佐藤 保(さとう たもつ、1934年 ー 2025年3月30… 佐藤 保(さとう たもつ、1934年 ー 2025年3月30日)は、中国文学者。お茶の水女子大学名誉教授。 新潟県出身。東京大学文学部中国文学科卒、1962年同大学院博士課程満期退学。國學院大學文学部助教授、1973年お茶の水女子大学助教授、教授、1997年学長、2001年名誉教授、二松学舎大学教授。 2025年3月30日、誤嚥性肺炎のため東京都文京区で死去。90歳没。
志村 嘉一(しむら かいち、1934年 - 1986年4月7… 志村 嘉一(しむら かいち、1934年 - 1986年4月7日)は、日本の経済学者。応用経済学専攻。 東京生まれ。1956年東京大学経済学部卒、61年同大学院博士課程中退、66年「日本資本市場の研究」で経済学博士。専修大学教授、千葉大学法経学部教授。アラバマ大学で研修中に急死した。
藤田 昌士(ふじた しょうじ、1934年 - 2022年9月… 藤田 昌士(ふじた しょうじ、1934年 - 2022年9月11日)は、日本の教育学者。京城(現ソウル)生まれ。1956年東京大学経済学部卒業。東京都大田区立大森第二中学校教諭。1964年東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。東京大学教育学部助手、国立教育研究所員を経て、同研究所第4研究部第5研究室長。のちに福島大学教育学部教授、立教大学文学部教授、帝京平成大学情報学部教授。日本大学芸術学部非常勤講師。専門は道徳教育、生活指導、学校教育。英米の道徳教育、ローレンス・コールバーグの発達認知心理学の紹介を行い、世界の道徳教育の比較研究の結果を基礎として、道徳教育、生活指導、学級経営等に関する提言を行っている。
佐藤 宏子(さとう ひろこ、1934年 - 2022年)は、… 佐藤 宏子(さとう ひろこ、1934年 - 2022年)は、日本の英米文学者、東京女子大学名誉教授。 岩手県生まれ。1956年東京女子大学文学部英米文学科卒業。1958年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1960年マウント・ホリョーク大学大学院修士課程修了。同年9月東京女子大助手、専任講師、助教授、1975年教授。同大女性学研究所長、2002年定年退任、名誉教授。日本アメリカ学会会長を務めた。2022年10月28日死去。88歳没。 米国女性作家、特にウィラ・キャザーを専門とした。
川端 純四郎(かわばた じゅんしろう、1934年 - 201… 川端 純四郎(かわばた じゅんしろう、1934年 - 2013年5月23日)は、日本の神学者・教会オルガニスト。バッハの研究家でもある。 1934年生まれ。東北大学文学部を卒業し、同大学大学院宗教学専攻に進学し、博士課程を満期退学。1960年、西ドイツ・マールブルク大学に留学し、ルドルフ・ブルトマンに師事。帰国後は東北学院大学文学部キリスト教学科助教授に就いた。1999年に東北学院大学を定年退職。日本基督教団仙台北教会オルガニストを務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。
米地 文夫(よねち ふみお、1934年 - 2019年4月1… 米地 文夫(よねち ふみお、1934年 - 2019年4月13日)は、日本の地理学者、岩手県立大学名誉教授、ハーナムキヤ景観研究所所長。本来の専門は地形学であり、この方面で数多くの論文、報告書を発表しているが、人文地理学にも関わる論文も多く、特に宮沢賢治作品の地理学的背景について様々な提起を行なうとともに、花巻市において、賢治作品を活かしたまちづくりの運動を展開した。 1957年、東北大学理学部を卒業した。 山形大学、東北大学で助教授を務めた後、岩手大学教授となった。 この間、1979年、「最上川流域の地形構造に関する研究」により、東北大学から理学博士を取得した。 岩手大学退職後、1998年に新設された岩手県立大学総合政策学部の教授となり、2005年に退任し、名誉教授となった。
松村 劭(まつむら つとむ、1934年 - 2010年1月2… 松村 劭(まつむら つとむ、1934年 - 2010年1月28日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。専門は戦略・戦術研究・情報分析。デュピュイ戦略研究所東アジア代表を務め、国際戦略研究所会員であった。大阪府出身。東京都に在住した。 陸上自衛隊在隊間は陸上幕僚監部情報幕僚、同指揮幕僚、西部方面総監部防衛部長、第7師団第7戦車大隊長(当時。現・第71戦車連隊)、富士学校機甲科部副部長等の要職を歴任した。国際活動では、アメリカ陸軍指揮幕僚大学教官、在ジュネーブ軍縮代表部スタッフを経験している。 また、陸上自衛隊幹部学校時代の学友である楊鴻儒退役大佐との再会をきっかけに台湾を訪問。デュピュイ戦略研究所で考案された「定量的戦術判定法」(TNDM)の基本理論を、中華民国軍陸軍参謀本部の作戦部の人々に説明した。
木山 俊平(きやま しゅんぺい、1934年(昭和9年) - … 木山 俊平(きやま しゅんぺい、1934年(昭和9年) - )は日本の実業家。三菱鉛筆東京販売株式会社元社長、名誉会長。三菱鉛筆株式会社取締役、相談役。ユニ産業株式会社・ユニ物流株式会社顧問。 昭和9年中国青島生まれ。昭和34年法政大学法学部卒業。同年三菱鉛筆入社。営業部販売課を振り出しに、大阪支店次長、本社販売課長、鉛筆製造課長、山形工場長(昭和49年)などを経て、三菱鉛筆東京販売(株)社長(昭和50年)。平成11年同社名誉会長。他に三菱鉛筆株式会社取締役、相談役、ユニ産業株式会社・ユニ物流株式会社顧問、法政大学理事、狛江市外部評価委員会副委員長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
長弘毅(なが こうき、1934年 - 2014年12月26日… 長弘毅(なが こうき、1934年 - 2014年12月26日)は、インド文学者。 福井県生まれ。立正大学文学部史学科卒業、1958年から1963年インド留学、1963年にアジア・アフリカ語学院専任講師。1965年に富山国際大学に移籍、2004年まで同大学人文学部教授。日印サルボダヤ交友会会長、朝日カルチャーセンター講師。専攻は南アジア地域研究、特にヒンディー語学、ヒンディー文学および口承文芸。インド各地の農村で、民話収集を行った。 2014年12月26日死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
本多 当一郎(ほんだ とういちろう、1934年 - 2018… 本多 当一郎(ほんだ とういちろう、1934年 - 2018年2月4日)は、日本のアナウンサー。日本テレビ解説委員。日本記者クラブ会員。 名前は「本多當一郎」と書く場合もあり。 大分県出身。早稲田大学卒業後、1956年に日本テレビへ入社。同期に赤木孝男・志生野温夫らがいる。以来、大相撲、プロレス、ボクシングなどの格闘技を中心としたスポーツ実況中継のアナウンサーとして活躍。入社2年目の1957年には、日本初のゴルフ中継として放送されたカナダカップ中継を担当した。1966年には、日本テレビアナウンサー初の海外出張としてアルゼンチンから世界フライ級タイトルマッチ・海老原博幸対アカバロ戦中継の実況を担当した。
荻原 達子(おぎはら たつこ、1934年 - 2007年5月… 荻原 達子(おぎはら たつこ、1934年 - 2007年5月2日)は、日本の能楽プロデューサー。 長野県岡谷市生まれ。東京女子大学短期大学部卒。能楽書林の編集部を経て、社団法人「銕仙会」の事務局長。退職後、同人組織の能楽座のゼネラルマネージャーを務めた。 様々な分野で演劇コーディネーターを務め、一貫して能・狂言の伝統の継承と創造活動を、裏方で支え、国内外を問わずあらゆる種類の能・狂言公演を手がけた。能楽師観世栄夫運転の自動車に同乗し帰宅中に東京都八王子市の中央自動車道で事故に遭い、頭部を負傷し亡くなった。73歳没。なお観世自身も衝撃で、闘病中だった事も重なり1ヶ月後に病没した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
清水 達正(しみず たつまさ、1934年 - 1983年5月… 清水 達正(しみず たつまさ、1934年 - 1983年5月10日)は東京都出身の日本のアニメ撮影監督。 1934年(昭和9年)、現在の東京都葛飾区堀切の江戸切子細工の町工場に、切子職人の次男として生まれる。 東京写真大学短期大学部(現在の東京工芸大学)卒。卒業後、東映動画(現、東映アニメーション)に入社。のち虫プロダクション、東京ムービー等に関係。 後、独立した動画撮影の専門会社としては日本初となる東京アニメーションフィルム(現・アニメフィルム)を設立。以後、撮影監督等としてシンエイ動画作品他、様々なアニメーション作品に関わる。体調を崩し、1983年(昭和58年)5月10日他界。 2008年 東京アニメアワード2008にて第4回功労賞表彰を受賞。
雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業… 雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業家。東洋ライス代表取締役。創業者。東京農業大学客員教授。一般社団法人和歌山県発明協会副会長。和歌山市少年少女発明クラブ副会長。一般財団法人雑賀技術研究所名誉会長。全国無洗米協会顧問。 和歌山県和歌山市に生まれる。1949年、和歌山市立城東中学校を卒業。祖父が1916年(大正5年)に設立した雜賀商会を手伝う。1961年に石抜機を発明(無石米)。11月1日、株式会社東洋精米機製作所を設立。1963年4月8日、財団法人雑賀技術研究所を設立し会長に就任。1985年、東洋精米機製作所社長に就任。1990年、味度計を開発。1991年、無洗米を発明。