木村 誠司郎(きむら せいしろう、本名:蠣崎献二、1970年… 木村 誠司郎(きむら せいしろう、本名:蠣崎献二、1970年3月4日 - 2003年12月26日)は、九重部屋に所属していた大相撲の行司であった。最高位は幕下格。千葉県銚子市出身。 初土俵当初は木村献二の行司名で、下の名前は本名を使っていた。序二段格の1988年1月場所で木村榮ノ助に改名した。 幕下格の1993年の1年間のみ、木村海颯聖(きむらみさき)という、行司名としては珍名・難読に当たる名前を名乗った。これは自ら考えて命名したという。 その後、木村誠司郎に改名して幕下格行司を務めるが、控えに座っていたときに取組をしていた落ちてくる力士にのしかかられた影響で出場できない状態となり、2003年1月場所から全休を続けた。
竹旺山 友久(ちくおうざん ともひさ、1921年3月12日 … 竹旺山 友久(ちくおうざん ともひさ、1921年3月12日 - 1977年1月5日)は、千葉県銚子市出身で山分部屋に所属した大相撲力士。本名は白土 酉松。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、投げ。最高位は東前頭16枚目(1948年10月場所)。 千葉県銚子市出身、山分部屋に入門、1938年5月場所に初土俵。負け越しなし(五分の成績の場所はある)で1945年6月場所に新十両をはたす。右四つからの寄りや投げには迫力があり、大器と期待もされた。十両で3年、1948年5月場所に新入幕をはたし、その場所6勝5敗と勝ち越したが、翌場所3勝8敗と負け越すと、そのまま27歳で廃業した(番付上は1949年1月場所も幕内に名をとどめている)。
大ノ濵 勝治(おおのはま かつじ、1909年9月20日 - … 大ノ濵 勝治(おおのはま かつじ、1909年9月20日 - 1979年1月1日)は、現在の千葉県銚子市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は若山 勝治。167cm、107kg。最高位は東前頭4枚目。 1927年1月初土俵、1932年1月十両昇進、1932年2月新入幕(春秋園事件の余波)したが、1933年5月に廃業した。もろ差しからの速攻を磨き、幕下時代には6戦全勝の優勝同点も記録した。春秋園事件の影響で幕内に上がったが、地力が伴わず4場所とも勝ち越せなかった。廃業後は千葉県内で鮮魚店を営み、巡業の勧進元を務めた。
銚子灘 傳右エ門(ちょうしなだ でんえもん、1902年3月1… 銚子灘 傳右エ門(ちょうしなだ でんえもん、1902年3月12日 - 1935年1月5日)は、千葉県銚子市出身で出羽海部屋(入門時は中立部屋)に所属した大相撲力士。本名は網中 仙太郎(あみなか せんたろう)。最高位は西前頭14枚目。 1902年3月12日に千葉県銚子市で生まれ、1922年1月場所において中立部屋から千ヶ岩の四股名で初土俵を踏む。1928年1月場所で新十両昇進を果たすが、師匠の死によって二子山部屋を経て出羽海部屋へ転籍した。幕下に陥落していた1930年1月場所から銚子灘と改名し、同年5月場所で十両に復帰し、1931年1月場所で新入幕を果たした。翌年に勃発した春秋園事件によって脱退するも1933年1月場所で復帰、十両格別席となり、翌年5月場所を最後に現役を引退、年寄・稲川を襲名した。
髙見山 酉之助(たかみやま とりのすけ、1873年10月25… 髙見山 酉之助(たかみやま とりのすけ、1873年10月25日 - 1924年1月11日)は、新治県海上郡(現在の千葉県銚子市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は吉岡 酉之助。最高位は関脇(1910年1月場所)。現役時代の体格は身長173cm、体重139kg。 高砂部屋に入門し1895年(明治28年)6月場所から番付に記載される。四股名は加増山(かぞうさん)であった。 1907年(明治40年)1月場所新入幕、この時33歳であった。1910年(明治43年)1月場所関脇。巨体を生かして左四つに組み止め、ジワジワ寄る典型的な四つ相撲の取り口だが「鈍州」と呼ばれるほど、勝ちみが遅いため速攻や技能派力士を苦手としていた。