尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや、1999年〈平成11年〉… 尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや、1999年〈平成11年〉4月9日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現:五所川原市)出身で、伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士。本名は石岡 弥輝也(いしおか みきや)。身長184cm、体重151kg。最高位は東前頭4枚目(2025年5月場所)。血液型はA型。 いわゆる「花のイチイチ組」の1人。 2024年3月場所において、新入幕力士としては1914年5月場所の両國以来110年ぶりとなる幕内最高優勝を果たした。 祖父が草相撲の強豪だった縁で、保育園の頃から相撲を始めた。保育園児の頃は、稽古後のコンビニで買ってもらっていた唐揚げが楽しみで、そのために相撲の稽古を行った。
北勝岩 治(ほくといわ おさむ、1974年6月1日- )は、… 北勝岩 治(ほくといわ おさむ、1974年6月1日- )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。本名は原田 治(はらだ おさむ)。身長177cm、体重167kg。得意手は突き、押し。最高位は東十両10枚目(2002年5月場所)、血液型はB型。 「原田酒店」の長男として生まれ、幼い頃から村祭りの相撲大会等に参加したが、本格的に始めたのは五所川原市立嘉瀬小学校2年生の頃で、体格の大きさを見出した担任から勧められたことがきっかけだった。嘉瀬小学校では通常は部活動に参加できるのは4年生からだったが、特別に認めてもらい、毎日の相撲の稽古に明け暮れた。五所川原市立金木南中学校、五所川原農林高校に進学しても相撲部に所属した。
晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は… 晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は、青森県五所川原市出身で高島部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 力雄(旧姓・蒔田)。184cm、115kg。最高位は西十両筆頭。得意技は突き、押し。 1965年7月場所初土俵、1974年5月場所十両昇進、以後8場所連続で十両在位したが入幕ならず、1975年9月場所に幕下陥落、1980年9月場所限りで廃業。
二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - … 二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で、二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。本名は山中 武(やまなか たけし)。現役時代の体格は178cm、113kg。最高位は西小結(1967年11月場所、1968年3月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、内無双、下手投げなど。 中学から相撲部に所属し、中学卒業後に相撲部の先生と再会した時、先生が横綱・初代若乃花から弟子探しを頼まれていたので勧誘され、1961年1月場所で花籠部屋から初土俵を踏んだ。 1962年5月場所をもって若乃花が引退して年寄・二子山を襲名し、間もなく二子山部屋を創設するとそれに同行し、1964年11月場所で十両に昇進。
追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 -… 追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 - 2014年1月2日)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市)出身で立浪部屋(入門時は追手風部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 貢(やまぐち みつぐ)。最高位は東前頭6枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は181cm、 131kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。現在の追手風親方(元前頭2・大翔山直樹)の岳父。 なお、夫人は最初の師匠・8代追手風(元大関・清水川)の義理の姪(夫人の叔母が、師匠の後妻に当たる)である。 5人兄弟の末っ子として生まれ、子供の時から体格が大きく多くの相撲大会に出て活躍していた。その活躍ぶりが、同郷で追手風部屋に所属した元幕下力士・清水岩の目に止まり、中学校在学中に同部屋へ入門する事となった。
松ノ里 直市(まつのさと なおいち、1909年11月29日 … 松ノ里 直市(まつのさと なおいち、1909年11月29日 - 1985年1月26日)は、青森県五所川原市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は工藤 直市。身長は177cm、 体重は113kg。最高位は西前頭3枚目(1942年5月場所)。得意手は右四つ、寄り。 1926年1月場所に初土俵を踏む。その後、1932年1月の春秋園事件で天竜、大ノ里らにつき協会を脱退、翌年設立の関西角力協会にも参加した。 関西角力協会では幕内で活躍した。関西角力協会の解散後に帰参し、1938年1月場所に三段目筆頭格から再出発。その場所で10勝2敗の好成績を挙げ、翌5月場所には幕下に復帰して優勝を果たした。1939年1月場所は十両に昇進して9勝4敗の成績を挙げて、翌5月場所で新入幕を果たし、12勝3敗の好成績を挙げた。
武ノ里 武三(たけのさと たけぞう、1909年4月20日 -… 武ノ里 武三(たけのさと たけぞう、1909年4月20日 - 没年不明)は、青森県五所川原市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉崎 武三。最高位は東前頭14枚目(1943年1月場所)。173cm・94kg。得意技は左四つ、寄り。 1926年1月場所に初土俵を踏んで以降順調に出世し、東幕下5枚目で迎えた1930年10月場所で幕下優勝し、翌1931年1月場所に十両に昇進。しかし当場所は体調不良により4勝7敗と振るわず、翌5月場所も全休したため幕下に陥落。その直後の1932年1月の春秋園事件で天竜・大ノ里らと行動を共にし協会を脱退、翌年設立の関西角力協会に参加した。 関西角力協会では幕内で活躍、松ノ里、中ノ里とともに「大ノ里門弟三羽烏」と言われていた。
清水川 元吉(しみずがわ もときち、1900年1月13日 -… 清水川 元吉(しみずがわ もときち、1900年1月13日 - 1967年7月5日)は、青森県北津軽郡三好村(現:青森県五所川原市)出身で二十山部屋に所属した大相撲力士。本名は長尾 米作(ながお よねさく)。最高位は東大関。 1900年1月13日に、青森県北津軽郡三好村(現:青森県五所川原市)で農家を営む家に長男として生まれる。隣家は江戸相撲の名大関だった柏戸利助の生家で、米作少年の父親も地方相撲の強豪だったことから、米作自身も宮相撲で活躍、1916年の夏に二十山の一行が巡業へやってきた際に父親に伴われて入門、1917年に上京して同年1月場所で初土俵を踏んだ。「清水川」の四股名は、故郷を流れる川と宮相撲で大関を務めていた時に名乗っていた名前から付けた。
鳥井崎 与助(とりいざき よすけ、1791年〈寛政3年〉 -… 鳥井崎 与助(とりいざき よすけ、1791年〈寛政3年〉 - 1830年〈文政13年〉)は、柏戸部屋及び伊勢ノ海部屋に所属した力士。 本名は高橋 伝吉。身長・体重とも不明。陸奥国津軽郡(現在の青森県五所川原市)藻川出身。正確には津軽鉄道線毘沙門駅付近に当たる。 最高位は西前頭6枚目。 同郷の伊勢ノ海利助(後の柏戸利助。大関。5代伊勢ノ海)の誘いを受け、1812年11月場所で初土俵(東二段目5枚目だったため、十枚目付出扱いだった)を踏んだ。十両時代は5割にやや満たない勝率で推移したが、1817年1月場所では8戦全勝の優勝相当成績を残した。初土俵・新十両から12年後の1824年10月場所で漸く新入幕を果たした。
柏戸 利助(かしわど りすけ、天明3年(1783年) - 文… 柏戸 利助(かしわど りすけ、天明3年(1783年) - 文政13年10月27日(1830年12月3日))は、陸奥国津軽郡(現:青森県五所川原市)出身の元大相撲力士。本名は川浪。最高位は東大関。 1783年に陸奥国津軽郡(現:青森県五所川原市)で生まれ、後に現在の五所川原市鶴ヶ岡に相当する地で育つ。土地相撲で三役を務めていたところを勧誘されて玉垣部屋に入門、1805年1月場所で初土俵を二段目付出として踏んだ。若名乗りは外ヶ濱。文化5年11月に頂利助と改名。文化8年閏2月に入幕し、文化9年11月場所4日目から柏戸利助を襲名。文化12年3月に大関昇進。好敵手である4代玉垣額之助と東西の大関として対決した。