福島 圭音(ふくしま けいん、2001年10月6日 - )は… 福島 圭音(ふくしま けいん、2001年10月6日 - )は、埼玉県秩父市出身の外野手。阪神タイガース所属。 秩父市立尾田蒔小学校3年生から秩父ドリームズで野球を始める。当時のポジションは遊撃手だった。秩父市立秩父第一中学校時代は軟式野球部に所属。 聖望学園高等学校では2年時から外野手に転向。3年時からは投手も務め、同年夏の埼玉大会ではリリーフとして登板した。5回戦の昌平高等学校戦では7回から登板するも8回に5失点を喫し降板、チームも敗れた。甲子園出場はなし。秋にはプロ志望届を提出したが、同年のドラフト会議では指名されなかった。 白鷗大学では2年時からレギュラーに定着。2年秋にはベストナインを獲得した。
黒沢 翔太(くろさわ しょうた、1988年8月5日 - )は… 黒沢 翔太(くろさわ しょうた、1988年8月5日 - )は、埼玉県秩父市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 埼玉県立秩父高校から城西国際大学に進学。大学時代には、3年時の千葉県大学野球春季リーグ戦で、最多勝利と奪三振王のタイトルを獲得した。 2010年のNPB育成ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから育成1巡目で指名され、入団した。入団当初の背番号は121。 2011年には、イースタン・リーグ公式戦9試合に登板。1勝1敗、防御率1.69の成績を残したが、支配下選手登録には至らならなかった。 2012年には、イースタン・リーグ公式戦14試合の登板で、防御率3.00を記録したが、支配下選手登録を見送られた。
引間 克幸(ひきま かつゆき、1958年2月21日 - )は… 引間 克幸(ひきま かつゆき、1958年2月21日 - )は、埼玉県秩父郡荒川村(現:秩父市)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。一時期、登録名を引間功侑(読みは同じ)とした。 秩父農工高から社会人野球の電電関東では都市対抗野球に出場、1980年オフにドラフト外で阪神タイガースに入団。 ウエスタンリーグで2度の盗塁王になるなど、その俊足を評され代走での起用が大半であった。しかし、1983年のシーズン終盤には遊撃手として7試合に先発出場、翌1984年にも5試合に先発している。1988年限りで現役を引退。引退後はゴルフプラザ72の新橋店に勤務した。
福島 孝二(ふくしま こうじ、1956年1月4日 - )は、… 福島 孝二(ふくしま こうじ、1956年1月4日 - )は、埼玉県秩父市出身の元プロ野球選手(投手)。 秩父第二中学校卒業後、日大三高から社会人野球・チャイルド休部後は調理師見習いとして働き、1978年オフにドラフト外で近鉄バファローズに入団。 一軍公式戦に出場のないまま、1983年限りで現役を引退。1984年は、近鉄で打撃投手を務める。 1985年からは西武ライオンズでに在籍し、1992年まで打撃投手、その後スコアラーを務める。 2000年から、ヤクルトスワローズにスコアラーとして在籍。 2006年から、東北楽天ゴールデンイーグルスのスコアラー。 2008年から、埼玉西武ライオンズの二軍ディレクターに就任。
福島 郁夫(ふくしま いくお、1936年7月11日 - )は… 福島 郁夫(ふくしま いくお、1936年7月11日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 埼玉県立熊谷高等学校から1955年に東映フライヤーズへ入団。1年目は1勝しか挙げられなかったものの、2年目の1956年に35試合登板し、13勝を挙げた。1957年からは登板数が一桁に減り、勝利を挙げることができず1960年に引退した。引退後は帰郷して、地元の百貨店に勤務した。 長嶋茂雄が高校時代に唯一打った本塁打が福島からである(埼玉県営大宮公園野球場で行われた全国高等学校野球選手権の南関東大会1回戦・当時千葉県立佐倉第一高等学校(現千葉県立佐倉高等学校)対熊谷高校戦)。 選手でありながら、スコアラーも務めており、昼は練習に励み、夜になるとスコアラーの業務を務めていた。