古谷 拓郎(ふるや たくろう、2000年4月21日 - )は… 古谷 拓郎(ふるや たくろう、2000年4月21日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校2年時に野球を始め、所属チームの人数が少なかったこともあり、投手を務める。鎌ヶ谷市立第二中学校時代は県大会ベスト8が最高成績だった。 高校は習志野高校に進学。1年秋からベンチ入りし、2年夏の千葉大会では4回戦や準々決勝で先発登板を果たした。木更津総合との決勝では救援登板したが、打者2人に対し1安打1四球で降板している。2年秋には背番号16ながら、県4強入りに貢献し、この頃からプロを意識し始めた。3年春にはエースナンバーを初めて着け、関東大会出場に貢献。3年夏の西千葉大会は背番号10でベンチ入りし、4回戦で7回に初登板すると、3回無失点の好投を見せる。
津留﨑 大成(つるさき たいせい、1997年10月10日 -… 津留﨑 大成(つるさき たいせい、1997年10月10日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 鎌ケ谷市立中部小学校の1年時から中部ユニオンズで野球を始め、6年時には千葉ロッテマリーンズのジュニアチームに選出される。鎌ケ谷市立第二中学校時代は佐倉リトルシニアでプレーし、投手のほかに捕手や内野手も務めた。 慶應義塾高等学校では1年春から公式戦に登板し、2年秋からはエースを担ったが、3年時に右肘の内側側副靱帯を損傷。夏の神奈川県大会準々決勝では強行出場するもチームは敗退し、秋にトミー・ジョン手術を受けた。同期に柳町達、植田将太、1学年下に木澤尚文がいた。
鈴木 康平(すずき こうへい、1994年1月21日 - )は… 鈴木 康平(すずき こうへい、1994年1月21日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 オリックス・バファローズ時代の2018年から2022年までの登録名はK-鈴木(ケイすずき)。 小学生時代に鎌ヶ谷ライオンズへ所属、6年時に主将を務めた。中学生時代には陸上部で活動するかたわら、鎌ヶ谷シニアで野球を続けた。 千葉明徳高校への進学後は、2年の春からベンチ入りを果たした。3年夏の千葉県大会では2回戦で強豪・専大松戸と対戦。上沢直之と投げ合い、延長11回を終えても6-6と決着がつかず、大会規定により引き分け再試合になった。翌日の再試合にも2番手で登板するが、2-5で敗北した。
清田 育宏(きよた いくひろ、1986年2月11日 - )は… 清田 育宏(きよた いくひろ、1986年2月11日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者、野球解説者。右投右打。 父の実家は鎌ケ谷市の名産である梨の農家。市立柏高時代は投手で、球速は最速で140km/h前半。制球も良く、スカウトから注目されていたが、東洋大学へ進学。野球部でも投手を務めたが、大学3年間のプレー成績が不安定だったことから野手へ転向。4年春には打順4番で3本塁打・14打点の打撃成績を残しベストナインに輝いた。リーグ通算37試合122打数31安打22打点5本塁打11盗塁、打率.254。投手で1試合に登板。2007年の大学4年時に東都大学リーグ戦を連覇。大学同期に大場翔太投手がいる。
飯塚 智広(いいづか ともひろ、1975年9月28日 - )… 飯塚 智広(いいづか ともひろ、1975年9月28日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の社会人野球選手・コーチ・監督(外野手)。左投左打。 二松学舎沼南高校から亜細亜大学に進学。高校では主戦投手として2年春の県大会優勝、夏も県大会決勝に進出、のちに甲子園で準優勝する拓大紅陵に1-2で敗退した。3年春も県大会準優勝で2年連続で春季関東大会に出場。大学で外野手に転向し、井端弘和とともに1・2番を打った。東芝の安田真範とは高校でバッテリーを組み、大学でも同期生である。東都大学リーグ1部リーグ通算80試合出場、272打数79安打、打率.290、3本塁打、37打点。ベストナイン2回。2年春のみ2部リーグで12試合出場、47打数22安打、打率.468、0本塁打、8打点で首位打者。
後関 昌彦(ごせき まさひこ、1963年8月5日 - )は、… 後関 昌彦(ごせき まさひこ、1963年8月5日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。 習志野高では2年生の時、控え選手ではあるが1980年夏の甲子園に出場。2回戦で東北高の中条善伸に完封を喫する。 1981年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに投手として入団し、入団後に野手に転向。 1983年にはイースタン・リーグのベストナイン(一塁手)に選出される。一軍では左の代打要員としての出場が主であったが、1988年には17試合に一塁手、左翼手として先発出場。しかし同年オフ、谷宏明との交換で近鉄に移籍。 1989年には指名打者、一塁手として14試合に先発するが、その後は出場機会が減少。
仲野 和男(なかの かずお、1961年4月26日 - 201… 仲野 和男(なかの かずお、1961年4月26日 - 2018年8月19日)は、千葉県出身のプロ野球選手(外野手)。 日本野球機構パシフィックリーグ統括兼パシフィックリーグ運営部長。公益財団法人日本プロスポーツ協会評議員。 我孫子高では、2年次の1978年に夏の甲子園に出場。1学年後輩に和田豊がいる。 1979年オフ、チームメイトの板沢峰生内野手と共にドラフト外で西武ライオンズに入団。 一軍公式戦出場のないまま、1982年に現役を引退した。 1988年1月にパ・リーグ事務局に入局し、2012年1月からパ・リーグ統括を務めていた。 2018年8月19日に拡張型心筋症及び心臓弁膜症のため死去。57歳没。