スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
浜屋 将太 (はまや しょうた、1999年1月26日 - )… 浜屋 将太 (はまや しょうた、1999年1月26日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 大崎町立大崎小学校では2年時に大崎ソフトボールスポーツ少年団でソフトボールを始め、大崎町立大崎中学校では鹿児島大隅ボーイズに所属した。 樟南高等学校進学後、1年夏からベンチ入りを果たすと、2年秋からエースとなった。3年夏の鹿児島県大会では、決勝の鹿児島実業高校戦で6回から10回をロングリリーフし、13奪三振無失点に抑え、再試合に持ち込んだ。再試合では3―2で勝利し、甲子園出場を決めた。第98回全国高等学校野球選手権大会では、初戦の石原彪、山本祐大擁する京都翔英高校戦で8回を1失点に抑え勝利に貢献。
野上 亮磨(のがみ りょうま、1987年6月15日 - )は… 野上 亮磨(のがみ りょうま、1987年6月15日 - )は、福岡県太宰府市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、2024年から読売ジャイアンツ三軍投手コーチを務める。 妻は元モーニング娘。のメンバーでタレントの石川梨華。 太宰府市立太宰府西中学校時代はフレッシュリーグの筑紫エンデバーズに所属。中学の1学年後輩に大石達也がいる。高校は当時の硬式野球部の監督から誘いを受けた神村学園高等部へ進学。同校3年次の2005年春、第77回選抜大会に出場し、準優勝投手となる。3年夏は鹿児島大会決勝にて樟南高校と対戦し、前田大和に同点適時打を打たれ、4-5で惜敗したが選抜大会の活躍で一躍プロのスカウトも注目する存在となり、プロ志望届を提出したが指名はなく、日産自動車に入社。
青野 毅(あおの たけし、1983年1月12日 - )は、鹿… 青野 毅(あおの たけし、1983年1月12日 - )は、鹿児島県川辺郡坊津町(現:南さつま市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者。 鹿児島県川辺郡坊津町大字坊(現:南さつま市坊津町坊)出身。坊泊中学校を経て、樟南高校に入学。高校時代は1年夏の県大会準決勝で1学年上の上野弘文を後を受けて点差の付いた9回1イニングを投げたが敗退。秋は九州大会準々決勝でも上野-鶴岡慎也のバッテリーが先発し、2番手で登板したが敗退。2年夏は1学年上の上野-鶴岡とともに自身は外野手として甲子園出場。3年夏の甲子園はエースで主将で4番としてベスト4、高校日本選抜にも選出された。 2000年オフ、千葉ロッテマリーンズにドラフト5位で投手として指名を受け入団した。
鶴岡 慎也(つるおか しんや、1981年4月11日 - )は… 鶴岡 慎也(つるおか しんや、1981年4月11日 - )は、鹿児島県肝属郡高山町(現:肝付町)出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。 肝付町立高山小学校時代は、高山ソフトボールスポーツ少年団に所属し投手だった。 高山中学ではボーイズリーグ・鹿屋ベイスターズで硬式野球を始め、投手を希望していたが監督により捕手へと転向させられた(断って投手を続けていたらプロにはなれなかったと振り返っている)。捕手として全国大会で準優勝を経験。 樟南高校では捕手として甲子園に2度出場。同級生に上野弘文、1年下に青野毅がいる。2年の時、1998年は第70回選抜高等学校野球大会に出場したが1回戦でPL学園に敗れた。
濱涯 泰司(はまぎわ やすじ、1970年10月3日 - )は… 濱涯 泰司(はまぎわ やすじ、1970年10月3日 - )は、鹿児島県串木野市出身の元プロ野球選手(投手)。 串木野市立照島小学校2年生のころ、ボーイズリーグ「串木野黒潮」で野球を始める。鹿児島商工高等学校(現在の樟南高等学校)3年生の時にエースとして鹿児島大会ベスト4入りした。高校時代の同期に川名慎一がいる。 九州国際大学では3年秋の明治神宮大会初戦で東北福祉大学と対して完投するも伊藤博康の本塁打などで敗れた。4年生だった1992年春に九州六大学野球リーグタイ記録の9勝、リーグ最多記録の115奪三振を樹立し、ベストナイン3回。同年は大学選手権でも奈良産業大学相手に13奪三振を記録した。 1992年のNPBドラフト会議3巡目で地元の福岡ダイエーホークスへ指名されたことを機に入団。