竜ヶ嵜 枩太郎(りゅうがさき まつたろう、1884年1月20… 竜ヶ嵜 枩太郎(りゅうがさき まつたろう、1884年1月20日 - 1947年2月19日)は、現在の千葉県大網白里市四天木出身で阿武松部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は齋藤 松太郎。167cm、90kg。最高位は西小結。 紫雲竜吉之助に見出され入門した。1904年5月初土俵、1909年6月十両昇進。1910年1月入幕し、1913年5月小結に昇進した。ところがそれから不振に陥り、幕内中位から下位に沈み、1918年1月限り廃業。その後は満洲、朝鮮半島で料亭を経営。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
紫雲竜 吉之助(しうんりゅう きちのすけ、1882年1月7日… 紫雲竜 吉之助(しうんりゅう きちのすけ、1882年1月7日 - 1946年4月28日)は、現在の千葉県大網白里市四天木出身で高砂部屋、阿武松部屋に所属した力士。本名は斎藤 吉次郎。9代出来山、7代阿武松。172cm、86kg。最高位は東前頭筆頭。大見嵜八之助の甥。 1898年1月初土俵、1904年1月十両昇進。1907年5月入幕し、1908年5月には7勝2預の優勝相当の成績を収めた。1917年1月に引退し、出来山を襲名、出羽一門に属した。伯父が没したのち、阿武松を襲名した。 改名歴なし(番付上の表記揺れを無視した場合) この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
大見嵜 八之助(おおみさき はちのすけ、1866年9月23日… 大見嵜 八之助(おおみさき はちのすけ、1866年9月23日(慶応2年8月15日) - 1939年10月9日)は、現在の千葉県大網白里市四天木出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は原 夘三郎(旧姓斎藤)。6代阿武松。174cm、83kg。最高位は東前頭2枚目。紫雲竜吉之助の伯父。 1887年1月序ノ口、1893年1月十両昇進。十両を1場所で通過し、1894年1月入幕を果たした。この時の四股名は玉竜。以来1903年1月の引退まで三役には昇進できなかったが幕内上位をキープした。1899年5月新進の関脇梅ノ谷、1901年5月にも大関梅ノ谷に勝利。引退後は阿武松を襲名し独立。甥の紫雲竜などを育成。勝負検査役を長年務め、1939年年寄として73歳で没。