山浅 龍之介(やまあさ りゅうのすけ、2004年4月21日 … 山浅 龍之介(やまあさ りゅうのすけ、2004年4月21日 - )は、秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 由利本荘市立小友小学校2年時に「小友ジグザグ野球スポーツ少年団」で軟式野球を始めたことがきっかけで、将来のプロ(NPB)入りを志していた。 「小友ジグザグ」はかつて「学童野球の東北大会における常連」と呼ばれるほどの強豪チームであったが、由利本荘市の界隈で少子化が進んでいる影響で、山浅が入団した時点では6年生が対象の大会に3年生を出さざるを得ないほどにまで団員が減っていた。山浅の同期生がチームに1人しかいなかったこともあって、本人は3年時から、東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)が秋田市内で運営している「楽天イーグルスアカデミー ベースボールスクール」の秋田校にも通学。
加藤 光教(かとう みつのり、1982年4月15日 - )は… 加藤 光教(かとう みつのり、1982年4月15日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 秋田経済法科大学附属高等学校(現・ノースアジア大学明桜高等学校)の3年時の2000年にはセンバツに出場(当時のエースは攝津正)。法政大学へ進学し、一年次の秋には一場靖弘に投げ勝つなど活躍。しかし三年次に右肩を痛め、その影響でドラフトにはかからなかった。 しかしプロへの夢をあきらめきれず、中日に打撃投手として入団し、2005年に改めて育成選手として契約を結んだ。 支配下選手登録されることがないまま、2007年10月31日に球団から戦力外通告を受け、引退。 その後、打撃投手や中日のスコアラーを務めた。
仁部 智(にべ さとし、1980年1月10日 - )は、秋田… 仁部 智(にべ さとし、1980年1月10日 - )は、秋田県由利本荘市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校より野球を始めるが中学時代までは控え投手兼外野手。当時同市郡内に全県優勝したチームがあり小学校時代には全県大会出場が阻まれたり、チームとしても個人としても殆ど無名の存在。秋田県立本荘高等学校で1年次には外野手でベンチ入りし、2年時よりエース投手として定着。後にプロ入りした石川雅規や藤田太陽、高卒時にニューヨーク・メッツと契約した後松重栄(大曲工業高等学校)とともに県内では注目される存在になった。関西遠征で大阪桐蔭と練習試合をした際に、好きな選手を3人やるから転校させるようにスカウトされた(当時の同校のエースは左腕の谷口悦司)。
工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - 201… 工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - 2016年5月13日)は、秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身のプロ野球選手(投手、内野手)。 本荘市立小友小学校卒。本荘市立本荘南中学校時代には軟式野球で東北大会で優勝。当時のチームメイトには村岡敏英がいる。 秋田県立本荘高等学校では、エースとして1977年秋季東北大会に進むが、1回戦で黒沢尻工業高に敗退。翌1978年夏の甲子園県予選で決勝に進出し能代高と対戦するが、2-3で惜敗し甲子園出場を逸する。甲子園出場経験はなかったものの逸材として注目され、読売ジャイアンツ(巨人)も獲得意欲を示していた。 1978年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。
鷲谷 亘(わしや わたる、1956年9月7日 - )は元プロ… 鷲谷 亘(わしや わたる、1956年9月7日 - )は元プロ野球審判員。秋田県由利本荘市出身。審判員袖番号は29(1988年初採用から1996年引退まで、現在は2年目の水落朋大)。