佐々木 英忠(ささき ひでただ、1941年 - )は、日本の… 佐々木 英忠(ささき ひでただ、1941年 - )は、日本の医学者。仙台富沢病院院長。秋田看護福祉大学初代学長。東北大学名誉教授。医学博士。 秋田県北秋田市出身。2004年12月31日付で、定年退職まで3カ月を前に東北大学を退職し、翌年1月23日に秋田桂城短期大学の学長に就任。これは、2005年4月開学の秋田看護福祉大学の学長就任含みと同大学の開学準備に伴うものであった。 2005年4月、秋田看護福祉大学開学と同時に、同大の学長と看護福祉学部看護学科教授に就任。2009年4月、前月で退職した教員に代わり、看護福祉学部長を併任。2010年3月、任期満了を理由に、同大の学長・学部長・教授職を退職した。
筒井 茅乃(つつい かやの、1941年〈昭和16年〉 - 2… 筒井 茅乃(つつい かやの、1941年〈昭和16年〉 - 2008年〈平成20年〉2月2日)は、日本の作家。父は医学博士の永井隆。長崎原爆で被爆しながらも負傷者救護や長崎の復興のために尽くした父の遺志を引き継ぎ、日本各地を講演で回り、平和への願いを訴え続けた。父の顕彰活動に取り組む市民団体「長崎如己(にょこ)の会」相談役としても活動した。長崎県長崎市出身。旧姓は永井。 1941年、長崎市で誕生した。1945年(昭和20年)8月9日、長崎県に原子爆弾が投下された。自身は兄と共に郊外に疎開していたために直撃を免れたものの、母が焼死し、父の永井隆も被爆した。1951年(昭和26年)、父の死を看取った。
架谷 昌信(はさたに まさのぶ、1941年 - )は名古屋大… 架谷 昌信(はさたに まさのぶ、1941年 - )は名古屋大学名誉教授。化学工学会会長。 1963年名古屋大学工学部化学工学科卒業、1968年名古屋大学大学院工学研究科博士課程修了。名古屋大学講師、名古屋大学助教授を経て、1978年名古屋大学教授に昇格。1994年名古屋大学工学部学部長。1997年名古屋大学理工科学総合研究センターセンター長。通商産業省産業技術審議会委員、中部通産局中部総合エネルギー対策推進本部推進会議会長、化学工学会会長、8大学工学部長懇談会工学教育プログラム実施検討委員会委員長、愛知県新エネルギー産業協議会会長、愛知工業大学教授、財団法人名古屋産業科学研究所専務理事。 2001年7月17日、文部科学大臣賞。
坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都… 坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都市計画学者、都市計画家。日本大学名誉教授。一般財団法人 建築・まちづくり協力研究所理事・研究主幹。一級建築士・管理建築士。博士 (工学)。福岡県福岡市生まれ。父は東京大学名誉教授の構造家坪井善勝。兄は坪井善昭東京芸術大学名誉教授。 1965年、日本大学理工学部建築学科卒業。卒業論文は東京大学生産技術研究所教授の川股重也のもとで「壁式アパートを四階から五階にするための理論と実験」について。1967年、日本大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。市川清志に師事(「大都市の構造」を修士論文のテーマにした。)。 大学院修了後、丹下健三・都市建築設計研究所(URTEC、現・丹下都市建築設計)に10年弱在職。
久保田展弘(くぼた のぶひろ、1941年 - 2016年7月… 久保田展弘(くぼた のぶひろ、1941年 - 2016年7月14日)は、仏教学・宗教学者。 東京市(現目黒区)洗足生まれ。本名・久保田淳。早稲田大学卒業。東洋哲学・仏教を学んだ後、日本およびアジアの多神教世界、中東・バルカン半島などユダヤ教・キリスト教・イスラーム世界をフィールドワークする。アジア宗教・文化研究所代表。専門は比較宗教思想・文化論。
橘 与四郎(たちばな よしろう、1941年 - 2016年7… 橘 与四郎(たちばな よしろう、1941年 - 2016年7月17日)は、兵庫県三田市出身の画家。スペインのガリシア州ア・コルーニャ県に居住して製作していた。 父は画家の橘央(たちばななかば)であり、父から美術を学んだ。 1962年(昭和37年)、美術学校で美術を学ぶため東京へ向かった。パウル・クレーの絵画に出会い傾倒した。1969年(昭和44年)、ヨーロッパを旅行することを計画し、スペインで数多くの町を歩きまわった。その後、ドイツのハンブルクやキールの町に定住し、ドイツの現代美術(ミュンヘン派)の動きを学んだ。1973年(昭和48年)までドイツに滞在した後、ノルウェーに滞在して風景画を描いた。
儀武 息一(ぎぶ そくいち、1941年 - 2012年8月2… 儀武 息一(ぎぶ そくいち、1941年 - 2012年8月27日)は、沖縄県島尻郡知念村出身の沖縄の空手家であり、沖縄空手道小林流武徳館・総本部の会長である。範士十段。 幼少の頃より空手に親しみ、1956年に剛柔流・古武道を学ぶ。1960年に知花朝信の弟子である仲里周五郎より空手の手ほどきを受ける。1971年に六段を仲里より授与。1975年には仲里の沖縄空手道小林流小林館協会の副会長に就任。1980年に七段教士を授与され、小林流小林館浦添道場を開設。1989年に八段免状を授与。 1993年に沖縄空手道小林流小林館協会を脱会し、沖縄空手道小林流武徳館を設立し、会長に就任する。同年に九段免状を国際武道空手連盟より授与される。