沖縄特別国体(若夏国体)に出場。準決勝で星稜高の谷内野隆から延長11回サヨナラ本塁打を放つ。しかし決勝では岩国高に敗れ、準優勝にとどまった。高校通算打率3割3分、本塁打3本。その中には江川卓から放った本塁打が含まれている。その江川から本塁打を打ったことでプロ、大学、社会人とあらゆる野球関係者から注目され、リストアップされる。石淵本人もこの1本の本塁打がきっかけで予想もつかない経験をしたとして「人生の半分は江川のおかげですね」と後日話している。